魂のロードマップはあなたの中にあります

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いつだって限りない可能性の光が満ち溢れている

もっと自由になっていい

2020年12月15日 | スピリチュアル
「24時間、いつでも困った時は助けます!」
そんな存在は心強いし有り難い。

でも。

「24時間、いつでもあなたを批判します!」
という存在がいたら…。

もちろん、イヤだろうし、息が詰まりそう(-_-;)

でも、これ。
自分が自分にやっている。
本人には自覚がない。

セッションでクライアントさんにメッセージをお伝えしながら、
私自身も気づきをいただくことが多いけど…。

ナチュラルに起こってくる気持ちや感情に「ダメ」だと点数をつけている。

いやいやいや。
それ(色々なケースがあるけれど)とても自然なことですよ…。

そう伝えると「ハッ!!」。


そしてまた。
エネルギーを自分を批判する為に使うから、こわばってしまうし…疲弊する。
(私自身がそうだった)

自らが課した24時間の監視体制の中、リラックスすることすら許していない。

喜怒哀楽といった感情のうち…
「怒」や「哀」だけを悪者にして、極端に抑えてしまうと。
感度がどんどん下がって「喜」や「楽」ですら感じなくなってしまう。

それに、人の感情は「怒」の中に「哀」が含まれていたり、
「哀」の中に「喜」を見出すこともある。

明解なところもあるし、曖昧なところもある。

セッション中は、クライアントさんの自分自身への監視体制が緩むので…
屈託のない笑顔が自然と出る。

つくった笑顔ではない。
力強いし美しいと思う。

無理に笑え、とは言わない。
でも、もっと自分を表現してもいいし、もっと自由になっていい。

自分を見つめる、ということと。
自分を批判するということとは違うから。


動機

2020年12月15日 | スピリチュアル
嫌われたくないから行動するのか。

負けたくないから行動するのか。

自分が本当にやりたいから行動するのか。

人の信頼に応えたいから行動するのか。

具体的な内容は同じでも。
入口が異なると…面白いぐらいに過程が違ってくる。


「ふり」はやめる

2020年11月30日 | スピリチュアル
子供の頃の私が
よく親に言われていたこと。
 
 
「可愛げがない」
「素直じゃない」
「強情っぱり」
「何を考えているのかが分からない」
 
 
こうやって並べるだけでウヘー(^_^;)

 
何かあるとすぐ黙り込んでしまう子供だった。

とにかく…無言、無言、無言。
 
 
まるで息をつめるようにだんまりを決め込んで…。
何を言われても。
何を聞かれても。
「うん」とも「すん」とも言わず。
 
 
親から見ると「???」

 
「いい子でいなければいけない」
「口ごたえなんてしてはいけない」
 
 
いつもそういう想いが、口を開こうとする私をはがいじめにした。
ひとり我慢大会…。
 
 
その頃の私の気持ちを表すのであれば…たった一言。

 
「私」を見てほしい。

 
大人になってからは、今度は逆に饒舌を装いながらも…本音をひた隠しにしていた。

 
本当は凹んでいるのに。
本当はすごく哀しいのに。
本当は助けてほしいのに。
 
 
見栄やプライド、驕りも含めて…
子供の頃よりもっと沢山のものが「私」が「私」でいることを許さなかった。
 
 
その結果、関わる相手に「怒り」を向けることで無理やり辻褄を合わせていた。

 
でも。
自分自身に寄り添い、気づきを得て…様々なものが解けていく中でまた寄り添って。
 
 
「私」を取り戻していく過程で、時に「罪悪感の海」で溺れそうにもなるけれど…。
それすら、「愛」に気づく大事なきっかけ。
 
 
もう…何かの「ふり」をすることはやめよう。
 
 

愛することが喜び

2020年11月17日 | スピリチュアル
先日の出来事。

 
朝すっきりと目覚めたその瞬間。
まるで脳内スクリーンに、文字が「ポン!」と浮かび上がってきたような体験をした。
 
 
そう…。
パチッと目を開けた瞬間に。
まるで目の前に映画のスクリーンがあって、そこにタイトルのように言葉が並んで視えた。
 
 
「人生はどれだけ愛するものがたくさんあるかで幸せの度合いも違ってくる」

 
確か…そのような意味合いの言葉だったと思う。

 
あまりにも唐突だったのでポカン。

 
寝起きは決して悪くない。
ないが、頭も身体もいわゆる平常モードになる前にいきなり…だったので、
少し混乱しつつ…階下に降りて行きメモをしておこうと思った。

 
人生ってどれだけ「愛されたか」ではない。
人生において幸せとは、どれだけ「愛したか」によって違ってくる。
人生は自分の愛をどれだけ大きくしていくか。
自分の愛の器を広げていくことが生きる目的。
 
 
自分なんて。
私なんて。
そんな古い信念体系が壊れていく…。
 
 
何かを、誰かを愛することが、自分の喜びにつながる。
私の心が動き始めている。
なんて伸びやかなんだろうと思った。
 
 
目覚めた瞬間に受け取ったこの言葉が、ハートの真中心に来たことを体で感じた。

 
方法論なんてわからない。
また、どれだけ知識を詰め込んでも。
字面だけ追って理解したつもりでも。
それはきっと違う。
 
 
愛に目覚めていくには。
ほんの少しの勇気を持って動いていった先に、きっと視えてくるものがあるし、
わかってくることがあるのだと思う。
 


 

自分を丸ごと受け入れたら…

2020年11月15日 | スピリチュアル
「自分で自分の機嫌をとる」
ということが…最近ようやく(?)出来ていることにフッと気づいた。

ずっと依存的だった。

「誰か」がいないと私は幸せになれない。
「誰か」がいないと私は安心できない。
「誰か」がいないと私は満たされない。

ずっと、ずーっと。

外の世界の「誰か」や「何か」が私を幸せにしてくれる「はず」だと信じていた。

だから…幸せになりたくて。
安心したくて。
満たされたくて。

その「誰か」や「何か」を手にいれよう、手にいれようとしていた。


でも違った。


もうすでに幸せだったんだ…ということに気づいたとき。

世の中で自分が体験する出来事は、
すべて幸せに気づくきっかけに過ぎないんだ
ということがスッと腑に落ちた。

幸せとは、何も起こらないことではなくて、
どんなことがあっても「成長できる」自分を発見する喜び。



その瞬間、私の中から「足りない」とか「欠けている」という想いが薄れていった。
自分を丸ごと受け入れることが出来つつあるのかな…と感じた。

同時に「身の丈」に合った日々の暮らしというものが
本当に心地よくて安らかだということも自分の中で広がっている。

それは、物質的なものを我慢するとか、あきらめるということとは違う。
向上心をなくすことでもないし、好奇心をおさえることでもない。
素敵なものはやっぱり素敵だし、美味しいものをいただく楽しみもある。
友人たちと過ごす時間も大切にしたい。

無理に小さくまとまりましょう、ということではない。

でも、「お金」も「時間」も「人との付き合い」も。
自分が本当にどうしたいかは、やっぱり自分じゃないとわからない。


他人の価値観に焦点を合わすのではなく。
「私」の中のバランスを大事にしたいと思った時…
「NO」ということに罪悪感もなくなった。

人生薔薇色なんて…そんなの綺麗ごとだし、絶対に嘘や~!!
と思っていたけれど。
薔薇色にするのもしないのも。
本当に自分次第ということがわかってきた。

これからもっと面白くなりそう!!