神は愛 白髪は美の冠 白髪は輝く冠 

聖書の音信、日々のニュース関連を書いています。

公正を行ない、親切を愛し、慎みをもってあなたの神と共に歩むこと・・・聖書

2017年02月22日 | 日記

 


「人よ、何が善であり、主(神)が何をお前に求めておられるかは、お前に告げられている。正義を行い、慈しみを愛し、へりくだって神と共に歩むこと、これである」。
聖書(ミカ6:8)


「地の人よ、何が善いことかを神はあなたにお告げになった。そして、神(ヤハウェ、エホバ)があなたに求めておられるのは、ただ公正を行ない、親切を愛し、慎みをもってあなたの神と共に歩むことではないか」。
聖書(ミカ6:8



「主(神)はあなたに告げられた。人よ。何が良いことなのか。主(神)は何をあなたに求めておられるのか。それは、ただ公義を行ない、誠実を愛し、へりくだってあなたの神とともに歩むことではないか」。
聖書(ミカ6:8)

 

 



「善を行うことを学び、裁きをどこまでも実行して、搾取する者を懲らし、孤児の権利を守り、やもめの訴えを弁護せよ」。
聖書(イザヤ1:17)


「善を行なうことを学び、公正を尋ね求め、虐げる者を正し、父なし子のために裁きを行ない、やもめの言い分を弁護せよ」。
聖書(イザヤ1:17)


「善をなすことを習い、公正を求め、しいたげる者を正し、みなしごのために正しいさばきをなし、やもめのために弁護せよ」。
聖書(イザヤ1:17)

 

 

 



「主(神)はこう言われる。正義と恵みの業を行い、搾取されている者を虐げる者の手から救え。寄留の外国人、孤児、寡婦を苦しめ、虐げてはならない。またこの地で、無実の人の血を流してはならない」。
聖書(エレミヤ 22:3)



『神(ヤハウェ、エホバ)はこのように言われた。「公正と義を行なえ。奪い取られている者を、だまし取る者の手から救い出せ。外人居留者、父なし子、やもめを虐待してはならない。
彼らに暴力を加えてはならない。また,この場所で罪のない血を流してはならな」』。
聖書(エレミヤ 22:3)



「主(神)はこう仰せられる。公義と正義を行ない、かすめられている者を、しいたげる者の手から救い出せ。在留異国人、みなしご、やもめを苦しめたり、いじめたりしてはならない。また罪のない者の血をこの所に流してはならない」。
聖書(エレミヤ 22:3)



                          

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




雨に負けぬ花 oshown

2017年02月21日 | 日記

君がくれた白い花はいつか散ってしまったけど
花の白さは今でも目に映る心に残る

春に咲く花、秋に移ろう 人の心の景色もまた
はにかむような夏の花 立ちながら枯れていった冬の花

人はいくども花に会い、とどめることを思うけど
咲いてきれいの定めなら散り行くときもまた定め

泣かないで、人はだれもいつか思い出に変わるから

夜の雨は年月を思い出させてくれるけど
朝はかならず来るものさ 花は風にゆれるだろう

あゝ、悩み多きこの人生に白き小さき花よ咲け
泣きたいほどの夜がある 花よなぐさめとなれ

人の目につく花じゃない 燃えて咲かせた花じゃない
月日が育てた白い花 雨に負けぬ花になれ

負けないで、泣かないで、
みんな思い出に変わるまで 

泣かないで、負けないで、
きっといい思い出になれるから




copyright© oshown

 

 


CUSCO(クスコ)ペンギンダンス

2017年02月21日 | 日記
クスコは、以前はインカ帝国の首都だったペルーのクスコにちなんで命名されたドイツの異文化の新しい時代の音楽バンドでした。 
バンドの音楽には、 南米のフルートサウンドやメロディーを中心に、世界中の音楽の影響が含まれています。 
クスコのメロディーでエネルギッシュな音楽は、 クラシック音楽やロックミュージックの感性に影響を受けたモダンとエスニックの融合です。 
ほとんどの民族楽器は鍵盤で生成され、音質を合成的な品質にしました。

このバンドは、創設者のマイケル・ホルム (Lothar Bernhard Walter、1943-)とクリスチャン・シュルツェ( Kristian Schultze、 1945-2011)によって率いられました。 
すでに成功しているボーカルアーティスト、マイケル・ホルム(Michel Holm)は、古代の文化に音楽を捧げようとしました。 
彼とクリスティアンシュルツェは、以前はジャズバンドのパスポートのメンバーだったが、音楽的、歴史的な興味を共有していた。 
1979年、彼らはクスコを結成し、1980年にファーストアルバムをリリースしました。
彼らは最終的にHigher Octave Musicと契約し、1988年にそのレーベルでファーストアルバムをリリースしました。
彼らのアルバムはインストゥルメンタル/ニューエイジ音楽販売チャートで一貫して非常に高いピークに達しました。 
彼らはグラミー賞に3回ノミネートされました。 

