魂のロードマップはあなたの中にあります

本当は毎日生まれ変わっているのが私たち
いつだって限りない可能性の光が満ち溢れている

拒まないで・・・

2021年09月30日 | 目覚め
頭では、

「本当はこれは違う」
「そうじゃない」

とわかっていても。

体験を通して刻まれたことは、
強烈な観念として組み込まれる。
(と思い込んでいる)

でも、
自己の本質に耳を澄ましていけば。

本当は何をみて、
何を感じたいのかが、
やがて顕れてくる。

そうやって顕れてきたものと
響き合うことで、
あなたはあなたになっていく。

だから、拒まないでほしい。



行ったつもりで・・・

2021年09月28日 | 日記
先日の、おうちランチ。

友人の提案で。
某百貨店で開催中の「大北海道展」にて、
目玉商品の個数限定弁当を購入する為、待ちあわせをして電車でGO!

最寄り駅からその百貨店に向かって、結構な人の波が出来ていて、友人いわく…。

「きっと、みんな北海道展よ!」

まさか〜と思っていたら。
当たらずといえども遠からず。
私達も含めて、皆さんイベントフロアへ。

まさに老若男女という客層で、既に行列が出来ていました。

個人的には、かなり若い女性が1人で買いに来ているのが意外な感じ。

北海道、いつかは行ってみたいなぁと思いながら、
味覚だけでも味わうことが出来るのは嬉しい♡






物産展は、気になりつつも…今まであまり足を運んだことがなかったのですが、
なかなか楽しく…たまにはいいね〜と友人とも盛りあがりました。

ケーキは、北海道展ではなく、地下の食品フロアにて。






「中秋の名月」&「食欲の秋」の1日でした。


食に関する記事ばかりですが、学びの世界も広がっています。

先日は研修、そして学会にも初参加させていただきました!
また、シェア出来ればと思っています。

和菓子あれこれ

2021年09月08日 | スイーツ&グルメ&料理
本日は、友人と自宅でゆっくりとお茶とお菓子を楽しみました。

豪徳寺にある和菓子屋さん「SAKATAYA 1793」では、季節の和菓子を。



色が本当に雅やかで、このお店のインスタは絵のようで綺麗。





もちろん、お味も満足(*^_^*)

お抹茶は、先日伺ったお店の江戸切子…というわけにはいかないけど、
保温(保冷も)が出来るカップに入れてみることに。

注ぎ分けが出来るお茶碗はあるので、
そこで綺麗に点てたお抹茶を注いで出来上がり。

もともとの容量がかなりたっぷりしたカップなので、
いつもより多めに点てても、かなりスペースが空くけど、
ま…よしとしましょう。




季節の絵柄の抹茶茶碗も、もちろん風情があっていいけど、
このカップだとなかなか冷めない!!

お茶席同様、和菓子をいただいてから、お抹茶を三口半で飲み干して…
という従来のパターンとは全く違うけど。
よりカジュアルに楽しめるし、ケーキ&紅茶感覚でいただけるのに、ちょっと感激。

ガラスの抹茶茶碗で、夏に氷を浮かべてお抹茶をいただくことはあっても、
やはり抹茶は、抹茶茶碗という固定観念が。

あとは、実際にティーカップやデミタスで試したことはあっても、
「冷めて」しまうことには変わりなく、
最後の吸いきりがうまく出来なかったことのほうが多くて。

このカップのように、
時間が経ってもあたたかいお抹茶をいただけるという考えが思い浮かばなかった~。
(吸いきりも、いい塩梅にできました!)


さらに、渋谷の東急プラザで買ったお菓子も一緒に♡
渋谷東急プラザ「 tamayose









ここも、なかなか楽しい趣向で、好きなものを袋に詰め放題というもの。
一通り試してみたくて、色々と詰めてみました!

一見すると、なんのお店?という雰囲気ですが、
和モダンという感覚が素敵で、また別のお菓子を試してみようと(*^_^*)




ただ愛であり続ける

2021年09月03日 | 目覚め
これまで生きてきた中で、今…最も「自由」を味わっている。
 
 
以前の私は。
自分を取り巻く「モノ」や「ヒト」、そして「環境」などが
何かしら変わることによってでしか「自由」は得られないと思っていた。
 
 
もちろん、それが一切関係ないとは言えないけど。
 
 
それよりも。
子供の頃から、長い時間をかけて積み上げてきた
「私」にまつわる膨大な「思い込み」が崩壊した状態。
 
 
あれだけあった「こだわり」や「執着」が、ほとんどなくなり・・・。

自分も。

まわりも。

全てを。

「ありのまま」、ただ「そのまま」「あるがまま」に見ている。
 
 
なんてラクで自由なんだろうと思う。
 
 
私は常に「空っぽ」です、なんて言うと、
まるで何にも考えていないみたいだけど、
ある意味…そうとも言えるのかもしれない。
 
 
相反するみたいだけど。
いわゆる個の私には、自由意志なんてものはなく、
ただ純粋に体験する人、純粋動機の実現の為に今ここに肉体をもっている。
そう気づいた時から、自由を味わい始めている。
 
 
滞りのない意識の流れである私は、何ものでもないし、何ものでもある。
 
 
こんなに伸びやかに生きる日が来るなんて、思ってもみなかった。
 
 
自由を味わっていること。
至福の中にいて静寂と一体になっていること。
私が知りたかった「愛」は、これだったのかなぁ・・・。
 
 
「自分を愛しましょう」は、いつの間にか「自分を愛さなければならない」へ。
「〇〇を愛しましょう」も、やがては「〇〇を愛さなければならない」へ。
 
 
そうではなくて。
 
 
ただ「愛」であり続けさえいればいいんだなぁと思う。 
 
 
 

全てを知っている私

2021年09月02日 | 目覚め
8月半ばぐらいからかな…急速に変化が進んでいるなぁと感じる。

それがあまりにも早く、まるで通り過ぎてしまうような感覚なので、
「あれ?」と気づいた時に、
とにかくスマホに音声録音(もしくはメモ機能も使って)している。

少し前の記事とかぶるかもしれないけど、とても不思議な感覚。

言葉に置き換えると、少し先の未来の私を常に感じながら生活している。
別の言い方だと、「未来の私」を「今の私」が少し先取りして動いている。

いや、ちょっと違うかな。

今の私の身体を借りて?未来の私が考えたり行動している。
(と言っても、別に私がふたりいるということではないんだけれども)

全体性の一部としての感覚が、よりリアルに感じられているのかもしれない。

例えて言うなら。
小学校に行くことが決まっている子供(これが今の私の意識)の為に、
親(これが未来の私の意識)があらかじめ必要なランドセルや筆記用具、
教科書等を買って用意する。

子供の前には、先々必要なものや環境が着々と準備されていく…。
それにちょっと似ている。

私自身が、わかりやすいようにこの例えを用いたが、
何も物質面だけということではなく、
親の意識でこの世界を見ている状態がメインで日常が進んでいる感じがする。

じゃあ、子供の意識ってどんな時だ?と思い返すと、うーん。
ご飯食べている時とか、お手洗いに行っている時、眠くなっている時…。
まるで本当の幼児みたいだけど、生理的欲求に基づいている時???

あるいは、直接身体(の動き)を感じている時かな?

いずれにしても。

例え話でいうところの子供の意識が完全に消滅しているわけではないから、
常に親の意識とうっすらダブって感じられる。

だから、何なんだ…と自分でも思いつつ、
この親の意識が「絶対的な安心」であり「静寂そのもの」。

そして「全てを知っている」から、不安や迷いが消え去る。

いまだかつて経験してことがない感覚なので、覚書として。