魂のロードマップはあなたの中にあります

本当は毎日生まれ変わっているのが私たち
いつだって限りない可能性の光が満ち溢れている

ささやかに・・・

2022年10月27日 | 日記
昨日は、まさか…の場所で。
亡くなった夫のことを話していた。

話していた、なんて人ごとみたいだけど。
不思議な流れで、気づいたら喋っていた(喋らされた?)という感じ。

彼の誕生日だったからかな😆

以前にも増して、最近ますます洋菓子(特にケーキ類)離れが加速していたけど。
(甘すぎて食べられなくなってきた💦)

仕事帰りに、ショーケースをのぞいていたら。
「おひとつからでもどうぞ!」とニッコリ。

かなり甘そうだけど、見た目に惹かれて1個購入〜。

ささやかに。
ハッピーバスデー!










こたつ

2022年10月27日 | ジジくん
ここ数日、急に冷え込んできましたね💦
なので、コタツを出しました!

もちろん、人間用ではなく。
ジジさんの為に♡




冬の間は、猫用コタツが大活躍😺
寒くなってきて、モフモフ度がアップ。




私は、見て癒やされ😍
触って癒やされ😆





どれだけ愛を感じるか?

2022年10月24日 | 目覚め
受け取り上手、とか。
受け取り下手、とか。

そんな言葉が、やたらと目についていた時期があった。

その頃は、自分が受け取り上手だとは思っていなかったから。
受け取り下手な自分が、どうすれば受け取り上手になるんだろう…。
そんなことを、あれこれ考えていた。

でも頭でどれだけ考えても分かるはずもなく…。
むしろ、見当違いの言動をしていた。

今思えば。
感度が鈍い状態で、受け取る云々以前の話しだったと思う。


これは私個人の感覚だけど。
受け取るって、どれだけ愛を感じるか?に尽きると思う。

だからそこには、上手だとか、下手だとかはなかったんだなぁ…と。


言葉にとらわれていた時には。
何かをしてもらったら、それに対して、
相手が期待するであろうリアクションをすることが、受け取り上手なんだと勘違いをしていた。 

もちろん、喜んだり、感謝の気持ちを伝えることが、必要ないとは言わない。
表現することも大切だと思っている。

でも、こういうリアクションをすれば相手は喜ぶんじゃないかという幻想は独りよがり。

だから今度は、相手が自分のリアクションに無反応だったりすると、不安になり…
あらたな妄想が始まっていた。

自分で、どんどんややこしくしていた。


でも、パートナーとの関わりの中でガチガチだった心がほぐれていくにつれて。

表現方法は色々あるけど。
様々な場面において、そこに流れている愛を感じるようになってきた。

ハートで感じ始めると、後は拡がり続けるものだということも実感している。


パートナーだけじゃない。
亡くなった人でさえも、愛を送り続けてくれているんだなぁと思う。


愛を止めないように・・・

2022年10月23日 | 目覚め
昨日、セッションをさせていただいたクライアント様。

大切な人を亡くされてから…そんなに時間が経っていない。

ご結婚の約束をされて、これから一緒に生きていこう。
そう話していたのに、突然…旅立たれた。


悲嘆のプロセスは、人によってもちろん異なるだろうし、
旅立たれた方との関係性にもよると思う。


少し前に、亡くなった夫が今の年齢であらわれた体験を綴ったけど。
彼女もそれに酷似した体験をなさった。

亡き婚約者の彼からのメッセージを受け取られた。
その後、ある場所で彼を目撃された。


見まごうはずがない。

愛した人の姿を。


嘘だとは全く思わない。
目の錯覚だとも思わない。
私も体験しているから。


彼女があることを彼に話したところ、
「一緒に祈ろう」と言ってくれたというエピソードも伺った。
(クリスチャンでいらっしゃったとのこと)


セッション中は、私のモードが「個」から限りなく「全体性」になっているのもあるし。
その他にも次から次へとメッセージをお伝えするので、あまり感じなかったんだけど。

終わってから、亡くなられた婚約者の方のエネルギーが、
ぶわ~っと流れてきて止まらなかった。


繊細でどこまでも優しくて…。
哀しみで凍った心を。
嘆きに包まれた体を。
芯からあたためて溶かしてくれるような、あたたかいエネルギー。


もちろん、その方にお目にかかったことがあるわけじゃない。
ないけど…そして月並みの言葉だけど。
いつでも、彼女を見守っているんだなと感じた。


~☆彡~☆彡~☆彡~☆彡~☆彡~

あなたが、愛を止めないように。

喜びに終止符をうたないように。

可能性の扉に背を向けないように。

心を閉ざしたまま生きていかないように。

~☆彡~☆彡~☆彡~☆彡~☆彡~


*ご了承をいただいて記事にあげさせていただきました。



本番が始まる

2022年10月22日 | 目覚め
Facebookをしていると、時折「〇年前 この日の思い出を見る」と
以前に投稿した記事が出てくる。

これが、1年前もあれば、2年前、3年前と色々。

しかも、毎日出てくるわけじゃないので、
何が基準になっているかもわからないけど。

今日は、午前9時からオンラインセッションだった。

2時間近くのセッションを終えてから、Facebookを見たら…いきなり出てきた。
目を通したら、まさにセッションで話したこととかぶる内容でちょっとびっくり。

以下になる。
(2021年10月22日の記事)

~~~~~~~~~~~~~

★本番が始まる★

ここ数か月、「死」について考える機会が何度か訪れている。

また色々なことが「他人事」から「自分事」へと変化している。

夫の死別体験直後であれば無理だと思えた話でも、
今であれば耳を傾けることが出来るし、
だからこそ、様々な機会が訪れているのかなと感じている。


「死」を忌み嫌うのではなく。

誰もがむかえる最期に意識をむけることは、

同時に今の「生」についても、向き合うこと。


といっても。
しかめっ面になって難しく考えたり捉えたりはしていない。

むしろ、逆。
目覚めの過程を経て、喜怒哀楽以外の「至福」を識った。



自分は本当は何もので、どうしてそれが始まったのか。  


いっぺん死んでみて(いくつか前の記事)仕組みが視えた。


空(くう)そのものが私達の本質で、最初からそれしかない。 
無限の私が、有限が体験できるこの世界を用意した。


・・・で、どうする?


どうしたい?


「思考による良しあし」の判断に基づいたものではなく。
純粋意識の顕れである「私」を通して、
純粋動機の実現の為に、
本当にやりたいことを、
本当にやりたい人達と、
本気でやっていく。


シンプルだけど、これに尽きるのかな、と。


夫が目の前で倒れて、あっけなくこの世を去ってから。
どこかで自分だけがまだ肉体を着ていること。

その肉体を通して様々なことを享受していることに対して、
申し訳なさのようなものが、まだ微かにあった。

でも、多くの体験をしたくてここに「在る」のが私達で、
夫という存在も、夫の死も全体性の顕れのひとつ。

申し訳なさを感じていてもいいし、
感じなくなってもどっちでもいい。

どうこう出来るものではないし、しようという気持ちも消えた。

夢から覚めて正気になってからが、
本当の意味での体験が始まるのかなと思う。


本番はこれから・・・。