魂のロードマップはあなたの中にあります

本当は毎日生まれ変わっているのが私たち
いつだって限りない可能性の光が満ち溢れている

収縮する動きのみ

2022年09月30日 | 目覚め
Facebook、2022年5月26日にあげた記事。

この頃のことは、なかなか言語化できない状態だったけど、
私が書いていたというより、書かされていたという感覚のほうが強かった。

いわゆる「覚醒体験」だとわかったのは、少しあとになってから。
そして、これはゴールではなく、あらたなスタートへの序章。


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一体何が起こっているんだろうという感覚が長く続いている。

語彙力が乏しいので言葉で説明するのが難しいけど、覚書として。


わかりやすくする為に。

「体」というものを筒状の入れ物と想定した場合。

その中には、それまで築き上げた様々な「私」がぎっしり詰まっていた。

でも、入れ物の底の部分が抜け落ちてしまい、
同時に中に詰まっていた沢山の「私」も少しずつ抜け落ちていった。

すっからかんになっているのかどうかはわからないけど。
筒そのものも形をとどめることなく、いつの間にかなくなっているように感じた。

と言っても、もちろん体そのものが消えるわけではなく…。

心臓の鼓動、「収縮する動きのみ」がそこに在る。

川の流れに手を入れた時に初めて、その水の動きを感じるように。
収縮する動きが単独であるというより、体を通して大きな収縮を感じているかのよう。

ここまでは、主に体感覚。


それとは別に。

筒の中に詰まっていた「私」が抜け落ちていくにつれて、スペースが出来てきた。

このスペースが拡がるほど、
ラクだ、
自由だ、
穏やかだ、
静かだ、
と感じることが増えていく。

そして筒の存在をほとんど感じなくなった時。

思考という皮?が、ベラッと剥がれたような感覚が突然訪れた。
(筒か思考かどっちが先かはわからない)


剥がれた後に充満していたのが、からっぽ感。

自分も動いて話し、まわりも動いて話しているけど…
無音無風の中にいるような静けさにとどまっている時間がずっと続き…。

剥がれた思考の皮?は、薄くヒラヒラ漂っているような感覚。


うっすらと。
私は日々どれだけ思考の渦の中で喘ぎながら生きてきたんだろう…と。

いちいち不安になって、いちいち落ち込んでいた…あれは一体何だったんだ???

○○も、△△も。
なんなら自分のことも。
もうどうでもよくなった。

言葉にすると、すごく投げやりな感じになるけど。
「もう本当にどうでもいい」としか言いようがなくて。

別の言い方だと。
筒の中に入っていた「私」がいなけりゃ、もうどうにもしようがない。

静かな解放感を感じつつ、特別な感動もなければ感激もない休日。

体という入れ物を通して感じる収縮の中に、
鳥のさえずりも風が運んでくれる木々のささやきも入ってくる。

とりあえず、現状の覚書。


ただ目の前にあらわれてくることに開き続ける

2022年09月30日 | 目覚め
Facebook、2022年5月23日にあげた記事。

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大きな出来事があると。
それが呼び水となるのか、ならないのかはわからないけど…。

記憶と呼ばれる箱から、無作為に過去の体験が突然浮かび上がってくる。

ずいぶん時間が経っているとはいえ。
それに伴い、うっすらとした感情も湧き起こる。

全く関連性がないように思えるバラバラの過去の出来事だけど、
あらわれてくるままにしていると。

すぐさま「理由」を探そうとする動きが生じる。
その結果、それらしき(もっともらしい)ものが出てくる。

頭の中で辻褄合わせが終わり、ひとまず納得する。 


思考は本当にところ構わず、どこまでも追いかけてくる。
でも、それらが、正しいとか間違っているという対象になるわけじゃない。

私達の本質「気づきの意識」「純粋意識」は、
あるがままをあるがままに見ているだけで、何の判断も下さないし、解釈も加えない。


「思考の戯れ」の中で生きている私達。


それでも、「私」を構成していた要素が抜け落ち続けているような感覚はある。


相変わらず、ストーリーは…映画で言うところのスクリーン上に映し出されているけど。

なんだか小さく希薄になり、下のスクリーンが透けて見えていて、
音量も微かになっていっているように感じる。
(って、これも戯言だけど)


