国史跡「古代寺院 海会寺(かいえじ)」跡は、大阪府泉南市信達大苗代(しんだちおのしろ)にある寺院跡で、出土した瓦などの遺物や伽藍配置などから、7世紀中頃の創建と推定されています。
今回は、飛鳥時代に創建された国史跡「古代寺院 海会寺(かいえじ)」跡を紹介したいと思います。
私がとても気に入っている「飛鳥が大好きなサークル」の皆さんや、お世話をしていただいている事務局の方々・現地で詳しく解説していただく先生と共に、JR阪和線和泉砂川駅から街道の雰囲気がよく残っている「熊野街道」を歩きながら、「海会寺(かいえじ)」跡を目指しました。
(行程)
JR阪和線和泉砂川駅ー熊野街道ー信達宿の野田藤ー真如寺(紀州藩の隠れ本陣)-信達本陣跡ー海営宮(かいご)池(行基によって開かれたとの伝承を持つ池)ー厩戸王子(宿泊施設)ー史跡「海会寺(かいえじ)」跡広場ー泉南市埋蔵文化財センターJR阪和線和泉新家駅
「海会寺(かいえじ)」跡は、大阪湾の沿岸、泉南地方最南端の標高約20mの段丘に立地し、その大部分は一岡(丘)(いちおか)神社境内地にあたります。白鳳(はくほう)期創建の法隆寺式伽藍(がらん)配置をとる古代仏教寺院の跡で、寺院を建立した氏族の居宅跡が、同一地域内で確認されています。古代寺院の実態解明に重要な遺跡として、1987年(昭和62)に国の史跡に指定されました。「海会寺」は、かつて主要伽藍を配した堂々たる寺跡です。この寺院は、不思議にも寺伝、縁起、古文献に記録をとどめていません。
現在、金堂基壇や南門、築地、中門、回廊、塔、講堂などが残り、出土品のうち302点は「海会寺跡出土品」として国の重要文化財に指定されいて、隣接する古代史博物館に収蔵・展示されています。飛鳥時代の軒丸瓦等がとても素晴らしかったです。
今からおよそ1350年ほど前、大阪湾からこの丘にそびえる「海会寺(かいえじ)」の五重塔が見えたはずです。大王(天皇)の権力は、畿内の南まで及んでいるのだと知らしめるための「象徴」だったのでしょうか。謎だらけの「古代寺院」です。
今回、飛鳥の地から約2時間かけて泉南の地の歴史散策でしたが、古代寺院「海会寺(かいえじ)」跡は、とても不思議で魅力的な寺院でした!