経済的側面ではなく、思想・哲学的側面で述べたい。
ブロガーの中には、かなり年配の方がおられる。経験を積んできているがゆえに、述べられていることは読む価値があると思うものが多い。
一方でそうでないケースもある。
どういうことかというと、政治的に自立していないのに、自分は政治的に保守であると語るケースが結構ある。
言論人たちの原稿をコピペしたり、動画のテキスト起こし程度でブログ記事にした程度で、思想的に保守と言えるのだろうか。
かつて、マッカーサーは占領期、日本人の政治的水準・スキルを12歳だと馬鹿にしたことがある。
マッカーサーの「日本人12歳説」の周辺
https://www.jice.or.jp/tech/columns/detail/31
高齢の政治ブロガーなら、この種の経緯を知らぬはずはない。
私が生まれたのはGHQ占領(1945~1952年)が終わった以降だが、コピペ程度の政治スキルしかない人に、保守だの保守でないと論評されても、文章内容がコピペだらけで政治主張的に自立していないため説得力はまったくない。
自立した主張でないもの、借り物の主張は配信した人の主張は、文献価値的に二次文書、三次文書程度の価値。
小説家が書いた通史の歴史書が、パクリ満載状態だったこともある。放送作家していたのに引用・剽窃の扱いを知らないとすれば、歴史家として失格と言わざるを得ない。
それなら余計なことは一切言わず、下記ブロガーのようにテキスト起こしに徹した方が潔い。
テレビにだまされないぞぉⅢ
http://dametv3.blog.jp/
そもそも論で言うと、オリジナルの主張があって、初めて主張内容の価値が高まり、陳情活動を含む政治活動において説得力を生むのである。
他人の主張をコピペする程度の人のことを政治活動家と勘違いしたり真似する必要はない。
老人は敬うべき存在であることは承知しているが、いつまで経っても独り立ちできない未熟な人(活動家)の真似をする必要はないのである。
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