ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

原本ヨハネ福音書研究巻1(上)

2016-02-06 17:50:37 | 聖研
原本ヨハネ福音書研究巻1(上)

巻1 プロローグ

 (1) 序詞「ロゴス讃歌」(1:1~5,9~10a,14a)
 (2) 著者の註 (1:6~8)
 (3) 初めの7日間 (1:19~2:12)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


第1章 序詞「ロゴス讃歌」

<テキスト1:1~5,9~10a,14a>

  始めに ロゴスがあった
  神の  ロゴスであった
  ロゴスは 神であった

  神のロゴスが 始まり
  神のロゴスにより 万物は生成されたる
  神のロゴスが 万物の根源である

  ロゴスは 生命である
  生命は  人の光
  光は   闇の中で輝き 
  闇は   光に勝てない

  真の光が 輝いている
  真の光は すべての人を照らす

  真の光が 人の世に来た
  真の光が 人の世にある
  世界は 光によって生成された

  ロゴスが 人となった
  ロゴスが 人間と共に生きている
  私たちは その栄光を見た


<以上>

原著者ヨハネは彼自身の福音書を、18行の詩ではじめる。この詩は通常「ロゴス賛歌」と呼ばれている。

(a) ロゴスとは何か
ここでの「ロゴス」が何を意味するのか。通常の日本語訳聖書では「言(ことば)」(文語訳、口語訳)、「み言葉」(フランシスコ会訳)、「ことば」(新改訳、岩波訳)、「ロゴス」(田川建三訳)等という言葉が当てはめられているが、このことについて、松村克己は次のように述べている。「ここで『言』と訳されている原語は、ロゴスである。この言葉は日本語訳聖書においてもいろいろに翻訳されてきたが、現在ではロゴスという原語のままで十分に親しまれている。キリストをロゴスと呼ぶことはこのヨハネ福音書の冒頭の序詞から一般的となったのであるが、この概念を初めてキリスト教会に導入したのは必ずしも本書の著者ではない。当時アレキサンドリアを中心とするユダヤ教の伝統的宗教思想とギリシャの哲学思想とを結びつけようとして見出された便利な概念であって、むしろ著者は当時すでに人々の耳に慣れていたこの概念を用いて、キリストを世界に向かって紹介し、弁証しょうと試みたのである」(『ヨハネ福音書註解』1951年発行。この書からの引用は全て、文屋による現代語への再話からである)。
この詩に翻訳において特徴的なのは岩波訳(訳者、小林稔)で冒頭の句を「はじめに、ことばがいた」と訳し、「ことばが『あった』とするか、『いた』とするかは、たぶんには日本語固有の問題をふくむ。一先ず常識的には、それが非人格的存在であれば『ある』、人格的存在であれば『いる』という表現を用いる、と言ってよいであろう」とし、このロゴスは復活者イエスとして、「この時この場にいる」のであるから、人格的存在者として「いる」という言葉を用いると説明している(小林稔『ヨハネ福音書のイエス』(岩波書店)。しかし、それを言うならばことばは今もおられるのであるし、将来も居られるのである方「いた」というのもおかしいわけで「いる」と訳さなければならないであろう。要するに他の言語の文章を翻訳するということには完璧ではあり得ない。

(b) 「始めにロゴスがあった。神のロゴスであった。ロゴスは神であった」。ヨハネ福音書冒頭の言葉である。この言葉は明らかに創世記1章1節の「はじめに神は天と地とを創造された」という言葉を意識している」。天地万物の創造以前、神しか存在していなかった。神だけが存在していた。いや、存在という言葉も神には相応しくない。
神には言葉があった。しかし、その言葉は語られない言葉であった。その意味では言葉以前の言葉、言葉の根源、それを「ロゴス」と言う。そこではロゴスと神とは一体である。そこに無いものは何か。「自」である神にとって「他」が存在しない。「他」の存在しない「自」とは何か。「無」である。「自」は「他」の存在において、存在となる。それはロゴスにおいても同じである。ロゴスは「他」において「言葉」となる。従って万物はロゴスにおいて生成された。従って万物の根源はロゴスである。
神における「他」とは何か。神の言葉を受け取る「他」とは何か。それは人間である。人間は万物の一つであるが、万物を越えて、神にとって「他」となれる存在である。そこから一つのドラマが始まる。神と人間とのドラマが。

