子育て

2013-11-17 23:14:45 | まとめ

妻が亡くなったのは、愛娘が幼稚園の年長さんだった。

5歳。

娘に対しては、なんだか罪悪感がある。

あなたの大切なママを守ってあげられなかった。

実際、私が死亡原因でもなんでもないのだが、何故かしら罪悪感があるのだ。

その反動だろうか、甘やかして育ててしまったと思う。

もう遅いか(笑)。 既に高校2年生。

『あとは自分で何とかしてくれ~』って感じだな。

でも、子育てを放棄したつもりはない。

多分、一生「娘は娘、何歳になっても私の娘」なんだろうなぁ。

私は妻を喪い、娘は母を喪った。

娘も子供なりに大きな大きなショックであったろう。


死別当初、いや少ししてからかな~、『死にたい』と思ったことがある。

しかし、死ねなかった。

娘の顔がよぎった。

まるでドラマのように……。



妻が亡くなって半月後位だったろうか、娘の幼稚園でのお遊戯会。

いや~、辛かった。

泣けた。

当時は、きっとたくさんの幼稚園関係者や保護者の方にお世話になったのだろう。

が、その時はまったく周囲が見えなかった。

今思うと、反省反省。

子供も育て、仕事も行って、家事もこなす、~なんてできる訳がない。

そう、だれかの助けをかりないとできたい。

たとえできとしても、短期間だろうし、そこまで自分を犠牲にしていては、子供に見透かされる。

なので、最初から子育てに関しては、誰かを頼った。

それが、結果的には正解だったようだ。

お世話になった方々全員に感謝したい。

お礼も言いたいが、いまとなってはそれも無理。

なので、当時の恩はこれから返そうと思う。

きっと、恩やお金は天下の周りモノ。

いろんな方にお世話になったから、いろんな人たちに返そうと思う。

そうそう、思い出した。

一番悩んだのは、同性でなかったこと(笑)。

小学校高学年になり、生理が始まる前は焦った焦った。

その時にお世話になったのが、ネットでたまたま知り合った「保健の先生」だった。

もちろん、名前も住所も存じ上げない。

その保健の先生から一冊の本を紹介され、なんとか無事にその問題は乗り切れた。

後日談だが、その本は娘の友人の間を渡り、ご家族の方にも好評を博した。

そんな巡り会いがなかったらと思うと、ぞっとすること多数。

なんだ、私ってけっこう運が良いのかもね。







育児・子育ては、独りじゃ無理だ。

肩ひじ張らず、他人の力を借りよう。

あとで、返せばいいじゃないか、どんな形でも。


それから、子供が小さい時期なんて本当に短い時間だ。

できる限り一緒に過ごそう。

楽しい思い出をたくさんつくろう。

いつか、私に黄泉の国から迎えが来たとき、土産話が少ないとつまらないからね。







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