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東武伊勢崎線はなぜ浅草がターミナル駅?上野まであとわずかその歴史的背景をたどる

2020年04月18日 | 日記


gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/trafficnews/trend/trafficnews-95627

一部引用

かつては新宿や銀座よりも繁華街だった浅草

東武鉄道が浅草をターミナル駅の地とした理由のひとつに、かつて浅草は東京一の繁華街だったことが挙げられます。

1960年代頃まで、東京の市街には、2020年現在の地下鉄路線よりさらに細かい網の目のように市電(都電の前身)が走っていました。
1923(大正12)年6月7日に行われた東京市電の乗客調査では、東京市内に360あった市電停留場のなかで、雷門(浅草)停留場が乗降客数1位(5万3716人)となっています。
そのほか、日本橋(3万1518人)、銀座四丁目(2万3415人)、新宿駅前(1万5400人)といった繁華街の市電停留場と比べると、いかに浅草が賑わっていたか想像できるでしょう。

浅草は特に、娯楽演芸関連の劇場、映画館の多さでも群を抜いていました。1950年代後半がその全盛期といわれます。
その後はテレビの普及で演芸や映画界の斜陽化が進み、新宿など山手線各ターミナルの発展から取り残される形で、浅草は相対的に、急速に賑わいを失っていきました。

東武伊勢崎線の歴史を振り返ってみましょう。明治時代、日本が外貨を得るための主力は繊維産業でした。
群馬県東部から栃木県西部にかけては、国内でも有数の養蚕と製糸、織物生産が盛んな地帯で、東武鉄道はこの地域と東京を直結する目的で建設されます。

1899(明治32)年、まず北千住〜久喜間が開通しました。
次いで1907(明治40)年に織物業の本場である足利町(現・栃木県足利市)へ、1910(明治43)年に群馬県の伊勢崎へと延伸していきます。


家族総出でスーパーが物議新たな「3密」利用制限の動きも

2020年04月18日 | 日記


gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/sankei/life/sankei-lif2004180056

一部引用

自粛要請の対象になっていないスーパーでは、緊急事態宣言後も多くの人が訪れ、「3密」状態ができるおそれがある。
スーパーでは、客へのマスク着用の徹底やレジに並ぶ際に間隔をあけるよう促したり、レジ前に透明のビニールを設置し、客と従業員の間を仕切るなど工夫を凝らす。

 

全国スーパーマーケット協会の広報担当者はそうした事情を踏まえた上で「買うものを決め短時間で済ませるようにしたり、
レジに並ぶときは少人数に絞ってもらうなど感染リスクを減らす配慮をお願いしたい」と呼びかける。

■商店街

東京都の小池百合子知事は15日の記者会見で、「繁華街への人出というのは随分抑えられてきた。一方で、地元のスーパー、商店街は人であふれかえっているという状況」と指摘した。
各地の商店街によると、客足自体は通常に比べ大幅に減っているが、週末など一時的に人が増えるケースもあるという。

■海岸

利用制限に踏み切る動きも。神奈川県横須賀市や葉山町などは、海岸部を中心に車で訪れる観光客らが相次いでいるとして、市営や町営の駐車場の利用を制限する措置を取った。

 

鎌倉市でも、海岸沿いの道路で県外ナンバーの車が目立ち、渋滞や路上駐車が発生。市内への来訪を自粛するよう呼び掛けた。
市内のある飲食店の入り口には観光客の入店を断る張り紙も。男性店主によると、約1週間前にマスクをしていない観光客のカップルが来店。
マスクの着用を促しても「感染は収束に向かっていると聞いた」などと言って従わなかったという。