クロスバイクで元気

念願叶った定年退職の身は、先立つ物は細く時間は太くの狭間。
歩いて、自転車に乗って感じたことを、気ままに書き続けます。

濱田樹里さんの絵には、ぶったまげました

2011年02月27日 18時30分07秒 | 美術展
今日の三岸節子記念美術館での美術学校の講演が終わった時に、司会の方が締めくくりのお話で、『当館で開催している濱田樹里さんの絵画展は、本日が最終日です。本日は作者も会場におみえですから、是非ともご覧になっていってください』と。
その言葉に誘われて、これまで散歩の途中で美術館に掲げられていた濱田樹里さんの絵が気になっていた私は、鑑賞してきました。

2階の会場に入って、びっくり。
左右2つの長い壁に、それぞれ1枚ずつ、正面奥の壁に1枚、合計3枚の絵が、赤と茶を基調とした、流れるような多数の曲線と、極彩色の花と鳥の羽毛でしょうか、みっしりとそれぞれのキャンバス一面に咲き誇っています。
いや、言葉は悪いですが、咲き誇ってるというよりも、咲き狂ってると言った方が私の素直な感想です。

その乾いた感性の世界には、私の感情には受け付けない何かがあります。
でも、きっとそれは初めて片岡球子さんの絵を名古屋池下の古川美術館で拝見した時のあの時に似ています。
じめじめじっとり暗いのが私の感性であり、世界です。
でもでも、何回か片岡球子さんの絵を見るうちに彼女の感性に引き込まれていった私。
そんな世界が、濱田樹里さんの現す世界にもあります。

濱田樹里さんによると、その長大な3枚の絵にびっしりと書かれた具象なオブジェは、一瞬の彼女の感性のたまものであるとのこと。
時間の繰り返し、継続ではなく、一瞬の感性が噴出したものであるとのこと。

いやぁ、とにもかくにも、もうびっくりした彼女の絵の世界でした。
一体全体、どういった感性があると、あのような世界が描き出せるのでしょうかと当分悩める夜を送りそうです。
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美術の学校、その2

2011年02月27日 17時47分11秒 | 日記
今日は家から歩いて10分ちょっとの三岸節子記念美術館へ、「美術の学校」の2回目を聞いてきました。
今日の講師は、愛知教育大学准教授の安田篤生さん。
お話されたテーマは、「絵描きのなり方―江戸時代の場合―」です。

江戸時代における狩野派の絵師たちがどのように絵を学び、狩野派がいかに栄えたかを具体的に分かりやすい解説で、あっという間に1時間半の講演時間が過ぎてしまいました。
流派の極意画法について、トレース(透き写す、臨す)による“粉本”という手法を使って、先達の名画の筆使い(濃い/薄い、早い/遅い、心を悟る筆使い)を、いかに広範な地域に、いかに時代を超えて伝えきったかが、よく分かりました。

さしずめ現代なら、作家の才能を疑われ、ひいては著作権問題にも発展しかねないほど、似た絵が多く量産された琳派の世界。
当時の絵師は自ら描くのではなく、注文によって描いたという時代背景からは、注文主である大名らは何故同じような絵を注文したのか。
安田先生の答えは『“ブランド力”の成せる結果であり、当時の大名として当然のありようである』とのお話は、説得力のあるものでした。

また講演の最後にあった『中国にも“粉本”はあったが、日本のように流派でコントロールしていなく、個人の意思での所業であるとのこと。日本の狩野派を代表とする琳派における流派の形成、全体化、組織立ては中国には無かった』とのお話は、現在の日中のそれぞれの社会情勢をみると興味深いものでした。
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