いやぁ、楽しい1時間45分でした。
今日は三岸節子さんのお孫さんである太郎さんの 「 三岸芸術の歩み ~好太郎・節子・黄太郎の眼差しから~ 」 を聴いてきました。
今、一宮市三岸節子記念美術館で開催中の 「 特別展 三岸黄太郎展 ふたりのミギシコウタロウと節子と 」 を記念した講演会です。
太郎さんは、1968年から80年にかけてフランスに在住。
8才の時に渡仏です。
そして84年から88年にかけて、フランスとイギリスの美術学校で学ばれたそうです。
太郎さんが語る節子さんの言葉の数々。
『 まさか、あんな汚い人と結婚するなんて。 』 と、よく言っていたという節子さん。
夫好太郎さんが節子さんを描いたデッサン。
『 この絵だけは売らないで。 』 は節子さん。
『 頭が悪いから、デッサンをする。 』 も、節子さん。
節子さんのデッサン道具一式を息子の黄太郎さんは、風呂敷に包んで持ち歩いていたそうです。
節子さんはデッサンしますが、黄太郎さんは、みんな頭に入れて外ではデッサンをしなかっそうです。
そして、デッサンの補助の写真を撮るのは太郎さんの役目。
好きなように撮っていいよと言われパチパチいっぱい撮りました。
次に、節子さんの行動の数々。
1954年に、初めての渡仏。
まずは息子の黄太郎さんを私費留学生として “ 船 ” でフランスへ。
黄太郎さんがフランスの生活に慣れた半年経った頃、おもむろに節子さんは、 “ 飛行機 ” でフランスへ。
南フランスのカーニュに到着しました。
カーニュは、ルノアールがアトリエを構えた町。
モディリアーニも、藤田嗣治も愛した町。
ちょぼっとした時間も、節子さんはデッサンをする。
家の窓辺から外の景色を見てはデッサン。
家の中の2階へ昇る階段もデッサン。
太郎さん、曰く 『 無精だった。 』 と。
一方、オンボロシトロエンで取材旅行も頻繁に。
ベニスには20回も行きました。
気に入ったベニスにアトリエを構えようとしましたが、高すぎるのでやめたとも。
『 ベニスはいろんな画家が描いている。 』
『 自分だけのベニスでないといけない。 』は、太郎さんが感じた節子さんの思い。
究極は、ベロンの古い農家を改装して住んだこと。
この農家の門を入ってすぐ右手の赤い花木が、節子さんは気にいった。
買取価格は800万で、でも改装費用は、その十倍以上とか。
ベロンの家は、電気がきていない、そして風呂もない。
太郎さんは、ペットボトルに水を入れて太陽光で温めて、頭からかぶって行水したそうです。
この時も、節子さんは、1年間の改装中、日本に帰ってしまたとか。
太郎さん曰く、 『 自分勝手な人。 』
節子さんは、 『 ドライブに連れてって。 』 と太郎さんにせがみます。
そして、描かれた風景の数々。
太郎さんが言うには、 “ そのまんま ” なんですけど、私に言わせれば、でも違いますね。
実際の風景とは(、これは太郎さんが当時、あるいは最近撮った写真で分かるのですが)、輪郭の線は一緒でも、例えば3つある建物の一つが空に替わってるとか。
でも創作する人、あるいは創作者の身近の人からから観れば、 “ そのまんま ” なんでしょうね。
節子さんは、朝からすき焼きOK。
好きなことは自分でする節子さん。
居間の一角を占める仏壇らしいのがあって、節子さんは自分勝手なお経を読む。
そして、閑な時には、トランプ占い。
ソリティア風に、ランダムに積まれたカードを引くそうです。
その結果によって、今、目の前にある絵を塗り直すかどうかを決めていたとも。
さて、今日見せていただいた多くの画像で私が一番印象的だったのは、節子さんが描いた19才の自画像です。
いつも美術館入り口から見える正面の二十歳の自画像をはるかに超える自我の現れ。
いやもっというと、我が強い節子さんを裸で表しています。
節子さんの強い意志が、いっぱい出ています。
節子さんは太陽が、好き。
真っ赤が好き。
好太郎さんは、黄色が好き。
息子の黄太郎さんはベロンの青が好き。
節子さんの93才の力作 “ さいたさいた桜がさいた ” は、太郎さんに言わせれば自画像。
節子さんの絵筆の持ち方は、右手の親指、人差指、中指の先に絵筆の穂。
絵筆の一番の元は掌に当ててます。
最後に、画家の子どもの生活は。
『 この色は食べては駄目。 』 と、躾られるそうです。
そうですね、その色にはカドミウムが入っているから。
下塗り、でもその後、全て画家によってつぶされる。
キャンバス張りも上手になります。
さて、ランダムに書き連ねましたが、今日の太郎さん、さんざん節子さんは “ 自分勝手な人 ” と言い続けます。
そんなこと言ったって、私の敬愛する節子さんのイメージを壊さないでよ、太郎さん。
講演が終わってから、私は聞きました、太郎さんに。
「 ほんとに、自分勝手な人だったの。 」
太郎さんは、にこやかにでも自信を持って、 『 自己中心な人です。 』 と、私のほのかな期待も裏切り断言でした。
