披露宴を終えて、2時間後には新幹線に乗って実家へ。
親戚の法事ですが
幼い頃かわいがってくれた親戚の伯父様が亡くなって
まったく実感がわかないまま今日の四十九日を迎えました。
でも
遺影を見ていると、急に悲しみがこみあげて
なんというか、生きるとか死ぬとかそういうことを考えるわけですが
お坊さんの説法を聞いていると
だんだんと
心が鎮まって、前向きな気持ちになるから本当にありがたいと
この歳になって思います。
以前は、お経を聞いて、緊張のお焼香をして終わっていたと思うけど
最近は?こうしてちゃんと「死」について、お話を聞かせてくれるんですねぇ。
「さも当たり前のように生きている」と思わずに、せめて今日一日は
生きている事に感謝をし、見守ってくれている方々に感謝をし過ごすことが
なによりもの供養になるという言葉を胸に、お寺をあとにしました。
伯父様の死をきっかけに、数十年ぶりに再会できた従妹や、その子供たち
に会うことができました。
親戚の法事ですが
幼い頃かわいがってくれた親戚の伯父様が亡くなって
まったく実感がわかないまま今日の四十九日を迎えました。
でも
遺影を見ていると、急に悲しみがこみあげて
なんというか、生きるとか死ぬとかそういうことを考えるわけですが
お坊さんの説法を聞いていると
だんだんと
心が鎮まって、前向きな気持ちになるから本当にありがたいと
この歳になって思います。
以前は、お経を聞いて、緊張のお焼香をして終わっていたと思うけど
最近は?こうしてちゃんと「死」について、お話を聞かせてくれるんですねぇ。
「さも当たり前のように生きている」と思わずに、せめて今日一日は
生きている事に感謝をし、見守ってくれている方々に感謝をし過ごすことが
なによりもの供養になるという言葉を胸に、お寺をあとにしました。
伯父様の死をきっかけに、数十年ぶりに再会できた従妹や、その子供たち
に会うことができました。