質問 :
「(偶)像」と「文字」の違いは、何でしょうか?
個人が所有する仏像には、無縁霊が寄って来て危険ということですが、印刷された仏像は勿論、神名が書かれた木や紙の御札は、何故それほど危険がないのでしょう? また、仏教系の神仏名のものには、無縁霊が寄り易く、神道系の御札にはそういった危険性がないのでしょうか?
返答 :
この現実界に執着して留まっている霊は、死んだ時の意識
状態で、固定化された感じで漂っています。
自分が死んだ認識が無い霊は、生前によくしていた作業や
仕事を、そのまま際限無く繰り返している様にも観えます。
生前の行いが磁気テープに録画されていて、それを繰り返し
再生ループしている感じもします。
また、苦しみながら死んで留まっている方は、その苦しみが
持続した状態で居ます。
この様な状態の時、霊が苦しさ故に縋り付く対象は、先祖霊
の守護が薄い生きる人間です。 ただ、身動き出来る範囲が
苦しい霊ほど制限されていますので、生きる人間に憑く事が
出来ない時は、次に人の形をした静止している人形に行き易
いです。 また、仏像などが見えれば、生前の知識で仏像の
側に居れば、助かると思って集まるものです。
個人の自宅の庭に、何を期待して置くのか知りませんが
巨大な観音像を設置する裕福な家がたまに有ります。
だいたい2代目か3代目には、家の生業が傾いたり、子孫が
絶える傾向が多いです。 周辺の助けを求める無縁霊が集ま
るからです。 観音像への供養心が無く、ただの飾りの場合
や、供養の御世話が出来なければ、良いことがありません。
迷える霊は、粗い磁気の固まりです。粗い磁気振動なので、
「ザー」と言うような不快な電子音も聞こえる程です。
人形や仏像などの「人型」をした物には、この粗い磁気でも
寄る事が可能なのですが、御札や紙質の物には、粗い磁気
振動の霊が宿る事は、物理的に難しい様です。
より精妙な磁気振動の存在しか寄る事が出来ません。
伊勢神宮の御札で一番安い剣祓札(500円?)を、私は伊勢
の各神宮で毎回購入しています。
この御札を見て何時も感心する事は、御札の中に有る木の
棒の先端に、古式に乗っ取った神霊の寄り代が巻かれてい
ます。
これは、霊的に大変実践的な仕掛けが、古来より普通に何気
なく伝承されているのです。
この様な神札は、伊勢神宮だけかも知れません。
やはり、伊勢神宮は特別の別格です。
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