人生いろいろブログ

ありのままの日常を綴っています

スウェーデン物語 (10)

2011年02月09日 | Weblog
彼のマンションはいつものようにきれいでした。

『どこを掃除すれば良いの?窓拭き?』と、わたし

『窓は終わったよ。どこもないよ。全部やっちゃたよ。疲れただろう?』と、言ってジュースを持ってきて

ミュージックをかけてくれて、ブランケットを持ってきてくれて

『僕は、2階で仕事をしているから横になって休んでなよ!』と、言って

彼は2階の書斎に行ってしまいました。

一人リビングルームに残された私の目から涙が溢れてきました。

彼の優しさが心に染みました。

その後のことは読者の皆様のご想像にお任せします(笑)


3回目の外国への旅行は吉田家の皆と隣の国のデンマークでした。

おじ様、おば様、圭吾さん、ひろこちゃんと私

まるで吉田家のお嫁さんのように・・・

私の心の中には不安な気持ちが渦巻いていました。

私はスウェーデンに来て1ヶ月位で日本に帰りたくて仕方ありませんでした。

おじ様のことをどうしても好きになることが出来ませんでした。

そして娘のひろこちゃんのことも好きになれませんでした。

でも小さい頃からいい子ちゃんで育った私は、そんなそぶりを見せることもなくみんなに可愛がられていました。

そして当初の約束で(1年間)私が日本に帰る日が近付いてきた頃

つづく・・・

予告編

2011年02月08日 | Weblog
スウェーデン物語を読んで頂きありがとうございます。

ひょんなことから書き出した実際にあった話

長い間自分の中で封印していた話ですが

楽しく読んで頂いているようですので、まだ誰にも話してない2008年にあった出来事でこの話を終わらせようと思っています。

あれから3年近く過ぎてやっと人に話す気持ちになれました。

まだまだ続きます。

北海道の2月はとても寒さが厳しい季節です。

完全に私はウツ状態でふさぎこんでいます。

現実逃避をするのには、私にとって最高の題材です。

過去があるから今の私がいるのです。

決して忘れてはいけない過去の過ち・・・

そんな昔を振り返ってみたいと思います。

スウェーデン物語 (9)

2011年02月08日 | Weblog
鑑別士達は、一番早い時間で夜中の2時、次に朝の5時、そして8時に仕事に行きます。

ですから私はその前に起きてみんなの朝食の用意とお弁当(オープンサンド)を作ります。

その後、おじ様とおば様と朝食を取り、そして掃除に洗濯に犬の世話をします。

おば様は街にアクセサリーや小物を売っているお店をやっていました。

私はそのお店も時々手伝っていました。

年末も近付いていた頃、鑑別士の人達がもう既に休みに入っていた時

私は一人で吉田家の大掃除をしていました。


鑑別士の人達がリビングルームでくつろいでいる所を私は、一人忙しく掃除をしていたのでした。

とても大きな家です。

やってもやっても終わりません。

確か30日だったように思います。

『お母さん、ちはるさんに僕のマンションの掃除を手伝ってもらいたいんだ』と、圭吾さん

『ちはるちゃん、圭吾のマンションのお掃除もお願出来る?悪いわね』と、おば様

私は、内心悲しかった。

私は吉田家に雇われているのに・・・圭吾さんのマンションのお掃除までさせられるなんて・・・

もうクタクタでした。

1日中動いていて疲れていました。

夕方、彼のマンションに行ったら・・・

つづく・・・

スウェーデン物語 (8)

2011年02月07日 | Weblog
日本に帰りたいと思いながらも、ここにいると旅行が出来る。

私にとってはそのことが最大の魅力でした。

籠の鳥、自由はないけれど、旅行している時は自由です。

そんな風に割り切ってスウェーデンでの生活に慣れてきた頃

あれは確かクリスマスイブの夜

『圭吾がちはるちゃんをお食事に招待したいらしいの』と、おば様

私は、当然のように他にも誰かいるのかな?と、思い彼のマンションに向かう。

誰もいない。。。

彼が作ってくれたチキンにサラダにスープ。

そしてワイン

なんとなく不安が過ぎる。

食事の後は彼が作ってくれたカクテル、ソルティードック

その後のことは、あまり記憶にはありませんが

おじ様おば様公認で、私は圭吾さんのマンションに泊まりました。

私は彼のことを嫌いではありませんでした。

彼はいつも優しくてどんな時でも私の味方でした。

だから私は段々と彼のことを好きになっていったのです。

つづく・・・

スウェーデン物語 (7)

