聖書を読むことは祝福です。ところが残念なことに、多くの教会もクリスチャンも、枝葉の先ばかりを細かく研究しているばかりで、聖書全66巻という“大樹”を見逃していまっています。枝葉部分も大切なのですが、あくまで幹あっての枝葉。『神様は聖書を通してあなたに何を伝えようとしているのか?』という超基本テーマに至るには、聖書の全体像を把握しなければ、その意味と面白さは分かりません。
その最終章、黙示録は聖書66巻の集大成です。今まさに来たり来る終末に向け、その意味を霊で知るクリスチャンだけが、これからこの世界で何が起きるのかをわかることができるのです。しかし黙示録は、聖書の全体枠を知って初めて解明できるもの。神様の言葉として与えられた聖書66巻すべてとリンクし、神様と人間の回復、小羊の婚宴に至るのが黙示録です。66巻目だけ学んでというものではありません。ということで、始められたえんぢぇる師の30分 de 一巻、全66回シリーズ!
初回はもちろん、創世記。が日本語と異なり、ユダヤ式タイトルは各書の冒頭の語がそのままタイトルになるそうで、幾つかご紹介すると「荒野にて」(民数記)、「これが名前である」(出エジプト)、「何で?」(哀歌)などなど。そして、創世記は「初めに」。ヘブル語では、「べレシート(בְּרֵאשִׁית)」です。
一語ずつの説明はこちらのページなどから。(英語ですが。)
http://biblehub.com/lexicon/genesis/1-1.htm
そして音声はこちら。(最初の7秒だけですが。)
天地創造に始まり、エデンの園、楽園追放(堕落)、アダムとエバ、カインとアベル、バベルの塔、ノアの箱舟、アブラハムへの約束、イサク、ヤコブと12人の息子、ヨセフ物語、などなど盛りだくさんの内容の創世記ですが、今日の第一ポイントはこれ!創世記は「光と命」で始まり、「闇と死」(ヨセフの死)で終わるのです。
では、聖書全体は、何で始まり、何で終わっているでしょうか?
創世記1:3、神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。
そして黙示録22:5、もはや、夜はなく、ともし火の光も太陽の光も要らない。神である主が僕たちを照らし、彼らは世々限りなく統治するからである。
そう、聖書は「光」で始まり、「光」で終わってるのです。これ、決して忘れてはならない超重要ポイント!!
3節の光は太陽ではありません。(太陽は4日目に創造されます。)この光は「シャカイナグローリー」=神の光、神の栄光、神様の臨在とともに発せられる光のこと。神様のいらっしゃる永遠の時空から、有限であるこの世界に神様が顕現され、すべてが「始まり」ました。そして神様のかたちに創られた人間が、罪の介入によって破滅の道を辿るようになってすぐ、楽園追放の前に3:15(原福音/Prot-Evangelium)で、人間を罪から救うためのイエス•キリストによる救済計画を、預言されています。 神様はイエス・キリストによって、聖書全体のテーマである愛を繰り返し繰り返し、人間に示されているのです。そして神様の光と共に(内に)、本来の人間に戻る回復の物語が始まった!それが聖書が語ってくれる希望なのです。
さて、闇からどう回復していくか、66週の聖書の旅の始まりです。私にはやはり予習は必須かも。確か何年か前に、一日一巻通読という目標を立て、1週間が限度だった覚えがあり、今回もサムエル記は1回かな?2回かな?などと先の心配をしつつも、気持ちはワクワク。聖書を読むことは喜びで、力で、祝福です。今日、私もあなたも、その考えられない大きな祝福を喜びをもって受け取ることができますよう、祈りつつ新しい「始まり」に臨みます。
その最終章、黙示録は聖書66巻の集大成です。今まさに来たり来る終末に向け、その意味を霊で知るクリスチャンだけが、これからこの世界で何が起きるのかをわかることができるのです。しかし黙示録は、聖書の全体枠を知って初めて解明できるもの。神様の言葉として与えられた聖書66巻すべてとリンクし、神様と人間の回復、小羊の婚宴に至るのが黙示録です。66巻目だけ学んでというものではありません。ということで、始められたえんぢぇる師の30分 de 一巻、全66回シリーズ!
初回はもちろん、創世記。が日本語と異なり、ユダヤ式タイトルは各書の冒頭の語がそのままタイトルになるそうで、幾つかご紹介すると「荒野にて」(民数記)、「これが名前である」(出エジプト)、「何で?」(哀歌)などなど。そして、創世記は「初めに」。ヘブル語では、「べレシート(בְּרֵאשִׁית)」です。
一語ずつの説明はこちらのページなどから。(英語ですが。)
http://biblehub.com/lexicon/genesis/1-1.htm
そして音声はこちら。(最初の7秒だけですが。)
天地創造に始まり、エデンの園、楽園追放(堕落)、アダムとエバ、カインとアベル、バベルの塔、ノアの箱舟、アブラハムへの約束、イサク、ヤコブと12人の息子、ヨセフ物語、などなど盛りだくさんの内容の創世記ですが、今日の第一ポイントはこれ!創世記は「光と命」で始まり、「闇と死」(ヨセフの死)で終わるのです。
では、聖書全体は、何で始まり、何で終わっているでしょうか?
創世記1:3、神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。
そして黙示録22:5、もはや、夜はなく、ともし火の光も太陽の光も要らない。神である主が僕たちを照らし、彼らは世々限りなく統治するからである。
そう、聖書は「光」で始まり、「光」で終わってるのです。これ、決して忘れてはならない超重要ポイント!!
3節の光は太陽ではありません。(太陽は4日目に創造されます。)この光は「シャカイナグローリー」=神の光、神の栄光、神様の臨在とともに発せられる光のこと。神様のいらっしゃる永遠の時空から、有限であるこの世界に神様が顕現され、すべてが「始まり」ました。そして神様のかたちに創られた人間が、罪の介入によって破滅の道を辿るようになってすぐ、楽園追放の前に3:15(原福音/Prot-Evangelium)で、人間を罪から救うためのイエス•キリストによる救済計画を、預言されています。 神様はイエス・キリストによって、聖書全体のテーマである愛を繰り返し繰り返し、人間に示されているのです。そして神様の光と共に(内に)、本来の人間に戻る回復の物語が始まった!それが聖書が語ってくれる希望なのです。
さて、闇からどう回復していくか、66週の聖書の旅の始まりです。私にはやはり予習は必須かも。確か何年か前に、一日一巻通読という目標を立て、1週間が限度だった覚えがあり、今回もサムエル記は1回かな?2回かな?などと先の心配をしつつも、気持ちはワクワク。聖書を読むことは喜びで、力で、祝福です。今日、私もあなたも、その考えられない大きな祝福を喜びをもって受け取ることができますよう、祈りつつ新しい「始まり」に臨みます。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます