- 『通りゃんせ』 作詞・不詳 本居長世 編・作曲
通りゃんせ 通りゃんせ
ここはどこの 細通じゃ
天神様の 細道じゃ
ちっと通して 下しゃんせ
御用のないもの 通しゃせぬ
この子の七つの お祝いに
お札を納めに 参ります
行きはよいよい 帰りはこわい
こわいながらも
通りゃんせ 通りゃんせ - 本居宣長は、江戸時代を代表する国学者であり、隠れた面では稀代の
霊学者であり、優秀な伊勢神道家でもあります。
この童謡に曲を付けて広めたのが、本居宣長から6代目の
子孫です。 作者をワザと不明にして、自分の実家に伝わる
宣長が残した遺稿から歌詞を見つけて作曲したと感じます。
童謡や民間伝承には意外と霊的に深いものが多いです。
「行きはよいよい 帰りはこわい」とは、私たちの魂が生まれ出る過程その
ものだと感じます。
生まれたくて、生まれ出たくて魂は現実界に誕生し、そして死に向かって
心配しながら歩いて行きます。
この歌は、神様が魂をこの世に降ろす過程そのものを表現したと感じます。
生まれた魂には、全員に神様からの御用があることを意味しています。
民間伝承と言えば、民族学者の折口信夫は日本全国をくまな
く歩き研究した結果、歴史の本当の真実は口伝による先祖か
らの伝えに残存するとして、文書で残る物は疑うべきだとの
示唆を残しています。
その折口が残した印象深い見解が有ります。
「芸能史、国文学を主な研究分野とするその研究は「折口学」といわれる。その業績はマレビトとヨリシロに集約されうる。すなわち、国文学の起源を祝詞や呪言に求め、さらにそれらがマレビト信仰に基づくものとした。また聖なる霊魂をヨリシロによって呼び寄せることによって、人間は神秘的な力を身につけられるとし、天皇は天皇霊を身につけた人物であると読み解いた。」 Wikipediaより。
民族学を極めた結果、
マレビト=神霊の概念。
ヨリシロ=実践的オカルト霊学の奥義。
を導き出しました。 これは私が神霊から伝えられた秘儀の
基本表面と一致します。
折口が学問の立場から究めて霊的世界を正しく捉えたとは、
私には稀有なる事だと思います。
真実が一つならば、当然の道理なのでしょうか。
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