(c) 「真の光」
11行目から詩のイメージが変わる。10行までは「ロゴス」が主語で、ロゴスの本質、ロゴスと神との関係等ロゴス自体のことが述べられているが、11行目からはロゴスが「真の光」に変わる。それはロゴス自体の対他関係である。ロゴスのロゴス性が真理であり、それが他者との関係においては「真の光」となって現れる。ロゴスが輝くとき「真の光」となる。逆に、真に光が輝くとき、ロゴズとなる。

第2章 著者による挿入
10行目と11行目の間に著者は次の語句を挿入している。

<テキスト1:6~8>
ヨハネという人が証言者として神から派遣されました。彼は光について証言しそのことによって、すベての人が信じるためです。彼は光ではありません。光について証言するために神によって派遣されたのです。
<以上>

著者がこの福音書を書いていた頃、洗礼者ヨハネがキリストではないかという主張をする人々がかなりいたのであろう。確かにこの福音書ではそれ程詳細に描かれてはいないが、共観福音書から受けるヨハネの印象はイエスよりもキリストらしさがある。著者ヨハネはこの一般的な印象に対してそれを払拭しようとしている。

第3章 教会的編集者による挿入
 
教会的編集者は3箇所に挿入している。
(1) 先ず、「世界は 光によって生成された」という言葉を受けて、15行目の後に次の語句を挿入する。「しかし世界はロゴスを認識しなかった。ロゴス自分のところに来たのに、自分の者たちはロゴスを受け入れなかった。ロゴスを受け入れた人には、神の子になる権利が与えられた。つまり、ロゴスの名を信じた人たちです。その人たちは血族でもなく、自分の欲望でもなく、自分自身の意志でさえなく、神から生れたのです」(Jh.1:10b~13)と注釈する。いかにも教会的編集者らしい。
(2) 次に、14節前半の「ロゴスが人となった。ロゴスが人間と共に生きている。私たちはその栄光を見た」を受けて教会的編集者はその栄光についての説明を付加する。「ひとり子の栄光は父の傍らにいたことです。彼には恵みと真理に満ちています」。この句は明らかに、教会的編集者の言葉であろう。面白いことにヨハネ福音書では「恵み」という単語は、この部分(Jh.1:14b~18)にしか見られない。また、マタイもマルコも一度も用いていない。福音書ではルカだけが7回用いている。この言葉はパウロ神学におけるカギになる言葉でパウロ的特徴を示している。
(3) 「ロゴス賛歌」に続く部分で、教会的編集者は総括的な文章を書き加えている。「ヨハネが彼について証言する。そして叫んで言った、『この人こそ、私よりも後に来る者が私の前になった、と私が言った者であった。私よりも先の者だったからである』。我々はみな彼の満ちるものの中から恵みに恵みを重ねて受け取ったのだから。律法はモーセによって与えられ、恵みと真理はイエス・キリストによって生じたのだから。 誰もかつて神を見たことがない。一人子の神、父の胸の傍らにいる者、その者が解説してくれたのである」(Jh.1:15~18)。ここに「イエス・キリスト」という言葉が用いられているが、原著者はこの言葉を用いていない。この福音書では、こことJh.17:3でだけ出てくるがここも教会的編集者の文章である。
ここに教会的編集者の神学が凝縮されている。

第4章 初めの7日

ここでは「その翌日」という言葉を回繰り返し(Jh.1:29,35,43)、最後に「三日目に」(Jh.2:1)という時間経過を示している。つまり、ここの部分は7日間ということになり、天地創造の7日間と対応する。
 
第1日目 ユダヤ人たちとの対話

<テキスト1:19~28>
語り手:それでは早速、ヨハネの証言の実際を紹介いたしましょう。ある日のことエルサレムから祭司たちやレビ人たちがヨハネの所にやって来ました。どうやら、彼らはエルサレムのお偉方たち、その中心はファリサイ派の人々ですが、彼らから派遣されてきた調査員のようです。

