世界はキラキラおもちゃ箱・第3館

スピカが主な管理人です。時々留守にしているときは、ほかのものが管理します。コメントは月の裏側をご利用ください。

色鉛筆の天使

2015-01-10 07:43:55 | 冬の日差し・夏の月



今日はサビクが描いた色鉛筆の天使絵をフォトチャンネルにまとめてみました。ほかのものが描いたのも少し混じっていますが。
これを見ていると、彼がどんなにかのじょを愛しているかわかるでしょう。かわいらしい色鉛筆の絵から、やさしさが匂い立ってくる。

サビクは、まるで母親のように、かのじょを愛しているのです。わたしたちはこのように、互いを肉親のように愛します。

わたしにとってもかのじょは、わが子のようなものです。まっすぐにしか進めないという、不器用というのも苦しいようなその大きな欠落が、愛おしくてならないのです。

愛はこのように、その人の強さというより、弱さの方に引かれて、あふれてくるものだ。
その人の弱さがひりひりと痛くて、ひとりにしておけなくて、追いかけてしまう。どうにかしてやらなくては、たまらない。

どんなすばらしい存在であろうと、まったく欠点のない存在などありません。弱さを抱えていない存在などいません。だからこそ、お互いを深く愛する。そして愛のためにあらゆることをしてしまう。それだけでいい。他には何もいらない。

だれにも負けたくなくて、たくさんの嘘をついて、スーパーマンのような完璧な人間になりたがる人がいますが、それはとても悲しいことだ。あらゆる人を部下にして、全存在を自分に従わせたいという、肥大した子どもの夢を生きている。それはあらゆる愛を自分ひとりのものにしたいという馬鹿だ。結局誰も愛してはくれない。吸いつくした煙草の煙の残り香のような、かすかな愛の嘘を吸って、窒息しそうな人生を生きている。

本当の愛が欲しいのなら、自分の弱さを知りなさい。誰かを愛している時に、心に感じる痛みのようなものの在りかを確かめなさい。へっぴりごしでもかまわない。そんな自分の滑稽な弱さが、愛を呼んでくるのです。

上手にしようなんて考えてはいけませんよ。無理に上等な技を使おうとしてはいけません。今の自分の本当の姿と、一つ分の勇気。それだけあればなんとかなる。

あなたがたが、若すぎて、いろいろなことがまだできないということは、みんな知っているのですから。




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ミネルヴァの嘲笑

2015-01-08 07:04:55 | 冬の日差し・夏の月

「ミネルヴァの嘲笑」とは、かのじょが書いた物語の中に登場する架空の詩人、ジュディス・エリルの処女詩集です。かのじょは物語のスピンオフ的なものとして、いくらかのジュディスの詩を書きました。覚えている人もいることでしょう。

かなりおもしろい詩でしたね。特にアテナの詩は面白かった。引用はしませんから、興味をもった人は探してみなさい。確か貝の琴ではなく、ウェヌスの方に入っているはずです。

あれは、女性からの男性への挑戦という形の詩でした。さあ、アテナの挑戦を受ける男はどうするか。本気を出して彼女と闘っても負け、かといって相手にしないで逃げても負け。かのじょが教えてくれた模範解答を、覚えていますか?

「申し訳ありません、わたしの負けです」と言って、頭を下げる。これが正解。見事ですね。そのとおりです。しかし、人間の男性には、今のところ、これができる人は、いないでしょう。

何で、こんなことが、かのじょに書けると思いますか? それはもちろん、かのじょが男だからです。

かのじょは、非常に女性的過ぎる天使ですが、やはり男ですから、男のやるべきことはちゃんとわかるのです。わたしも、同じような場面に出会ったら、きっとかのじょの言った通りにすると思いますね。他に手はない。残念ながら、男は女性には勝てません。

賢い女性は、それがわかっていますから、めったに男に挑戦したりはしません。男性が困りますからね。だがかのじょはジュディスのペンを借りて、アテナに挑戦させるのです。それは、人間の男性が、あまりにもふがいないからです。

きちんと手順を踏んで、礼儀正しくやればいいものを、暴力と権力を頼んで自分の思いどおりにしようとする。その結果、たまらなく醜い馬鹿になる。そんな男が、今はたくさんいる。

そういう男性の耳には、どこからかミネルヴァの嘲笑が届いている。馬鹿な男が、女に見えないところで、どんなことをしているか、見るがいい。

そんなにまでして、女が欲しいのか。

やあ、今回のわたしは少々きついですね。だが、一度は言ってみたいものだ。馬鹿な男の顔に、蛙の小便をかけるように。

さて、あなたの耳には、彼女の嘲笑の声が、聞こえますか?




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愛の庭

2015-01-06 07:17:12 | 冬の日差し・夏の月

かのじょの使命の一つに、恋愛とセックスの問題をなんとかするということがありました。
かのじょなりにがんばっていましたがね、残念ながらかのじょは、少女すぎる。おまけにセックスには興味がない。義務がなければやりたくないというのが本音です。

人間の皆さんには、わたしたちのこういうところが、一番苦しいのです。

かのじょには、セックスは愛の庭で正しくやりなさい、と言うのが関の山です。それは確かに正しいことだが、色々なことを深く経験しているあなたがたにとっては、少々物足りないというか、返ってほほ笑みたくなるようなところがあるでしょう。

あの人にとっては、恋というのは、憎くないと思っている男の人と、そっと指を触れ合えるだけでうれしい、ああ、そういうのがいいな、というくらいのものなのです。

笑ってもかまいませんよ。わたしもおかしいですから。おや、めまいを起こした人もいましたか?

