人生いろいろブログ

ありのままの日常を綴っています

スウェーデン物語 (19)

2011年02月18日 | Weblog
当時の私は、離婚していて金銭的にも余裕がありませんでした。

仕事も安定していませんでした。

でも20年間積立していたお金が満期になり、以前からそのお金が満期になったらスウェーデンに行くことを決めていた私は、今しかない!と判断し一人スウェーデン行きを決意したのでした。

その時の旅日誌です。

旅の目的(6月1日)

スウェーデン出発の前日(6月7日)


旅日誌(6月8日)

旅日誌(6月9日)

旅日誌続(6月9日)

旅日誌(6月10日)

旅日誌続(6月10日)

旅日誌(6月11日) 驚きの写真をご覧下さい

旅日誌続(6月11日) お墓参りです

旅日誌(6月12日)

旅日誌続(6月12日)

これ以降も興味がありましたら2008年6月29日からのブログをご覧下さい。


そしてこの旅日誌には書いていない

まだ誰にも話していないことを明日書くことにします。

明日につづく・・・


スウェーデン物語 (18)

2011年02月17日 | Weblog
スウェーデンの時の写真は、今でもアルバムに貼らないでそのまま束になって持っています。

私が2人の子供の母になっても時々当時のことを思い出していました。

不思議な事に圭吾さんのことよりもおじ様の事を思い出していました。

おじ様に注意されたこと。

おじ様に叱られたこと。

教えられたこと。

あんなに自由のない生活だったけれど

あんなに他人の私を大事にしてくれた人はいないだろう。と・・・

決して幸せな結婚生活を送っていなかった私にとって

人を傷付けて自分が幸せになることは有り得ないのだろうと

身をもって感じていた私は、時が経つにつれて“懺悔”という気持ちが深まってきたのです。


『いつか再びスウェーデンに行こう!そしておじ様のお墓に懺悔しに行こう!』

それが私の当時の思いでした。

その思いは、何年経っても消えることはありませんでした。

そして遂に私は、二十数年経って2008年の6月にスウェーデン行きを実現させたのです。

つづく・・・

スウェーデン物語 (17)

2011年02月16日 | Weblog
人は誰しもが封印したくなるような過去がひとつくらいはあると思います。

でもどんな経験でも、そのことがあったからこそ今の自分がいて

その経験によって多くの学びがあり、多くのことに気付きを頂いているのです。

その後私は、吉田家に対して慰謝料100万円そして自分の両親に対して100万円合わせて200万円のお金を自ら申し出て約2年半かけて返済したのでした。

このスウェーデンでの出来事は友人にさえ話す気にはなれませんでした。

でも私の心の中では大きなしこりとしていつまでも残っていたのでした。

年を重ねても決して当時のことを忘れることが出来ませんでした。

どんな理由があろうともわたしを可愛がってくれたおじ様おば様

私を愛してくれた圭吾さん

そんな人達を裏切ってしまったことは、どんなに消し去ろうとしても

決して消すことは出来ませんでした。

あの美しかったスウェーデンの地に2度と行くことは出来なくなってしまったのです。

その後、風の噂でおじ様が癌で亡くなられたと聞きました。

まだ50半ばだったと思います。

あまりにも早すぎる死でした。

つづく・・・

PS

まだまだ続きます。

何故このスウェーデン物語を書こうと思ったのか・・・

最後まで読んで頂けたら幸いです。

スウェーデン物語 (16)

2011年02月15日 | Weblog
玄関には翌日の鑑別士たちの出発時間が貼っています。

5時と書いてありました。

とうとう私は朝まで一睡も出来ませんでした。

母に気付かれないようにそっと部屋を出ました。

圭吾さんは他の鑑別士達と一緒に仕事場に行くので圭吾さんが来るのを外で待っていたのです。

鑑別士の人達は新しい人に代わっていました。

圭吾さんは私の姿に気が付き、車から降りて私の方に近付いてきました。

『起きてくれたんだね』と言って、『ちはる元気でね』って優しくハグしてくれました。

『ありがとう。圭吾さんも仕事頑張ってね。』と、言ってお別れしたのでした。

その後、私は彼と一緒にウインドサーフィンした海に歩いて行きました。

どんよりとした朝のお天気

少し肌寒い季節、空は灰色でした。

一人海を見て、私は何をしてきたのだろう。

私は何故ここにいるのだろう。

圭吾さんを傷付けてしまった罪の深さなのか

彼を失ってしまった悲しみなのか

ただただ涙が止まりませんでした。

つづく・・・

スウェーデン物語 (15)