調査員:あなたはキリストだという噂がありますが、そうなんですか。
ヨハネ:とんでもない。はっきり申し上げておきますが、私はキリストではありません。
調査員:それじゃ一体、あなたは何者なんですか。エリアの再来か、それとも「あの預言者」なんですか。
ヨハネ:いや違います。
調査員:それでは返事になりません。私たちは上司に報告しなければならないんです。ちゃんと報告できるような答えを頂けませんかね。
ヨハネ:そうですね。何と言ったら分かって貰えるかな。そうだ、私は預言者イザヤが言っているようなキリストの道を準備する荒れ野の声とでも言ったら分かって貰えますかね。
調査員:うーん、成る程。それが答えなんですね。そうだとすると少し変ですね。あなたはキリストでもない、エリヤでもない、あの預言者でもないのなら、なんで洗礼など施しているんでしょうかね。
ヨハネ:そんなことが問題なんですか。私は水で洗礼を授けていますが、これはキリストが来られたときに授けられる聖霊による洗礼の準備なんですよ。あなたが方はお気づきになっていないかも知れませんが、その方はもう既にあなた方の間に来ておられるんですよ。私はその方の靴の紐をほどく値打ちがないほど、その方は偉い方なんです。

語り手:彼らはそれで納得したのか、納得していないのか、帰って行きました。

<以上>

明らかにプロローグの詩を受けている。ここにはまだイエスは登場しない。洗礼者ヨハネとユダヤ人たちとの会話である。

(a) ヨハネの証言について
著者ヨハネはこの福音書の序詞として「ロゴス賛歌」を書いているが、著者はその賛歌の中にわざわざ次の注釈を挿入している。「ヨハネという人が証言者として神から派遣されました。彼は光について証言しそのことによって、すベての人が信じるためです。彼は光ではありません。光について証言するために神によって派遣されたのです」(Jh.1:6~8)。いかに著者ヨハネが洗礼者ヨハネの証言者としての働きを重視ているのかがわかる。ところが、そのヨハネの証言とは何かという点になると、どれがどこにあるのかほとんど気が付かないほどである。
注意深く読むと、ヨハネ福音書の本文の冒頭の言葉は「さて、ヨハネの証しはこうである」(Jh.1:19)である。ところがその部分で取り上げられているのはユダヤ人たちとの議論で、語られている内容は「私はキリストではない」ということと、キリストはどういう方なのかということの説明である。いわば、旧約聖書の預言者のカテゴリー内のことである。肝心の誰がキリストなのかという証言になっていない。もし、ここで洗礼者ヨハネが「私がそれである」(Jh.4:26,18:8)と答えたら彼らは信じたのであろうか。ここでヨハネが必死になって「私はキリストではない」と否定している姿が面白い。

