2023年がスタートしましたが、
あっという間に1月も半ばを過ぎました
私は、毎年新年をむかえる度に、
2月8日の夫の命日にむけて、カウントダウンが始まるような感覚で、
死にまつわる色々な感情が日増しに強くなっていっていましたが、今年は少し違いました。
やたらと救急車の音は耳につくようになってきていますが、
夫の存在を以前とはまた違った形で感じるようになっているからかもしれません。
本当の私達は「生まれることも死ぬこともない」という原点に戻った感覚です。
前置きが長くなりましたが。
「恩寵にとけるリトリート」のご案内です。
(残2名です→★)
リトリートは何かを保証するものでも、確約できるものでもありません。
また、個人的には毎日がリトリートで、
毎日が自ら恩寵であることを知っていくその過程を辿っていると思っています。
なので、ゴールがあるわけでもないし、何かを達成するものでもありません。
でも、私自身もそうですが、日々の中では様々な揺らぎがあります。
もちろん生きているからこそであって、揺らぎそのものが止まることは、
「肉体の死」とイコールだと思っています。
ただ、揺られっぱなしでは、大事なことが見えにくくなると実体験を通して思います。
同時に、その揺らぎの中にも大事なエッセンスが含まれているのも事実だと思っています。
じゃあ、その大事なことって何よ…ということをリトリートで分かち合い、
深め合っていきたいと思っています。
皆様との共同創造、楽しみにしています!
あっという間に1月も半ばを過ぎました
私は、毎年新年をむかえる度に、
2月8日の夫の命日にむけて、カウントダウンが始まるような感覚で、
死にまつわる色々な感情が日増しに強くなっていっていましたが、今年は少し違いました。
やたらと救急車の音は耳につくようになってきていますが、
夫の存在を以前とはまた違った形で感じるようになっているからかもしれません。
本当の私達は「生まれることも死ぬこともない」という原点に戻った感覚です。
前置きが長くなりましたが。
「恩寵にとけるリトリート」のご案内です。
(残2名です→★)
リトリートは何かを保証するものでも、確約できるものでもありません。
また、個人的には毎日がリトリートで、
毎日が自ら恩寵であることを知っていくその過程を辿っていると思っています。
なので、ゴールがあるわけでもないし、何かを達成するものでもありません。
でも、私自身もそうですが、日々の中では様々な揺らぎがあります。
もちろん生きているからこそであって、揺らぎそのものが止まることは、
「肉体の死」とイコールだと思っています。
ただ、揺られっぱなしでは、大事なことが見えにくくなると実体験を通して思います。
同時に、その揺らぎの中にも大事なエッセンスが含まれているのも事実だと思っています。
じゃあ、その大事なことって何よ…ということをリトリートで分かち合い、
深め合っていきたいと思っています。
皆様との共同創造、楽しみにしています!
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