2011年02月14日 | Weblog
私は母と二人で謝りにスウェーデンに行きました。

吉田家が住むスウェーデンの小さな町の駅に着いた時

圭吾さんが迎えに来てくれていました。

長かった私の髪はショートに切られていました。

『髪切ったんだぁ・・・なんか痩せたね。。。』と、圭吾さん

それから私達は二人っきりでカフェに行き、そこで彼に事情を話しました。

圭吾さんは、殆ど諦めていたようで

『ちはるの気持ちは変わらないんだね』と、圭吾さん

私がうなずくと、圭吾さんはそれ以上何も言わずに、私を責める事もなく

ただただ悲しい表情をしていたのでした。

そんな彼を見て、私の心は動揺していました。

でも今更ここにきて曖昧なことは言えない。。。

それから私は、敷居の高い吉田家に行き1泊させてもらいました。

おじ様もおば様ももう何を言っても仕方ないと思い諦めて私たち親子を迎い入れてくれたのです。

吉田家の人達との最後の食事

食べ物が喉を通らないということを初めて経験したのでした。

私と母はゲストルームに泊まりそして翌日吉田家を去ることになっていました。

その日の夜、なかなか寝つけませんでした。

つづく・・・

スウェーデン物語 (14)

2011年02月13日 | Weblog
ダイニングルームでなんやら父と母が話をしていました。

母は泣いていました。

『私は最初からちはるがスウェーデンに行くことは反対だったのよ!あなたが賛成したから・・・』と、母は泣きながら父と口喧嘩をしていました。

父はいつも子供のやることに頭ごなしに反対する人ではありませんでした。

自分の感情など押し殺して、常に相手の気持ちを尊重してくれる人でした。

だからちはるが決めたことだから、賛成してあげようと母に言っていたようです。

でもその日の夜、母は遂に爆発してしまったのです。

そんな母の泣き顔を見て

『わたし・・・スウェーデンに行かなくてもいいよ。日本にいたい。』と、思わず私が発したら

父にもの凄く叱られて

『お前は何を言っている!1日しっかりと考えろ!』と、言われ

そして翌日・・・

私が泣きながら日本にいたい。。。と、言うと

父も母も急遽結婚を取り止める方向に動いたのです。


両親はスウェーデンに電話をしてくれました。

その時のおじ様の怒りは大変なものでした。

その後仲人を頼んでいたおじ様の友人の家に謝りに行きました。

札幌から車で3時間ほど離れた所です。

そして誠意を見せると言うことで、私は母と一緒にスウェーデンにまで行って

直接おじ様達に会ってお詫びをして来たのでした。

24歳の私にとって、自分の発した言葉の責任の重さを十分に感じて

私はすっかり痩せてしまいました。

いいこちゃんで育ってきて私は

スウェーデンの地でいいこちゃんで暮らしていましたが

いいこちゃんを演じきることが出来ませんでした。

両親始め圭吾さんのご両親、周りの人達に多大なる迷惑を掛けてしまい

そして何よりも圭吾さんを傷付けてしまったのです。

つづく・・・


スウェーデン物語 (13)