(b) 「ユダヤ人たち」とは誰か。
ここで一寸横道にそれる。ここに登場する「ユダヤ人」とは誰かという問題である。ヨハネ福音書を読む場合に、これを明白にしておく必要がある。ヨハネ福音書では「ユダヤ人」という言葉は70回ほど用いられている。ちなみに、マタイでは5回、そのうち1回はイエス誕生の時の「ユダヤの王」。残りはすべてイエスの裁判に関連している。マルコでは6回、そのうち1回は「ユダヤ人の習慣」(Jh.7:3)に関することで、残りはすべてイエスの裁判に関連している。ルカでは6回、内2回は百卒長の走り使いとして使われている(7:3~5)で、残りはやはりイエスの裁判に関連している。これらと比べるとヨハネにおける70回というのは異常に多いことがわかる。それらの内容を詳細に読むと、ユダヤ人の宗教や慣習に関して13回、ピラトの裁判の際での「ユダヤ人の王」が6回、ラザロの死と復活に関連してご近所のユダヤ人、あるいは明らかに一般大衆としてのユダヤ人が10回等で、それらの箇所での「ユダヤ人」はその意味がかなり明白である。以上で約半数、残りの35回ほどの意味が曖昧で、おそらくユダヤ人社会における指導者層の人たちを意味しているものと思われる。松村克己は彼らを「ユダヤ人の有司」という言い方をしている。ヨハネはこの人たちこそがイエスを殺そうと企んでいる人たちであり、イエスの敵だと考えているようだ。勿論、その中にもイエスのシンパと思われる人がいないわけではないが、彼らも「ユダヤ人たち」を恐れていると注釈している。
なぜヨハネがここまで「ユダヤ人」に対する否定的感情を露わにしているのであろうか。この点がこの福音書を理解する上で非常に重要な点である。これは単純なユダヤ人に対する差別感情ではない。はっきりしていることはヨハネ自身もユダヤ人であり、いわばこれはユダヤ人社会内部における権力構造への否定である。それがイエスの神殿に対する暴行という態度に示されている。また、サマリアの婦人に対する態度や、そこでの礼拝についての議論などは注目すべきであろう。
もっと具体的には9章の盲人の癒しの後に起こった出来事で元盲人の両親が「ユダヤ人たちを恐れていた」(Jh.9:22)ということが書かれている。両親はなぜユダヤ人たちを恐れていたのかという理由について、著者は「ユダヤ人たちは既に、イエスをメシアであると公に言い表すものがいれば、会堂(シナゴグ)から追放すると決めていたからである」と説明している。これを口語訳では「もしイエスをキリストと告白する者があれば、会堂から追い出すことに、ユダヤ人たちが既に決めていたからである」と説明している。いったいこれはどういうことであろうか。イエスもイエスの弟子たちも、そして初期にのパウロも、ほとんど常にユダヤ人の会堂を宣教活動の拠点にしている。つまりヨハネのこの記述は明らかにイエスの時代というよりもパウロ、とくにその後期の時代を反映している。おそらく著者ヨハネも同時代であろう。つまりユダヤ教によるキリスト教徒に対する弾圧、迫害が激化した時代背景を示している。
イエス時代のユダヤ教と神殿崩壊後のユダヤ教とは全くと言っていいほど異なる。イエス時代のユダヤ人社会はエルサレムの神殿を中心にした宗教共同体で、祭司長を中心にした祭司集団、律法学者、サドカイ派、ファリサイ派という一種のハイラキーがあり、全体としてローマ帝国に従属していた。そのような二重権力構造において、ユダヤの王族(ヘロデ家、ハスモン王朝)がローマとユダヤとを繋ぐ政治的役割を担っていた。ついでに言うと、ヘロデ王はユダヤ人ではなかった。
ユダヤ人社会はエルサレム周辺だけではなく、広く小アジアに広がっており、その全体がユダヤ人共同体である。その内でパウロの宣教活動は主にエルサレム以外の各地に分散しているギリシャ語を話すユダヤ人たちと彼らと密接に関係している非ユダヤ人たちに対するものであった。パウロの活動は一定の成果をあげたが、その宣教内容が徐々に明らかになるについて、ユダヤ教の教えとの違いが明白になってきた。パウロがシナゴグから排除され始めたのは使徒言行録14:1に記録されているイコニオムでの宣教からである。これがいわゆるエルサレムにおける使徒会議(50年)の直前である。その後、パウロはアジアを離れてマケドニアに渡り、一応の成果を上げるがこのことによりパウロとシラスとが投獄されるというような事件もあり、それも地震という天災も手伝って何とか切り抜け、テサロニケに至る。もっとも、ユダヤ教とキリスト教との間がギクシャクし始めたのはもっと遡る。この辺りから、ユダヤ教によるパウロへの妨害活動は盛んになり、とうとう、エフェソのシナゴグでは追い出され、町の「講堂」で「毎日論じた」という状況になる(Act.19:9)。これ以後、ユダヤ教におけるキリスト教への挑戦は激しくなる。これが60年頃のユダヤ教とキリスト教との関係であった。パウロの殉教は61~62年と考えられている。マルコ福音書はその頃書かれたとされる。
ちょうどそれから数年後、ユダヤ戦争(66~70年)が勃発し、その結果、エルサレムの神殿は崩壊し、神殿を中心とする宗教共同体としてのユダヤ人社会はその体制もろとも壊滅した。当然、祭司長を中心とする祭司集団を始め律法学者、サドカイ派は消滅した。このときエッセネ派も戦争に加わったという。こういう状況において、かろうじて生き残ったのがファリサイ派の人々で、彼らはラビ・ヨハナン・ベン・ザッカイを中心として「律法と祭儀」の研究という非常に制限された運動としてローマ帝国の許可のもとエルサレムの西方、ヤムニアにラビのためのささやかな学院が建設された。
神殿は崩壊したとはいえ、アジア各地に分散しているユダヤ人社会は温存された。しかしそれを統括するエルサレム神殿とその支配体制が崩壊した後、各地のシナゴグはバラバラに成ったが、ヤムニアに小さいながらも中心核が成立し徐々にユダヤ人社会が復興された。そのプロセスにおいてユダヤ教の復権に妨げになると考えられたのが、民族主義を克服し世界主義を掲げるキリスト教であったのであろう、と推測される。それが最終的に結実されたのが、ユダヤ人たちの日々の祈りのマニュアルとして形成された「18祈祷文」における一項目「ナザレ派および他の諸派を呪う言葉(ビルカト・ハ・ミニーム)」であろう。この項目が挿入されたのは85年ころとされる。ある意味で、これがユダヤ教とキリスト教とが決定的に分離する徴とされている。それはまさにヨハネ福音書が執筆された頃である。ヨハネ福音書には「サドカイ派」とか「律法学者」という言葉が出てこない。「律法学者」という単語は1回だけJh.8:3に出てくるが、この部分全体が本来のヨハネ福音書ではない。また、ヘロデ王も出てこない。さらに「熱心党」もない。つまり、ヨハネ福音書が描くイエスはイエス当時のイエスではないということである。