また、ヒトもモノも。
今までは、その背景にあったストーリーに惹かれていた部分が大きかったように思うけど。
そこに対する興味が一気に失せてしまった。

それは、ヒトやモノそのものに対する興味がなくなったのとは全く違う。
ストーリーを脱ぎ捨てたヒト(自分も含めて)やモノを見たいという欲求が湧いてくる。

と言葉にしてはみたものの。
どうなっていくか、全くわからない。

ただ目の前にあらわれてくることに開き続ける。


パートナーシップは観念まみれの私に正体を暴いていく

2022年09月30日 | 目覚め
Facebook、2022年5月22日にあげた記事。

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人間ドラマは色々ある。

勝ったり負けたり。
落ち込んだり、舞い上がったり。

正義の味方が出てきたり。
悪の権化が出てきたり。


でもある時思う。


苦しい。
もう嫌だ。
もうこりごりだ。
いい加減やめたい。


…変わりたい。


そのきっかけは、人によって様々だと思うけど。
私の場合は、パートナーシップだった。

観念まみれの「私」の正体を暴いていくのに、
これほどスゴい仕組みはないと思っている。

同じことを繰り返したくない。
そして同じパターンの中でジタバタする自分にも飽き飽きしていた。


幸せになりたい、というよりも。
(自分にとっての幸せがわからないから)

パートナーシップという関わりを通して。
この「自分」であり続けるのが嫌だ、という強い想いが私を動かしていた。

知識がなかったのも、幸いだった。

自分の身に起こることだけを見ていけた。


一体何が起こっているんだろう。
これは何なんだろう。
「私」はどこにいるんだろう。

…わからないことを、わからないままにするしかなかった。

でも、その過程で何度も気づきが訪れた。

思い込みやら思い違い(一緒か)の深さに辟易したけど、
人間ドラマを何十年もやっていたわけだから、それはそうだろう。


昨晩、定期的にセッションを受けて下さっているクライアント様から
メールが届いた(一部シェア了承済)。


「恐怖から留まろうとしていたことに、心から気づけました」

「もう、ここまできたら、ご縁もへったくれもないとなりました(笑)」

「私は私と一緒に、恒常性を越えた世界に行くと心から思い直すことができました」


人間ドラマはなくならない。

でもその質は確実に変わっていくと思う。



本当の自由

2022年09月30日 | 目覚め
Facebook、2022月5月21日にあげた記事。

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からっぽだけど、満ちている

透明だけど、充満している。


時間も空間もなく。
ただ「在る」だけ。


段階を踏みながら、体験を通して少しずつ開いていく。

でも、「どこか」にゴールや到達地点があるわけじゃない。


長い間、
「私」は「身体」であり
「思考」であり
「感情」であると思い込んでいたし、
疑いようがなかったけど。


時おり訪れる体験を重ねる度に、それらが抜け落ちていった。 


「身体」の中に、私はいない。
私が考えて動かしているようで、そうではなかった。
だからこそ、身体の凄さに驚く。

「思考」の中にも、私はいない。
先に色のない動きがあって、後から意味づけをしていた。
その意味づけすら、「私」がいないわけだから、ただ起こっていた。

「感情」も、私じゃない。
感情はただ起きて消えていくもので、私はどこにもいない。


「私」だと思っていたものは、実体がなかった。


キラキラする話しでもないし。
ワクワクドキドキする話しでも全くない。
何かを達成するとか、目指すとか、そういう話でもない。


私達は、何ひとつコントロール出来ない。


でも、それは実体のない「私」から自由になるということで。

「私」から自由になるということは、
その私にくっついている様々な観念やレッテル、
過去とか未来やストーリーから自由になることなんだと思う。


だからといって、身体がなくなるわけじゃないし、
思考は出てくるし、感情もわく。


起こることを、起こるままに。
あるがままを、あるがままに。


純粋に湧き起こるものに開いていく。


「私」という夢に気づきながら、夢を見続ける。




お寿司♪

2022年09月30日 | スイーツ&グルメ&料理
Facebook、2022年5月19日にあげた記事。

お寿司、好きですね~。
まとめて写真あげていますが、毎日食べているわけじゃありません(^^;)

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たまに「お寿司🍣欠乏症」に陥ります。
いつ発症するかは不明です😆
症状が出たら、なるべく早く食べに行くようにします💕