『苦しい時の慰め』
苦しみは様々な形でやって来ます。
人々が様々な問題に直面して,神からの真の慰めをどのように見いだしたかに注目してください。
「失業した時」
「わたしたち夫婦は同時に失業しました」とセスは言います。
『「2年間は,家族からの助けやちょっとしたアルバイトでしのぐことになりました。結果として,妻のプリシラは落ち込み,わたしは自分をだめな人間だと思いました。
「その状況に対処するために,プリシラは,いつもマタイ 6章34節のイエスの言葉を思い出すようにしました。
『それで,次の日のことを決して思い煩ってはなりません。次の日には次の日の思い煩いがあるのです。一日の悪いことはその日だけで十分です』。
(マタイ6:34)
その日にはその日の思い煩いがあるので,次の日のことを思い煩うべきではない,という言葉です。そして心からの祈りによって,前に進む力を得ました。
わたしは,詩編 55編22節から慰めを得ました。詩編作者のように,自分の重荷を神にゆだねて,神が支えてくださることを知ったのです。
今では定職に就いていますが,マタイ 6章20~22節にあるイエスのアドバイスに従って,シンプルなライフスタイルを保っています。
何よりも,わたしたちは神をいっそう身近に感じるようになりましたし,互いの関係もこれまで以上に深まりました」』。
『あなたの重荷を主(神)にゆだねよ。主(神)は,あなたのことを心配してくださる。主(神)は決して,正しい者がゆるがされるようにはなさらない』。
(詩編55:22)
『あなた方のために宝を天につめ。そこではしみも虫も損なわず,盗人が入り込んで取らない。
あなたの宝のあるそのところにあなたの心もある。体の光は目である。あなたの目が澄んでいれば全身が明るい』。
(マタイ6:20~6:22)
「家業が倒産した時は,お先真っ暗でした」とジョナサンは言います。
「経済危機のせいで,20年もの労苦が水の泡になったのです。お金のことで妻と言い争うようになりました。クレジットカードで買い物をすることさえできませんでした。使えないと言われるのが怖かったからです。
「しかし,神の言葉と聖霊に助けられて,良い決定を下せました。わたしはどんな仕事でも引き受け,2人で不必要な出費を減らしました。会衆である仲間の信者たちも,わたしたちの自尊心を尊重しつつ,本当に困った時には助けの手を差し伸べてくれました」。
「病気や老齢の問題に直面した時」
この特集の最初の記事に登場したルイスは,重い心臓病を抱えており,2度も死にかけました。
現在は,毎日16時間も酸素吸入をしなければなりません。こう述べています。
「わたしはいつも神に祈ります。祈ると,聖霊によって力が与えられるのを感じます。そして,前進し続ける勇気が得られます。わたしは神を信じており,神が世話してくださることを知っているからです」。
「やりたいことは山ほどありますが,もう無理です」と,80代になるペトラは言います。
「体力の衰えを感じるのは非常につらいことです。疲れ果てたり,薬を手放せなくなったりします。よく考えるのですが,イエスは天の父に,もしできることならこの苦しみを過ぎ去らせてくださいと祈りました。
それに対して,神(ヤハウェ,エホバ)はイエスに力をお与えになりました。神はわたしにも力を与えてくださいます。祈りはわたしの毎日の治療法です。神とお話しした後は,気分がずっと良くなります」。
『それから,イエスは少し進んで行って,ひれ伏して祈って言われた。「わが父よ。できますならば,この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし,わたしの願うようにではなく,あなたのみこころのように,なさってください」』。
(マタイ 26:39)
多発性硬化症と30年近く闘ってきたフリアンも同じように感じ,こう述べています。
「重役の椅子ではなく車椅子に座っていますが,生きがいを感じています。他の人に仕えるために生きているからです。自分を与えることによって,苦しみが和らぎます。
そして神は,必要な時にわたしたちを強めるとの約束を必ず守られます。わたしも使徒パウロのように,
『自分に力を与えてくださる方のおかげで,わたしは一切の事に対して強くなっている』と心から言うことができます」。
(フィリピ・ピリピ 4:13)
「愛する人を亡くした時」
「父が交通事故で亡くなった時,最初は信じられませんでした」とアントニオは語っています。
「すごく不公平に思えました。父はただ道を歩いていただけだったからです。わたしには何もできませんでした。父は昏睡状態になり,5日後に亡くなりました。
わたしは母の前では何とか涙をこらえていましたが,1人になると泣き崩れました。『なぜ? なぜ父が?』と考え続けました。
「あのとてもつらい日々の間,自分の感情をコントロールできるよう助けてください,平和を与えてください,と神に祈り続け,少しずつ平静を取り戻すことができました。
聖書の述べているとおり,『予見しえない出来事』はだれにでも臨むということを思い出しました。そして,復活してくる父と必ず再会できることを信じています。神は偽ることのできない方だからです」。
『わたしは日の下で引き返して見たのであるが,速い者が競走を,あるいは力のある者が戦いを自分のものにするわけではない。
また賢い者が食物を得るのでも,理解のある者が富を得るのでもなく,知識のある者たちが恵みを得るのでもない。なぜなら,時と予見しえない出来事とは彼らすべてに臨むからである』。
(伝道の書・コヘレトの言葉 9:11)
『イエスは言われた。「わたしは復活であり,命である。わたしを信じる者は,死んでも生きる」』。
(ヨハネ11:25)
『その敬虔な専心は永遠の命の希望に基づいています。その希望は,偽ることのできない神が,久しく続いた時代の前に約束されたものですが』。
(テトス1:2)