閑雲孤鶴の日々  - Fire生活者の呟き -

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ギリシア神話本の解説文の問題

2020年12月15日 | 読書案内

2007年から2011年まで日本ペンクラブ会長だった阿刀田高は、2004年に刊行された「抄訳・ギリシア神話」(ロバート・グレイウズ著)の解説に際し、ギリシア神話を源氏物語を対比して説明している。

阿刀田高
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E5%88%80%E7%94%B0%E9%AB%98

私は、ギリシア神話とは、日本における古事記、日本書紀みたいな位置づけだったかと認識するのであるが、阿刀田高は違う視点のようだ。

古事記とギリシア神話には共通点がある。
文学や歴史の概念がまだ発生していない時代に書かれた物語みたいなものの集大成みたいな点が該当する。

 

源氏物語には、神々の物語、神話の要素はあるとは思えない。まったくの私小説ではないのか。

確かに物書きとして、阿刀田高は優秀な方のようだが、上記ギリシア神話本の解説に際して、記紀について言及しなかったことは、そもそも記紀を読んだことがなかったか、記紀の存在をなかったことにしたいと考える意図を感じる。

記紀にも物語性あるものもある。そして、記紀は、ギリシア神話がそうであるように、物語の集合体である。もちろん、記紀は、ギリシア神話を真似て編纂したとはされていない。

ギリシア神話と記紀を対比した前提で源氏物語を比較するのならともかく、記紀を無視した言論作法について、作家としては優秀だが歴史的なモノの見方ができていない人物という評価とならざるを得ない。

「抄訳・ギリシア神話」(ロバート・グレイウズ著)は翻訳書としては面白い出来栄えなのであるが、阿刀田高の解説を読まされて、いっぺんに興ざめさせられた結果、今後は、ギリシア神話を読む時間があるなら、その時間を記紀の精読に廻すことにした。

記紀よりもギリシア神話に詳しいのは、日本人としていかがなものか、という意味である。


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