![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/d5/5af4a595d4b26491724686d6c02c6a01.jpg)
“三丁目の夕日”の映画が大好きで、観るたびに、当時の生活を懐かしむワタクシです…⁉️w
昭和39年の東京オリンピックの開催当時は、中学3年生でしたが、テレビ、冷蔵庫、洗濯機など、生活内容は、ほぼ映画で描かれているのと同じでした…⁉️w
そこで、更に数年前の、小学1年生の頃の生活を思い起こして見ました…❗️w(昭和30年?)
当時、我が家は、千代田区神田駿河台の某出版社の社宅住まいでした…。(最寄駅:国鉄 御茶ノ水)
子供の野球が出来るほどの空き地や、小さな池、小さな里山がある、塀に囲まれた大きな敷地内に、7軒ほど、平家の古い社宅がバラバラに建っていました…。
家の大きさも、テラス付きの洋館とか、木造平屋建て、蔵付き住宅など、まちまちでしたが、我が家は、一番狭く、小さな木造の平家でした…⁉︎w
ワタクシの記憶では、今で云うなら、8畳一間の1K、風呂無し、水洗トイレ付、駅から徒歩5分かな…⁉︎w
アルミサッシの無い時代でしたから、冬は、スキマ風が入り込み、スッゴク寒かったし、夏は蚊帳を張って寝たのを覚えています…⁉︎w
そこで、当時の我が家の家電製品は、何があったのか、記憶を辿ると、思い出しました…⁉️
ラジオと電気コタツだけだったような…❓w
コタツも、暫くは、炭とか、練炭を使っていたような気もします…⁉️w
電気炊飯器、トースター、扇風機、蓄音機も、確か無かったはずです…⁉️w
ん、そうだ、幻灯機があったような…❓w
まぁ、我が家が、特に貧しかったワケではなくて、東京の中心でも、昭和30年代の初めの頃は、どこの家庭でも、そんな生活だったと思います…⁉️w
力道山のプロレスを観るため、新橋の街頭テレビに大衆が集まった時代に近いしネ…⁉️w
そんなワケで、今じゃ、エアコンで暖かい部屋の中、4Kテレビを観ながら、スマホをいじってブログを書いているワケですが、当時は、手塚治虫先生も、こんな生活が来るのを予想してたのかなぁ…❓w(^。^)