伊勢ー白山 道

集団では無く、社会の中で心身の健康を正しく個人で目指します

世の中に無駄は無い

2009-01-10 09:12:45 | Weblog

陰膳(かげぜん)という行為があります。
影膳とも書きます。
生きている人間に対する行為の場合は、「陰」膳。
死んだ人間に対する供養行為は影膳とするとか、これは逆
であるとか・・・色々と説があるようです。
「陰」は行為自体に主眼があり、「影」ならば不明者の影を
意識したものに成ると、私は感じます。
生きている人に対する供養は、「影膳」の文字が良いと私は
思います。
戦争中は行方不明の家族の写真に対して、食事を供えて
御腹が減らないように陰で祈念したと言います。
この効果は霊的には実際に「有り」ます。

影膳を受けている行方不明の本人は、食事が自分に供えら
れている事は知らないし、物理的に食料が届く訳もありませ
ん。しかし、何故か健康が保たれるのです。
つまり、この世は全て霊的に繋がっているのです。
現実界で実行する行為は、全て機能しているのです。
ただ、人間は眼に見えない事は分からないので、自分がする
行為を軽んじています
怖い意味では、バレなければ大丈夫と言う事は無いのです。

毎日の感謝の先祖供養を実行する「行為」に意味がありま
す。 短い人生の中で、他を癒したいと実行する事は、例え
3分間でも未来永劫に空間に刻まれています。
他の為に実践した行為として・・・。
しかし、先祖の迷える磁気を抱えたままでは、どんな良い本を
読もうが、何か良い事をしようとしても自分自身の心が辛いも
のです。 現状のアタリマエな日常へ感謝する人間を増やす
と言う、神霊の一番の願いである「感謝の5%運動」も、
自分の心が辛ければ口先だけに成りかねません。
その為には、他を癒す行為を空間に刻み、自分自身の心を
軽く柔らかく出来る短冊供養が実践力を持ち大事なのです。
この単純な行為には、
・自分の体以外の場所に、霊の寄る場所を設ける。
・雑多な現実界で生きる故に発生する、自分に巻き付く
 ストレス磁気を短冊によりアース放電する。
などなどの生霊をも含めた、多くの霊的奥義が凝縮されてい
ます。

神霊は伝えます。
体が病気であろうが、貧乏であろうが、惨めな境遇であろう
が、心さえ明るく健康であれば、立派な神を宿す柱であると。
神の柱に成れば、永遠を、その人は手にする事に成ります。

生かして頂いて ありがとう御座位ます

人類の 5% 運動を広めたいです。
      

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読者のコメント欄には、大いなる学びが有りますので必読です。

コメント (287)
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