133年前の明治のはじめ,1873年に,東京・麹町の薬種問屋,「小西六兵衛店」が写真器材や石版器材の取扱を開始した.
その後、この会社は、国産初の印画紙、国産初のカラーフィルム、世界初のオートフォカスカメラなどを開発し,写真技術の専門学校( 現在の東京工芸大学) も設立するまでに成長した.それがコニカミノルタの「コニカ」である.
78年前の昭和のはじめ,1928年に,兵庫・武庫川で,田嶋一雄 が設立した「日独写真機商会」において,ドイツ人技術者の技術指導をうけドイツのローライ社カメラの研究がはじまり,翌年にはレンズ,シャッターなどには輸入部品を用いた"ニフカレッテ"カメラが発売された.
その後,この会社は、国産初の二眼レフカメラを発売し,NASAに宇宙船搭載用のカメラや露出計を提供し,世界初のオートフォーカス一眼レフカメラを開発する.それが,コニカミノルタの「ミノルタ」である.
コニカとミノルタは,日本の写真/光学機器の業界では,最も古い歴史を持つ会社であり,2003年,つまり,コニカの創業から130年目,ミノルタの創業から75年目に経営統合し,「コニカミノルタ」となった.
このような歴史のある、コニカミノルタの写真とカメラの事業ではあったが、残念ながら,デジタル・カメラによるビジネスの流れの変化にうまく適合できなかった.
銀塩フィルムベースの写真事業からの撤退は時間の問題であったと思う.しかし,デジカメについては,カメラ事業の長い歴史の中での多くの「成功」が「油断」を産み,新しい環境への柔軟な対応が遅れたということであろうか?全く残念なことだ.
2005/01/19 プレスリリース:「カメラ事業、フォト事業の終了と今後の計画について 」
その後、この会社は、国産初の印画紙、国産初のカラーフィルム、世界初のオートフォカスカメラなどを開発し,写真技術の専門学校( 現在の東京工芸大学) も設立するまでに成長した.それがコニカミノルタの「コニカ」である.
78年前の昭和のはじめ,1928年に,兵庫・武庫川で,田嶋一雄 が設立した「日独写真機商会」において,ドイツ人技術者の技術指導をうけドイツのローライ社カメラの研究がはじまり,翌年にはレンズ,シャッターなどには輸入部品を用いた"ニフカレッテ"カメラが発売された.
その後,この会社は、国産初の二眼レフカメラを発売し,NASAに宇宙船搭載用のカメラや露出計を提供し,世界初のオートフォーカス一眼レフカメラを開発する.それが,コニカミノルタの「ミノルタ」である.
コニカとミノルタは,日本の写真/光学機器の業界では,最も古い歴史を持つ会社であり,2003年,つまり,コニカの創業から130年目,ミノルタの創業から75年目に経営統合し,「コニカミノルタ」となった.
このような歴史のある、コニカミノルタの写真とカメラの事業ではあったが、残念ながら,デジタル・カメラによるビジネスの流れの変化にうまく適合できなかった.
銀塩フィルムベースの写真事業からの撤退は時間の問題であったと思う.しかし,デジカメについては,カメラ事業の長い歴史の中での多くの「成功」が「油断」を産み,新しい環境への柔軟な対応が遅れたということであろうか?全く残念なことだ.
2005/01/19 プレスリリース:「カメラ事業、フォト事業の終了と今後の計画について 」