ぅぅっ~~っ、悲しいよおぉぉぉ。
今日は三岸節子さんのお孫さんである太郎さんの 「 三岸芸術の歩み ~好太郎・節子・黄太郎の眼差しから~ 」 を聴いてきました。
今、一宮市三岸節子記念美術館で開催中の 「 特別展 三岸黄太郎展 ふたりのミギシコウタロウと節子と 」 を記念した講演会です。
太郎さんは、1968年から80年にかけてフランスに在住。
8才の時に渡仏です。
そして84年から88年にかけて、フランスとイギリスの美術学校で学ばれたそうです。
太郎さんが語る節子さんの言葉の数々。
『 まさか、あんな汚い人と結婚するなんて。 』 と、よく言っていたという節子さん。
夫好太郎さんが節子さんを描いたデッサン。
『 この絵だけは売らないで。 』 は節子さん。
『 頭が悪いから、デッサンをする。 』 も、節子さん。
節子さんのデッサン道具一式を息子の黄太郎さんは、風呂敷に包んで持ち歩いていたそうです。
節子さんはデッサンしますが、黄太郎さんは、みんな頭に入れて外ではデッサンをしなかっそうです。
そして、デッサンの補助の写真を撮るのは太郎さんの役目。
好きなように撮っていいよと言われパチパチいっぱい撮りました。
次に、節子さんの行動の数々。
1954年に、初めての渡仏。
まずは息子の黄太郎さんを私費留学生として “ 船 ” でフランスへ。
黄太郎さんがフランスの生活に慣れた半年経った頃、おもむろに節子さんは、 “ 飛行機 ” でフランスへ。
南フランスのカーニュに到着しました。
カーニュは、ルノアールがアトリエを構えた町。
モディリアーニも、藤田嗣治も愛した町。
ちょぼっとした時間も、節子さんはデッサンをする。
家の窓辺から外の景色を見てはデッサン。
家の中の2階へ昇る階段もデッサン。
太郎さん、曰く 『 無精だった。 』 と。
一方、オンボロシトロエンで取材旅行も頻繁に。
ベニスには20回も行きました。
気に入ったベニスにアトリエを構えようとしましたが、高すぎるのでやめたとも。
『 ベニスはいろんな画家が描いている。 』
『 自分だけのベニスでないといけない。 』は、太郎さんが感じた節子さんの思い。
究極は、ベロンの古い農家を改装して住んだこと。
この農家の門を入ってすぐ右手の赤い花木が、節子さんは気にいった。
買取価格は800万で、でも改装費用は、その十倍以上とか。
ベロンの家は、電気がきていない、そして風呂もない。
太郎さんは、ペットボトルに水を入れて太陽光で温めて、頭からかぶって行水したそうです。
この時も、節子さんは、1年間の改装中、日本に帰ってしまたとか。
太郎さん曰く、 『 自分勝手な人。 』
節子さんは、 『 ドライブに連れてって。 』 と太郎さんにせがみます。
そして、描かれた風景の数々。
太郎さんが言うには、 “ そのまんま ” なんですけど、私に言わせれば、でも違いますね。
実際の風景とは(、これは太郎さんが当時、あるいは最近撮った写真で分かるのですが)、輪郭の線は一緒でも、例えば3つある建物の一つが空に替わってるとか。
でも創作する人、あるいは創作者の身近の人からから観れば、 “ そのまんま ” なんでしょうね。
節子さんは、朝からすき焼きOK。
好きなことは自分でする節子さん。
居間の一角を占める仏壇らしいのがあって、節子さんは自分勝手なお経を読む。
そして、閑な時には、トランプ占い。
ソリティア風に、ランダムに積まれたカードを引くそうです。
その結果によって、今、目の前にある絵を塗り直すかどうかを決めていたとも。
さて、今日見せていただいた多くの画像で私が一番印象的だったのは、節子さんが描いた19才の自画像です。
いつも美術館入り口から見える正面の二十歳の自画像をはるかに超える自我の現れ。
いやもっというと、我が強い節子さんを裸で表しています。
節子さんの強い意志が、いっぱい出ています。
節子さんは太陽が、好き。
真っ赤が好き。
好太郎さんは、黄色が好き。
息子の黄太郎さんはベロンの青が好き。
節子さんの93才の力作 “ さいたさいた桜がさいた ” は、太郎さんに言わせれば自画像。
節子さんの絵筆の持ち方は、右手の親指、人差指、中指の先に絵筆の穂。
絵筆の一番の元は掌に当ててます。
最後に、画家の子どもの生活は。
『 この色は食べては駄目。 』 と、躾られるそうです。
そうですね、その色にはカドミウムが入っているから。
下塗り、でもその後、全て画家によってつぶされる。
キャンバス張りも上手になります。
さて、ランダムに書き連ねましたが、今日の太郎さん、さんざん節子さんは “ 自分勝手な人 ” と言い続けます。
そんなこと言ったって、私の敬愛する節子さんのイメージを壊さないでよ、太郎さん。
講演が終わってから、私は聞きました、太郎さんに。
「 ほんとに、自分勝手な人だったの。 」
太郎さんは、にこやかにでも自信を持って、 『 自己中心な人です。 』 と、私のほのかな期待も裏切り断言でした。
ぅぅっ~~っ、悲しいよおぉぉぉ。