クスコの音楽は、 IllumiNations:Reflections of Earthの前のEpcotのプレショーバックグラウンドミュージックとして頻繁に使用されており、
人気のあるアメリカの シンジケートラジオ番組「 Coast to Coast AM」の バンパーミュージックとして、またBudアイスビールの商業。
 加えて、クスコは、ドイツのテレビスペシャルSielmann 2000のシンフォニックな新時代音楽を作曲し、演奏しました。
 2011年に彼が死ぬまで、Schultzeはドイツの OberbayernにあるWeilheimに住んでいました。
 Holmはまだそこに住んでいる。
~英語版Wikipedia~


【クリック】
マイケル・ホルムとクリスチャンシュルツ(の成功尽力プロジェクト † 2011年11月22日)がグラミー賞にノミネート三度目の2004年に米国で受けています。

 

 

 

 


神を待ち望む・・・聖書

2017年02月21日 | 日記

 

「神を待ち望む」




彼らの中の最善の者も茨のようであり、正しい者も茨の垣に劣る。お前の見張りの者が告げる日、

お前の刑罰の日が来た。今や、彼らに大混乱が起こる。

隣人を信じてはならない。親しい者にも信頼するな。お前のふところに安らう女にも、お前の口の扉を守れ。

息子は父を侮り、娘は母に、嫁はしゅうとめに立ち向かう。人の敵はその家の者だ。

しかし、わたしは主を仰ぎ、わが救いの神を待つ。わが神は、わたしの願いを聞かれる。
聖書(ミカ7:4~7:7)





彼らの最も善良な者はおどろに似ており、最も廉直な者もいばらの垣根に勝らない。

あなたを見守る者の日、あなたに注意の向けられる日が必ず来る。今や彼らのろうばいが起きる。

仲間を信じてはいけない。腹心の友をも信頼してはいけない。あなたの懐に寝る女に対して口を開くことにも用心せよ。

息子は父を軽んじ、娘はその母に逆らい、嫁はそのしゅうとめに逆らっているからである。

人の敵はその家の者たちとなっている。

しかしわたしは、終始、神(ヤハウェ、エホバ)に目を向ける。わたしの救いの神を待ち望もう。

わたしの神は聞いてくださる。
聖書(ミカ7:4~7:7)






彼らのうちの善人もいばらのようだ。正しい者もいばらの生け垣のようだ。

あなたの刑罰の日が、あなたを見張る者の日が来る。今、彼らに混乱が起きる。

友を信用するな。親しい友をも信頼するな。あなたのふところに寝る者にも、あなたの口の戸を守れ。

息子は父親を侮り、娘は母親に、嫁はしゅうとめに逆らい、それぞれ自分の家の者を敵としている。

しかし、私は主(カミを仰ぎ見、私の救いの神を待ち望む。私の神は私の願いを聞いてくださる。
聖書(ミカ7:4~7:7)





             












苦しい時の慰め~聖書

2017年02月19日 | 日記
『苦しい時の慰め』
 
 
苦しみは様々な形でやって来ます。
人々が様々な問題に直面して,神からの真の慰めをどのように見いだしたかに注目してください。
 
 
「失業した時」
 
「わたしたち夫婦は同時に失業しました」とセスは言います。
『「2年間は,家族からの助けやちょっとしたアルバイトでしのぐことになりました。結果として,妻のプリシラは落ち込み,わたしは自分をだめな人間だと思いました。
「その状況に対処するために,プリシラは,いつもマタイ 6章34節のイエスの言葉を思い出すようにしました。
『それで,次の日のことを決して思い煩ってはなりません。次の日には次の日の思い煩いがあるのです。一日の悪いことはその日だけで十分です』。
(マタイ6:34)
その日にはその日の思い煩いがあるので,次の日のことを思い煩うべきではない,という言葉です。そして心からの祈りによって,前に進む力を得ました。
わたしは,詩編 55編22節から慰めを得ました。詩編作者のように,自分の重荷を神にゆだねて,神が支えてくださることを知ったのです。
今では定職に就いていますが,マタイ 6章20~22節にあるイエスのアドバイスに従って,シンプルなライフスタイルを保っています。
何よりも,わたしたちは神をいっそう身近に感じるようになりましたし,互いの関係もこれまで以上に深まりました」』。
『あなたの重荷を主(神)にゆだねよ。主(神)は,あなたのことを心配してくださる。主(神)は決して,正しい者がゆるがされるようにはなさらない』。
(詩編55:22)
『あなた方のために宝を天につめ。そこではしみも虫も損なわず,盗人が入り込んで取らない。
あなたの宝のあるそのところにあなたの心もある。体の光は目である。あなたの目が澄んでいれば全身が明るい』。
(マタイ6:20~6:22)
 