2011年02月06日 | Weblog
日本でビザが下りなかった私は、観光ビザで入国するしか方法がありませんでした。

ですから3ヶ月ごとに他の外国に行かないといけなかったのです。

当初の約束でアメリカにいる友人とニューヨークで待ち合わせて1ヶ月かけてヨーロッパ旅行に出掛けました。

1ヶ月間はとても自由なわたしでした。

でもまたあの自由のない生活に戻るかと思うと

帰りの列車の中で吉田家が近付いて来た時、胃が痛くなるほど帰りたくありませんでした。

それくらいそこでの生活が嫌だったのです。

そして更に3ヶ月が近付いた頃

私は一人で外国への旅を決心しました。

でもそれはおじ様から大反対され、ボーナスと言うことで、娘のひろこちゃんと二人で

スペイン領土のアフリカの西の方にあるカナリアン諸島への旅行をプレゼントされました。

それは、今までの中で最も楽しくなかった旅行でした。

何故ならわたしとひろこちゃんは性格が全く合わなかったからだったのです。

たぶん、ひろこちゃんも私との旅はつまらなかったのでしょう。。。

でもなんだかんだ言っても、普通では経験出来ない事をさせてもらっていたことに対する感謝の気持ちが湧いてきたのは、それはかなり後になってからのことでした。

つづく・・・

スウェーデン物語 (6)

2011年02月05日 | Weblog
スウェーデンでの暮らしも数ヶ月が過ぎた頃

おじ様とおば様が日本に行くと言うことで、私と息子の圭吾さん、そして鑑別士の人達とでお留守番することとなりました。

圭吾さんの提案で夕食作りは当番を決めてやろう!と、言ってくれたので

私一人で食事を作らなくても良くて、なんだかとても楽が出来て嬉しかったのを覚えています。

10日間位だったと思います。

みんなで海に行ったり、ディスコに行ったり、毎日のように一緒に遊んでいました。

たぶん、スウェーデンでの生活で一番楽しかった日々でした。

そんなこともあり、やっと私が圭吾さんや、鑑別士の男性とも打ち解けてきた頃

ちょっぴり酔っ払った私は、圭吾さんに

日本に帰りたい。ここでの暮らしは辛い。。。と、言ってしまいました。

圭吾さんも辛そうな顔をしていました。

『僕がちはるさんの望むようにするからもう少し頑張って欲しい』と、頼まれ

その時から、私が彼に心を開くようになったのです。

彼と出掛けることが楽しくなりました。

ウインドサーフィンも少しずつ上手になりました。

彼の友達とも積極的に親しくなるように努力しました。

おじ様もおば様も、私と圭吾さんが仲良くすることをとても喜んでいました。

でも・・・私は不安でした。

このままいったら私は、おじ様やおば様の望む通りにさせられるかもしれないと・・・


つづく・・・

スウェーデン物語 (5)

2011年02月04日 | Weblog
いつものように私があやちゃんの部屋に行っていた時です。

おば様が私の部屋に来て私がいないことに気がついたようです。

それにおば様達のお部屋から鑑別士達の部屋の廊下が中庭のを挟んで見られるようになっていたのです。

どうやら私が時々あやちゃんの部屋に入っていくことがおじ様やおば様のご機嫌を悪くしてしまったのです。

『そんなにあやちゃんと会いたいのならちはるちゃんのお部屋に来てもらいなさい。』と言われ

後で分かった事ですが、おじ様やおば様は、私とあやちゃんが仲良くすることが嫌なのではなくて、他の鑑別士の男性と親しくなることが嫌だったのです。

『圭吾がちはるちゃんをパーティーに連れて行きたいって言うの』と、おば様

『お母さん、ちはるさんをテニスに誘って良いですか?』
『ウインドサーフィンに連れて行って良いですか?』と、圭吾さん

いつも買い物は、おじ様とおば様と一緒

『何食べたいの?ちはるちゃんの食べたい物なんでも良いのよ。冷蔵庫の中の物は、何食べても良いのよ』と、言われ

私は、常におば様とおじ様と一緒

遊びに行くときは圭吾さんと一緒

スウェーデン人とのパーティーは、私だけスウェーデン語も英語も話せずに、圭吾さんが通訳してくれる。

つまらなかった。

生まれも育ちも違う圭吾さんと一緒にいてもつまらなかった。

だけど私がこの吉田家で暮らして行くには圭吾さんと仲良くするしか方法がありませんでした。

つづく・・・

スウェーデン物語 (4)

