原発のある町。佐賀県東松浦郡玄海町。 その町で40年以上も前から今に至るまで原発の危険性に気づき住民運動をされてきた仲秋喜道さん(83歳)。そして玄海町議を6期つとめてこられた藤浦皓さん。このお二人の呼びかけで仲秋さんのお宅で原発勉強会を若者を中心にやっていきたいと声をかけていただきました。(勉強会といってもお茶を飲みながら、お菓子を食べながら自由に意見交換しようという感じ)
少ない人数でもいいから若者と一緒に原発に真剣に向き合い考えていきたいとのこと。
まず、「なぜ若者に力をいれるのか」ということを本題に入る前に話をされました。
それは「これからの未来を担うのは若者だ。その若者に対して力を注がないのは私たちの怠惰になる。真剣に学ぶことで情勢の捉え方は変化する。そんな若者たちの波紋を広げる最初の一滴になってほしいんだ。」と理由を述べられました。
全員が自己紹介をしてから原発に関する玄海町の歴史の歩みを交えながら情勢を教えていただきました。玄海町議会での特別委員会のことや脆性遷移温度、老朽化やプルサーマル、原発マネーなど1時間弱お話された後に意見交換。藤浦さんからは、実際に議会の中で町長の発言や九電の言っていることの矛盾など話をしてもらいました。
2011年3月11日以降の変化も確実にあります。佐賀新聞が事故後に行った玄海町100名世論調査で
事故前 事故後
原発推進 69% → 17%(-52%)
慎重に 27% → 65%(+38%)
と変化が明らかになっています。
この3.11以降の変化。私自身も原発に対する見方が変わった1人です。私の実家は、肥前町入野(10㌔圏内)です。福島で事故が起きたときに真っ先に考えたのは「もし、玄海原発で事故が起きれば自分自身が生まれ育った町。そこに住んでいる友人や家族はあどうなってしまうんだろう。」ということでした。
肥前町には、すばらしい自然や友人、自分の大好きな場所、思い出がたくさんあります。安全といわれていた原発の事故が起こって2年以上たった今でも福島では15万人以上(唐津市は13万人弱の人口)の方が帰れない状態が続き、いつ帰れるのかもわかりません。
原発の新規制基準が6月19日に決まり、7月8日から施行されます。玄海町の岸本町長は「いつ再稼働の状態に入ってもいい」「ハードルは全てクリアできている」と断言しています。経済のことを考えると再稼働しかないともっともらしく聞こえる言い分ですが本当にそれでいいのでしょうか。福島の事故もいまだに炉のなかに入ることができないため事故の原因もわからない状態です。
静岡の大学名誉教授は「国民の命、健康、財産を危険にさらす原発を、自分たちの利益だけを考えて推進する者たちは人間のクズでなくなんだろう」と痛烈な批判をされています。
私は、日本の未来を決めるのは国会議員でなく、国民だと思います。議員は国民の投票によって決まります。
日本の中で原発50基のうち動いているのは2基だけ。電気はたりています。原発ゼロの決断をしてこそ、再生可能エネルギーの研究開発にも思い切り取り組める。新しい産業もうまれ雇用も生まれます。
有権者の1人1人がこれからも「原発推進の日本」のままか「原発に頼らない、自然エネルギーの日本」を選ぶのか選択権があります。
「いくつになっても安心して暮らせる唐津にしたい」
故郷を守り、子や孫、後世に残していくのは私たちの責任ではないでしょうか。
浜の浦の棚田