奈良県明日香村島庄にある「石舞台古墳」(国の特別史跡)は、日本最大級の横穴式石室を持つ古墳です。 また、明日香村観光の人気スポットでもあります。
今回は、明日香村を代表する古墳「石舞台古墳・島庄遺跡」(後)です。
〇被葬者は、蘇我馬子であったとする説が有力です。『日本書紀』の626年五月の条に「大臣薨せぬ。仍りて桃原墓に葬る」とあり、大臣は蘇我馬子を指してい ます。また、石室が露出しているのは、色々な説があります。いくつか、紹介したいと思います。一つは、封土を田んぼの土として利用したのではないかという説です。昭和初期の風景を見ると発掘調査前は、石室の周りは水田でした。もう一つは、蘇我馬子の横暴な態度に反発した後世の人が、封土を取り除いたのではないかという説です。なんとなく、こちらの説の方が真実味がありそうですが・・・ はたして、真実は?
石室については、ほとんどの埋葬品が盗掘に遭っており、僅かに石棺の欠片等が発見されるに留まりました。現在、僅かに石棺の欠片等から推測される復元された家形石棺(石川県小松市の滝ケ原石を使用)を外堤で見ることができます。石棺の欠片から、大阪と奈良の境にある二上山の凝灰岩が用いられたようです。何と明日香村から約20㎞離れています。
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〇外提の西側には、かつて7基の古墳がありました。古墳の規模は、約8~18mの円墳・方墳でした。6世紀末頃の築造と考えられています。古墳の築造にあたって、周辺にあった古墳を削平したようです。現在その場所は、石舞台古墳の入り口付近の「芝養生中」と書いてある空き地です。説明板等はありません。
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〇石舞台古墳がある周辺は、「島庄遺跡」といいます。縄文時代から中世までの複合遺跡です。旧小学校跡地(現在は、駐車場)は、蘇我馬子の邸宅や草壁皇子の「嶋宮」があったことが想定されています。飛鳥時代の遺構として、掘立柱建物や一辺40mを越える方形池をはじめ、石組溝・曲溝・小池等がみつかっています。方形池は、9世紀まで存続し、現在も水田の畔の形状として遺存しており、今もその跡を観察できます。旧小学校跡地(現在は、駐車場)前で、見ることができます。
明日香村に来られましたら、「石舞台古墳」は勿論ですが、古代の方形池跡等も見学されてみて下さい。
石舞台古墳の周りは、桜の木が植えてあり、春がお薦めです。とても綺麗ですよ!
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