2011年02月03日 | Weblog
彼女より少し早くこの町に来ていた私は、20分ほど歩けば着く海に案内したくて、夕食後一緒に散歩に行かない?と誘いました。

後片付けが終わり、彼女のいるリビングルームに迎えに行こうとすると

おじ様に『どこに行く!?』と、聞かれ

『あやちゃん(仮名)と海までお散歩に・・・』と、言ったら

凄い勢いで叱られ

千春ちゃんと彼らは違うんだと・・・

彼らは日本から来ている吉田家の使用人

当時鑑別士(ひよこの雄雌を鑑別する仕事)の収入は3年働いたら家が建つ(3千万円)ほどの額で

彼らのお金も全ておじ様が管理していて彼らには殆ど自由はありませんでした。

20代の彼らは3年働いてスウェーデンでの生活費を引いても2,3千万円は残るというそんな仕事だった為に、かなり拘束された生活を送っていたのでした。

そんな事とは知らずに、2つ下の日本からきたあやちゃんと仲良くしようとしていた私は

そんなことは簡単には出来ないのだと、その時思い知らされたのでした。

同じ年の娘、ひろこちゃん(仮名)は、もう家を出ていたのでたまにしか帰ってきません。

スウェーデン生まれのスウェーデン育ちの彼女とは、どうも性格が合いませんでした。

だから私には3才年上の息子圭吾さんとしか話す相手はいなかったのです。

スウェーデン育ちの彼もまた、話が合いませんでした。

私は夜中にこっそり自分の部屋を抜け出して、鑑別士のあやちゃんの部屋に行き

ベットの中に潜り込んで、いろいろな話をしていました。

でも、ある日そのことがおじ様にバレてしまったのです。

つづく・・・

スウェーデン物語 (3)

2011年02月02日 | Weblog
小さい頃から掃除が得意な私でしたが、でも厳しいおじ様からはいろいろと注意を受けることも度々でした。

典型的な昔的な性格で亭主関白なおじ様は、私にとってはとても苦手な存在でした。

先ずは挨拶から始まって、事細かに注意をされる。

夕食時は、おじ様がビールを飲み終わるや否や冷蔵庫の方に行って冷えたビールを持って行く。

全てがおじ様中心に回っている家でした。

鑑別士の人達もビクビクしていて、周りの人達全てがおじ様に合わせていたのです。

その妻であるおば様は、やはり日本の女性で、決しておじ様に逆らうことなく、常に夫を立てて夫の言う事には服従でした。

私の仕事は食事が終わり後片付けが過ぎた20時頃

やっと自分の自由な時間が持てるのですが・・・

いつもおば様から

『千春ちゃん、2階に来てデザート食べましょう』と、誘ってきます。

いいこちゃんで育ってきた私は、断ることも出来ずに22時くらいまでおじ様とおば様のお話の相手をして、そしてやっと自分の部屋に戻る、そんな毎日を繰り返していたのでした。

そんな吉田家(仮名)での暮らしに少し慣れてきた頃

日本から来た新しい鑑別士の中に2歳年下の女性がいて

その彼女と仲良くしたかった私は、夕食の時に彼女と海の方に散歩に行く約束をしました。

しかしその日初めて鑑別士と自分との違いを思い知らされたのでした。

つづく・・・

スウェーデン物語 (2)

2011年02月01日 | Weblog
その豪邸の広さをどうやって説明したら良いか分かりませんが

とにかく広いお宅で

私の部屋は、息子、圭吾さん(仮名)が使っていたお部屋で、私専用のトイレとバスルームに小さなリビングルームがありました。

『今日からこのお部屋があなたの部屋よ』と、言われ

全部の部屋に案内されました。

鑑別士達の部屋は一人4畳半のベットルームに大きなリビングルームがあり

そして専用のトイレとバスルームがありました。

ご夫婦の部屋は2階でそこにも大きなリビングルームに畳の部屋(日本から輸入)ホームバーに大きなベットルームにバスルームさらにキッチンにベランダまでありました。

1階の部屋は皆がお食事をするダイニングルームとお客様がお見えになった時の為のゲストルームです。

地下には食料庫と物置とランドリールームにサウナルームです。

息子さんはもう既に家を出ていて自分のマンションを持っていました。

そして娘さんも家を出ていて彼氏と同棲中でした。

ですからその豪邸にはご夫婦と3人の鑑別士達と犬が2匹暮らしていたのです。

私は私を含め、そして夕食の時は必ず訪れる息子の圭吾さん、全員で7名分の食事の用意と掃除洗濯が私の仕事でした。

中学校の時から家事をしていた私にとっては、お料理の味付け以外は、特に難しいことはなく、とにかく1日中動き回らなければならないくらい大きな家でした。

お手伝いの私でしたが、ご夫婦からは娘のように可愛がられ

『おじ様、おば様』と、言わされ

そして皆からは千春ちゃんと呼ばれていました。

22歳で私は人生で初めて他人の家での暮らしを経験したのでした。

しかもそこは、日本から遠く離れたスウェーデンの地だったのです。

つづく