かわいらしいでしょう。あれが、本気なんですよ、信じられますか。

この問題に関しては、サビクがよい応援をしてくれました。覚えている方もいることでしょう。かわいらしいかのじょの真面目な言葉より、サビクの強い言葉の方が、あなたがたにはよい道しるべとなってくれるでしょう。彼の言葉には、かのじょの愛の庭よりももっと広い道がある。

わたしに言えることは、結局、必要なのは、あなたがたの強さだということです。いろいろな痛みを味わい、人の心の細やかなところがわかる情感の深さを持つことです。教養を積み、人間の心の仕組みを勉強しましょう。そうすれば、男と女の間の愛も、花がつぼみをふくらますように、匂やかに、豊かになってくる。恋の楽しみが美しくなる。

恋愛やセックスの問題は、これからも人類の大きな課題として、取り組んでゆかねばなりません。他の天使にも教えてもらいなさい。それぞれに、とてもいい言葉をくれることでしょう。また、人間同士でも、真面目に考えて、色々と話し合ってみましょう。

胸を痛める喪失感はありますね。淋しさを感じる人も多くいることでしょう。でも、今からでもできることはたくさんある。

様々な経験を土壌にして、未来の種を育てていきましょう。






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上弦の月

2015-01-04 07:23:52 | 冬の日差し・夏の月

本館では、しばらくシャープペンで描いたうさぎ竜の絵が続きます。だんだんと数が増えてくるので、そこらへんをお楽しみください。

かのじょが描いたうさぎ竜と比べると、どこか違うのがわかるでしょう。描き手は、かのじょと違ってかわいらしい女性の絵を描くのが苦手なのですよ。だから自分とかのじょの得意分野で、ぎりぎり重なるうさぎ竜ばかり描くのです。

竜のように強く、うさぎのように弱いというのは、愛の特質の一つです。

愛する人のためには、どんな苦しいことでもしてしまう。せずにいられない。それは強さであると同時に弱さです。自分の愛する人にはかなわない。どんなにたくましく強い男でも、自分の愛する人のためには何でもしてやりたくなる。時には、命さえかけても守ってやりたくなる。

でも、まだ未熟な心には、そんな愛の力が恐ろしくて、愛に負けるのが悔しくて、つい馬鹿なことをしてしまう。教えられなくても、わかるでしょう。愛が怖いばかりに、愛を馬鹿にし過ぎてしまって、自分の心を半分失ってしまった。人間はその愚かさに落ちてしまったのです。

上弦、半分の月は、その象徴でもあります。でも上弦は、これから太ってくる月。それには、希望を見失わずに努力していけば、失った愛もいくらかは取り戻せるかもしれないという、希望が隠れている。

でも、そのためにはまず、失ってしまったという、苦い真実を飲み込まねばなりません。

風に紙くずをさらわれてしまったような、小さな喪失感にして、自分の心をいつまでもごまかしてはいけませんよ。

いなくなってもさみしくないなんて、子供のような強がりは、自分を苦しめるだけです。

うさぎ竜は、親切な薔薇がいっぱい咲いている小さな島に住んでいるそうです。

愛に素直になって、どこかにあるその小さな島を、探してみましょう。





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新年

2015-01-02 08:04:26 | 冬の日差し・夏の月

年が明けましたね。こちらからも、遅ればせながら、おめでとうを言いましょう。
良い年でありますように。

昨日の本館の賀状に、大観の富士を選んだのは、彼です。わたしは、少々あからさまにすぎるのではないかと思ったのですが、彼のそういう大胆な所もまたいい。

試練の天使はああいう人です。その行動は、この世に面白すぎる虹のような現象を開いていく。彼の手品を見ることのできる人は、幸せですよ。

彼は彼でなければできないことをしていく。そしてわたしもまた、わたしでなければできないことをしていきましょう。年の初めというのは、自分のやる気をさっぱりと洗ったような、すがすがしい心持がしますね。

「天使はあばら家を建てる」というかのじょの詩がありますが、わたしたちのやることというのは、そういう感じです。小さな言霊を一つ吐くだけでも、世界に風を起こすことができる。どんな現象が起きてくるのかは、起こってみなければわかりませんが、結果はいつも、自分の予測をはるかに超えて現れる。

創造活動の醍醐味というところです。この難しい時代を乗り越えていくのに、様々な苦労はありますが、今地球が孕んでいる未来の世界が生まれてくれば、きっとそんな苦労も吹っ飛ぶような、新鮮な驚きを味わうことができるでしょう。誰も知らない未来が、どこかでうごめいている。

わたしたちが、自分を生きることに燃えたつのは、こんな時だ。あきれるほど苦しく、おもしろい。

新しい年、一体何が起こるでしょうね。




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