サビクが、かのじょが花になるとしたら、ひなげしがいいでしょうと、言っていましたが、もしかのじょがそれを聞いたとしたら、少し意外に思うかもしれません。
かのじょは生きていた時、自分は梅か薔薇に似ていると思っていましたから。それくらい、自分は強いものだと思っていたのです。
ですが、残念ながらわたしも、かのじょよりはサビクに賛成します。確かにかのじょには、梅のような潔さも、薔薇のような頑固さもありますが。
しかしかのじょは、梅のように厳しいことはできない。薔薇のように刺を持つこともできない。かのじょのやわらかなやさしい心のひだは、かわいらしいひなげしの花弁に似ている。
咲いたと思ったら、もう次の日には消えている。そんなはかなさが、かのじょにはある。
あなたがたも、感じたことがありませんか。かのじょはいつも、現れたと思ったら、すぐにいなくなったでしょう。ふと姿が見えたと思ったら、もういなくなっていたでしょう。あれはかのじょの癖なのです。みんなのところに、ふとやってきて、ああ、みんな幸せそうだなと思ったら、ふと笑って、何も言わずに、何もせずに、そのまま去って行くのです。
咲いたと思ったら、すぐに散るひなげしのように、見えなくなる。
あなたがたは、かのじょがいなくなったとき、どうしようもなく、淋しさを感じたでしょう。何か、大切なものをなくしたような気がしたでしょう。そして、淋しさを感じる自分がいやで、かのじょを憎んだでしょう。
ほんとうに、あなたがたは、愚かだ。素直になればいいものを。
ほんの少しの勇気さえあれば、友達になれたかもしれないのに。
見えないところからは好きなことを言えるのに、本人の前では何もできない。何でこんなに苦しいんだろうと、暗い所でいつまでも自分の思いをぐつぐつと煮込んでいる。本当に、人間は悲しい。
愛していると感じたら、声をかければよかったのですよ。変にいばったり、かっこつけたりしないで、こんにちはって言えばよかったのです。少し、お話ししてもかまいませんかと。
かのじょは驚くでしょうが、あなたの態度が礼儀正しければ、少しの時間をあなたのために割いてくれたでしょう。そして、すてきな会話ができたでしょう。
お花が好きなんですね。絵本も好きなんですね。すてきなことを、やっているんですね。
かんたんなことでいいのに、人間はものごとに、余計な知恵や技を入れ過ぎて、ややこしいことにしすぎる。
ひなげしが咲いている間に、ただひとこと、友達になってくださいと、言えばよかったのです。