伊勢ー白山 道

集団では無く、社会の中で心身の健康を正しく個人で目指します

アタリマエな物事が神だった

2010-09-09 11:59:33 | Weblog

最近読者から寄せられた、夜の盆踊りの風景を写した写真(迷える霊が多いので不掲載)には、たくさんの丸いオーブ(霊体)が撮影されています。肉体を亡くした後も、この世に留まるはかなさを感じさせます。
たくさんの生きる人々が楽しく集まる場所には、寂しい霊は集まって来るものです。その楽しい気持ちに接することにより、次の世界へと旅立つエナジーにする面が霊にはあります。集まる人々や撮影者には、なんの害もありません。
ロケットが発射するには燃料が必要なのと同じで、やはりキッカケとしての起爆剤が何事にも必要なのです。日々の先祖供養などは、まさに安らかに成るキッカケの縁を先祖に提供していることになります。
この大切な安らかに成るキッカケに「これが欲しい~、あれを叶えて欲しい~」と先祖供養で願うのは、ダメなのはあきらかです。
やはり、楽しい気持ち、感謝の気持ちを先祖に上げるのが、最高のプレゼントと成り、霊に気付きを与えます。そして、先祖が安心すれば、その安心の反射を、供養した者が受け取る因縁法則が存在します
助けられた者(先祖)も安心し、助けた者(自分)も救われると言う、両方が救われることに成ります。

盆踊りとは、霊的には良く考えられた、地域の迷える霊を癒す最高の行事だと感じます。風習として続く伝統には、やはりムダなものは無いようです。
この起原をたどれば、かなり古い神事にまで行き着くと思います。
面白い事、楽しむ事、踊る事、音楽、これらは人間の本能と霊的存在にも影響を与えます。
つまり、自分の日常生活にも、この様な要素を意識することが大切です。
生活の中で、笑い、楽しみ、体を動かし、好きな音楽を聞き、そして「現状への感謝をする事」が出来れば、、、それは悟りです。
神秘の世界、天国、神界・・・このような次元は、求めてもムダです。なぜならば、すでに今の自分の現状の中に存在するからです。死後にも、他所にも存在しません。
だから、今の現状の中で、その片鱗を感じることが出来なければ、死後に行き着くことは不可能なのが霊的真相です。死んでからでは、遅いのです。
では、その高次元の片鱗とは何か?
今日もご飯が食べられて有り難いな、今日も息が吸える、今日も体が動く。。。と日常のアタリマエとしている物事に、神の片鱗を感じることが出来れば良いのです。このアタリマエが継続すること自体が、科学的にも不可思議的な確率の組み合わせの上での事なのです。

今が苦しい人は、今までにアタリマエにしている物事が多かった人だとも言えます。だから逆に言えば大丈夫です。
今から、苦しくても現状の中で感謝するべき視点に気付きましょう。
職場の事で心を傷めるほど悩むのならば、そもそも働いている事に感謝をしましょう。働ける肉体の健康と、住む環境が在るから勤務が出来るのです。
夫婦の事で悩むのならば、それでも生活が出来る事に感謝をしましょう。独身の時は、どれほど結婚をしたかったのか?
アタリマエにして「しまって」いる事に気付くことは、仕舞われて隠れている神様に気付くことと同じなのです。

生かして頂いて ありがとう御座位ます


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