2011年02月12日 | Weblog
日本に帰ってから両親始め私の友人達も、私の結婚に驚いていました。

正に玉の輿だったのです。

日本でも披露宴をしようと札幌では格式高い由緒あるグランドホテルに予約を入れました。

新婚旅行は、私が以前から行きたかった沖縄の島巡り

海外旅行はこれから毎年行けるので、沖縄に行こうと言うことにしたのです。

私の母は、スウェーデンでの結婚パーティーに着る着物を新調しました。

100万円相当したそうです。

着付け教室に通いました。

日本に帰りやっと自由を得た私は、久し振りに友人達に会って遊びまくりました。

そんな時、ひょんなことからミスコン(ミスヘルシーギャルコンテスト)に出場した私は

なんと優勝して賞金10万円と沖縄旅行をゲットしました。

24歳でした。

スウェーデンに送る荷物をまとめて私の部屋はダンボールだらけになっていました。

そんなある日の夜・・・

つづく・・・

スウェーデン物語 (12)

2011年02月11日 | Weblog
おじ様とおば様に呼び出されて

『圭吾さんのことは好きだけれど、日本に帰って両親に話さないといけないから待っていて欲しい』と、私が言うと

『二人の気持ちが同じなら何も考える必要などないじゃないか!直ぐ日本に電話しよう!』と言って、その場で私の両親に電話をしたのです。

『お父さんですか?今、家の圭吾とちはるさんが婚約しました!』と・・・

『ちはるさんがお父さんの了解を得ないとと言っていますが、こんなめでたいこと反対などしないですよね!』と、おじ様は私の父に電話で言ったのです。

放任主義家庭だった我が家は、小さい頃から自由で本人の意志を尊重した育てられ方をしていました。

ですからこんな時でさえ私の父は

『そうですかぁ・・・本人が決めたことですから』と、応えたらしい。

母に替わって

『ちはる、何言ってるの!?どう言うこと!?』と、母

『ごめんなさい。こいうことになっちゃって・・・』と、わたし

電話を切ったらおじ様が

『お祝いだ!シャンパンだ!』と・・・

娘のひろこちゃんまで呼び出して

皆でお祝いしてくれました。

好きになれなかったおじ様やひろこちゃんまでがわたしと圭吾さんのことを喜んでくれて

その時私は、この吉田家に嫁ぐ覚悟を決めたのでした。

ところが・・・

つづく・・・

友人のブログ紹介

2011年02月10日 | Weblog
友人のブログです。

同じ個人事業主でお店をやっている彼女が約3週間サロンをクローズして

ハワイ女神修行に行って来ました。

その彼女のブログをご覧下さい。

かなり長いので”峰子の心の声”を特に読んで欲しいと思います。

私はそんなブログネタが好きなのです。

峰子ちゃん、共感です!

スウェーデン物語 (11)

2011年02月10日 | Weblog
私は圭吾さんと恋人同士のように付き合い始めていました。

でもやっと日本に帰れるのです。

圭吾さんと別れることは悲しいけれど、でも日本に帰れることが嬉しかった。

そして圭吾さんもまた私との別れが辛かった。

そんなある日

圭吾さんから『結婚して欲しい』と、プロポーズされたのです。

私の気持ちが固まるにはあまりにも短過ぎるスウェーデンでの暮らしでした。

吉田家の長男の嫁として嫁ぐには簡単に答えを出せる問題ではありませんでした。

私は正直に彼に自分の思いを伝えました。

圭吾さんのことは好きだけれど、おじ様と上手くやっていく自信がないこと、このスウェーデンで暮らす決心がつかないこと等をきちんと彼に話しました。

でも彼は、両親とは一緒に暮らさないこと、年に1回は日本に帰らせてあげること、そして何よりも私を幸せにすると言ってくれたのです。

彼の気持ちは嬉しいけれど、でも日本に帰って私の両親に話さないといけないし、もう少し時間をかけて考えたいから待っていて欲しいと言ったのですが・・・

私が日本に帰る日が近付いて焦っていたのは、圭吾さんだけでなく、おじ様おば様もだったのです。

私と圭吾さんの仲を知って、彼の両親は息子の圭吾さんに

『早くなんとかしなさい!』と言うようなことを言っていたようです。

『ちはるの気持ちだけでも両親に伝えて欲しい』と圭吾さんに頼まれた私は

ある日の夜のことです。

つづく・・・