陰膳(かげぜん)という行為があります。
影膳とも書きます。
生きている人間に対する行為の場合は、「陰」膳。
死んだ人間に対する供養行為は影膳とするとか、これは逆
であるとか・・・色々と説があるようです。
「陰」は行為自体に主眼があり、「影」ならば不明者の影を
意識したものに成ると、私は感じます。
生きている人に対する供養は、「影膳」の文字が良いと私は
思います。
戦争中は行方不明の家族の写真に対して、食事を供えて
御腹が減らないように陰で祈念したと言います。
この効果は霊的には実際に「有り」ます。
影膳を受けている行方不明の本人は、食事が自分に供えら
れている事は知らないし、物理的に食料が届く訳もありませ
ん。しかし、何故か健康が保たれるのです。
つまり、この世は全て霊的に繋がっているのです。
現実界で実行する行為は、全て機能しているのです。
ただ、人間は眼に見えない事は分からないので、自分がする
行為を軽んじています。
怖い意味では、バレなければ大丈夫と言う事は無いのです。
毎日の感謝の先祖供養を実行する「行為」に意味がありま
す。 短い人生の中で、他を癒したいと実行する事は、例え
3分間でも未来永劫に空間に刻まれています。
他の為に実践した行為として・・・。
しかし、先祖の迷える磁気を抱えたままでは、どんな良い本を
読もうが、何か良い事をしようとしても自分自身の心が辛いも
のです。 現状のアタリマエな日常へ感謝する人間を増やす
と言う、神霊の一番の願いである「感謝の5%運動」も、
自分の心が辛ければ口先だけに成りかねません。
その為には、他を癒す行為を空間に刻み、自分自身の心を
軽く柔らかく出来る短冊供養が実践力を持ち大事なのです。
この単純な行為には、
・自分の体以外の場所に、霊の寄る場所を設ける。
・雑多な現実界で生きる故に発生する、自分に巻き付く
ストレス磁気を短冊によりアース放電する。
などなどの生霊をも含めた、多くの霊的奥義が凝縮されてい
ます。
神霊は伝えます。
体が病気であろうが、貧乏であろうが、惨めな境遇であろう
が、心さえ明るく健康であれば、立派な神を宿す柱であると。
神の柱に成れば、永遠を、その人は手にする事に成ります。
生かして頂いて ありがとう御座位ます
人類の 5% 運動を広めたいです。
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