第2日目 イエスの登場

<テキスト1:29~34>
語り手:さて、ヨハネはヨルダン川の向こう側のベタニアという所で洗礼を授けておりました。ヨハネがエルサレムからの調査員と会ったその翌日、ヨハネは自分に近づいて来られるイエスを見かけました。ヨハネはイエスを指さして人々に言いました。

ヨハネ:ご覧なさい。あの方が「世の罪を取り除く神の小羊」です。私の後から来るお方、と前に言っていたのは、この方のことです。この方は私よりズーッと前から居られ、私よりもはるかに偉い方なのです。私もこの方のことを知りませんでしたが、この方が来られたら、いろいろなことがはっきりすると思っておりました。私はその準備のために水で洗礼をさずけているのです。もう一度言いますよ。私は本当にこの方のことを知りませんでした。ただ、私に水で洗礼を授けるようにとお命じになられた方が、私にこう言われたのです。その人の上に霊が下って来て、そこに留まるのを見たら、その人が聖霊で洗礼を施す人だ、と。そして私ははっきりと見たのです。この人の上に、天から霊が鳩のように下って来るのを見たのです。だから、私は確信を持って、この方こそが神の御子だと証言いたします。

語り手:これが洗礼者ヨハネの証言なんです。
 
<以上>

(a) そして翌日、洗礼者ヨハネはイエスが歩いているのを見かけて唐突に「ご覧なさい。あの方が『世の罪を取り除く神の小羊』です」と叫ぶ。これがヨハネのキリスト紹介の第1声である。そして「私もこの方のことを知りませんでした」というのが第2声、この言葉を2度繰り返して、第3声、「そして私ははっきりと見たのです。この人の上に、天から霊が鳩のように下って来るのを見たのです。だから、私は確信を持って、この方こそが神の御子だと証言いたします」、これが洗礼者ヨハネによる証言である。ヨハネがイエスをキリストであると証言するほとんど唯一の言葉である。
この後、かなり時間が経過した頃、イエスの洗礼とヨハネの洗礼の有効性を巡ってユダヤ人たちの間で議論になった時、ヨハネは「形だけの洗礼なら誰にでもできるでしょうが、本当の洗礼というものは神によるものなのです。私がいつも言っているように、私はキリストではなく、キリストのための準備をする者なのです。そのことについてはあなた方もご存じですね。私にとってはイエスというお方は花婿のような存在で、私自身は花婿の介添人のような者です。だから、あの方の名声が上がり、多くの人々から歓迎されている6としたら、それは私にとっても非常にうれしいことなんです。あの方がますます栄え、私が衰えるのは私の本望なのです」(Jh.3:27~30)と語る。この言葉はそれまでのヨハネの言葉のいわば繰り返しである。これでヨハネ福音書における洗礼者ヨハネは二度と登場しない。

(b) ヨハネによるキリスト証言とは何か。
非常に厳密に言うと、「そして私ははっきりと見たのです。この人の上に、天から霊が鳩のように下って来るのを見たのです。だから、私は確信を持って、この方こそが神の御子だと証言いたします」(Jh.1:34)、これに尽きる。しかもそれは、何の前提、前理解、予告もなしに突然の出来事であった。ただ、他の人とは違って、こういうことを見たら、それがキリストだという託宣を聞いていたというだけのことである。ヨハネはたったこれだけのために生まれてきた。そしてその任務を終えたらさっさと表舞台から退場してしまった。ここからは私の推測であるが、著者ヨハネが福音書を書いていた頃、洗礼者ヨハネの弟子集団がかなり活発に活動していたのではないだろうか。それはキリスト教会とかなり類似の活動で、多くのユダヤ人たちは区別ができなかった。彼らの主張はヨハネこそキリストだということで、著者ヨハネはそのことをかなり意識してこのことを書いているように思われる。

