久しぶりに、「葛城の道」の「名柄」を散策してきました。奈良県御所市の郊外にある小さな集落です。葛城山の尾根をひかえた「名柄(ながら)」の地名は、古くは「長柄」といいそれがいつしか転じて現在の名になったといいます。「名柄」は宿場町として栄えた町です。町の中心にある「長柄神社」は、日本書紀に記されている由緒ある神社です。
今回は、日本書紀にも登場する「長柄神社がある名柄の街」を紹介したいと思います。
町の中央には、日本書紀にも登場する「長柄神社」が鎮座しています。神社は町の中にありながら、何本も巨木が境内に聳え、その歴史の深さを感じさせてくれます。本殿は一間社春日造・檜皮葺・丹塗り、創建年代は不明ですが、建築様式から1450年ころと思われます。『日本書紀』には、680年9月9日条に「朝嬬に幸す。因りて大山位より以下の馬を長柄杜に看す。乃馬的射させたまふ」とあり、天武天皇が「長柄神社」にて流鏑馬をご覧になったことが記されています。とても静かな雰囲気のある神社でした。
「名柄」は、明日香村からは車で約30分位の所に位置します。神社の前の道が「水越街道」です。かつて多くの人がこの道を登り、峠を越えて大阪と行きかいした場所です。登山や山頂のツツジで有名な葛城山の麓にあるこの地は、奈良と大阪を結ぶ水越街道・御所市を南北に貫く葛城古道(名柄街道)が交差する場所であったため、古くから交通の要衝として栄えていました。今でも当時の重厚な家屋が眺められるほか、古い郵便局を改装したカフェやこだわりの豆腐店もあり、散策に最適なスポットになっています。ここには旧街道沿いに古い民家が軒を連ねていて、江戸時代の雰囲気を色濃く残しています。中村邸は御所市内で最も古い建築物で、中世、吐田(はんだ)城主だった吐田越前守の子孫にあたる中村正勝が、慶長年間(1596~1615)頃に建てたものと推定されています。江戸初期の家の造りを今に伝えるこの建築物は、全国的にみても歴史的価値の高いもので、国の重要文化財にも指定されています。また、名柄の地には、末吉邸、久保邸など、江戸中期の特徴的な建物も多く、現在でも大切に生活の場として利用されています。そのため、残念ながら中村邸を始め建築物や敷地の中には入って見ることができませんでした。大和には、この様な古い街並みが数多く残っていますね~。久しぶりに、のんびりと散策することが出来ました!