「家業が倒産した時は,お先真っ暗でした」とジョナサンは言います。
「経済危機のせいで,20年もの労苦が水の泡になったのです。お金のことで妻と言い争うようになりました。クレジットカードで買い物をすることさえできませんでした。使えないと言われるのが怖かったからです。
 
「しかし神の言葉と聖霊に助けられて,良い決定を下せました。わたしはどんな仕事でも引き受け,2人で不必要な出費を減らしました。会衆である仲間の信者たちも,わたしたちの自尊心を尊重しつつ,本当に困った時には助けの手を差し伸べてくれました」。
 
 
 
「病気や老齢の問題に直面した時」
 
 
この特集の最初の記事に登場したルイスは,重い心臓病を抱えており,2度も死にかけました。
現在は,毎日16時間も酸素吸入をしなければなりません。こう述べています。
「わたしはいつも神に祈ります。祈ると,聖霊によって力が与えられるのを感じます。そして,前進し続ける勇気が得られます。わたしは神を信じており,神が世話してくださることを知っているからです」。
 
「やりたいことは山ほどありますが,もう無理です」と,80代になるペトラは言います。
「体力の衰えを感じるのは非常につらいことです。疲れ果てたり,薬を手放せなくなったりします。よく考えるのですが,イエスは天の父に,もしできることならこの苦しみを過ぎ去らせてくださいと祈りました。
それに対して,神(ヤハウェ,エホバ)はイエスに力をお与えになりました。神はわたしにも力を与えてくださいます。祈りはわたしの毎日の治療法です。神とお話しした後は,気分がずっと良くなります」。
『それから,イエスは少し進んで行って,ひれ伏して祈って言われた。「わが父よ。できますならば,この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし,わたしの願うようにではなく,あなたのみこころのように,なさってください」』。
(マタイ 26:39)
 
多発性硬化症と30年近く闘ってきたフリアンも同じように感じ,こう述べています。
「重役の椅子ではなく車椅子に座っていますが,生きがいを感じています。他の人に仕えるために生きているからです。自分を与えることによって,苦しみが和らぎます。
そして神は,必要な時にわたしたちを強めるとの約束を必ず守られます。わたしも使徒パウロのように,
『自分に力を与えてくださる方のおかげで,わたしは一切の事に対して強くなっている』と心から言うことができます」。
(フィリピ・ピリピ 4:13)
 
「愛する人を亡くした時」
 
「父が交通事故で亡くなった時,最初は信じられませんでした」とアントニオは語っています。
「すごく不公平に思えました。父はただ道を歩いていただけだったからです。わたしには何もできませんでした。父は昏睡状態になり,5日後に亡くなりました。
わたしは母の前では何とか涙をこらえていましたが,1人になると泣き崩れました。『なぜ? なぜ父が?』と考え続けました。
 
「あのとてもつらい日々の間,自分の感情をコントロールできるよう助けてください,平和を与えてください,と神に祈り続け,少しずつ平静を取り戻すことができました。
聖書の述べているとおり,『予見しえない出来事』はだれにでも臨むということを思い出しました。そして,復活してくる父と必ず再会できることを信じています。神は偽ることのできない方だからです」
 
『わたしは日の下で引き返して見たのであるが,速い者が競走を,あるいは力のある者が戦いを自分のものにするわけではない。
また賢い者が食物を得るのでも,理解のある者が富を得るのでもなく,知識のある者たちが恵みを得るのでもない。なぜなら,時と予見しえない出来事とは彼らすべてに臨むからである』。
(伝道の書・コヘレトの言葉 9:11)
 
『イエスは言われた。「わたしは復活であり,命である。わたしを信じる者は,死んでも生きる」』。
(ヨハネ11:25)
 
『その敬虔な専心は永遠の命の希望に基づいています。その希望は,偽ることのできない神が,久しく続いた時代の前に約束されたものですが』。
(テトス1:2)