(c) 「世の罪を取り除く神の小羊」
ヨハネのイエス紹介の言葉は「世の罪を取り除く神の小羊」である。この言葉はどういう意味であろう。当てずっぽうにこの言葉を発しているわけではない。それなら単純に「この方がキリストです」と言えばいい。聖書を通じて通じて「世の罪を取り除く神の小羊」という言葉は、こことそれを短縮化した言葉として36節の「神の小羊」の2回しか出てこない。神殿が存在していた頃のユダヤ人たちにとって「羊」といえば、人々の罪を担って捧げられる生贄である。従って「羊」と言えば、それをイメージする。さらに創世記22章のアブラハムがイサクを生贄として捧げる物語において、イサクは父アブラハムに、「火と薪はここにありますが、焼き尽くす献げ物にする小羊はどこにいるのですか」と問い、アブラハムが「わたしの子よ、焼き尽くす献げ物の小羊はきっと神が備えてくださる」(Gen.22:7~8)と答えたという会話を思い起こす者もいたであろう。あるいは「屠り場に引かれる小羊のように毛を切る者の前に物を言わない羊のように彼は口を開かなかった」(Isa.53:7~8)という言葉を思い起こす者もいたであろう。つまり、この表現は何らかの形で犠牲として捧げられる生贄をイメージさせる。ここにヨハネの独創性は「神の」という修飾語を付けたことである。さらにこの言葉の独創性は「神の小羊」の任務を「世の罪を取り除く」とした点である。こういうケースでは通常は羊は人間の罪を担って捧げられるのである(Isa.53:4,11,12)。ヨハネは「世の罪を担う神の小羊」を少し捻って「世の罪を取り除く神の小羊」に書き換えている。この捻りは重要である。「担う」のであれば、それは捧げる人の罪だけであるが、ここでは全世界から「罪を取り除く」のである。ここにヨハネ神学の壮大さがある。

(d) イエスの洗礼について
さて、このヨハネの証言について問題になるのは、ヨハネはそのことをいつ、どこで「見た」のかということである。言うならば、洗礼者ヨハネはこの一事にために生まれ、この一事を終えたら消えていくのである。それほど重要な証言であるにもかかわらず、洗礼者ヨハネはそのことが起こった時と場所と状況とを述べない。ところがマルコ福音書ではそのことについて明瞭に述べている。「イエスはガリラヤのナザレから来て、ヨルダン川でヨハネから洗礼を受けられた。水の中から上がるとすぐ、天が裂けて“霊”が鳩のように御自分に降って来るのを、御覧になった。すると、『あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者』という声が、天から聞こえた」(Mk.1:9~11)。
このことからヨハネ福音書の著者はマルコ福音書を知らないという議論が出てくる。逆に、マルコはイエスの洗礼についてこのように述べながら、その意味を一切語らない。マルコ福音書によってイエスが洗礼者ヨハネから洗礼を受けた知りながら、なぜ著者ヨハネは語らないのだろうか。イエスが洗礼を受けたかどうかということはキリスト教徒にとってどうでもいいことではない。マタイもルカもマルコの言葉を取り上げさらに劇的に語っている。マタイの場合は、一応疑問を持ちながらも苦し紛れの説明をしながら叙述している(Mt.3:13~17)。ルカはごくあっさりとマルコの言葉をほとんどそのまま継承している(Lk.3:21~22)。ところがヨハネはマルコの文章から「天が裂けて“霊”が鳩のように御自分に降って来るのを、御覧になった」という言葉だけを取り上げ、それを洗礼者ヨハネが「見たこと」として語る。「そして私ははっきりと見たのです。この人の上に、天から霊が鳩のように下って来るのを見たのです」。ほとんどのキリスト者はヨハネのこの言葉を共観福音書を参照にして、なんの疑問もなく読んでいる。しかしヨハネはそうは言っていない。ここで事実はどうかということは全く分からないし、問題ではない。重要なことは著者ヨハネは洗礼者ヨハネがイエスに洗礼を授けたとも、その時に「天からの鳩のような聖霊」を見たということも述べていないということである。言い換えると、著者ヨハネにとってそんなことはどうでもいいことなのだという点である。むしろ、ヨハネ福音書で強調されていることは洗礼者ヨハネによる「水の洗礼」はイエスによる「霊の洗礼」の予行練習にすぎないということである。この部分の直前にあるユダヤ人たちのイエスとの議論でもそうである。ヨハネによる「水の洗礼」はイエスによる「霊の洗礼」とは比較にならないほどの差があるということが強調されている。ある意味で「水の洗礼」を異常に強調している正統派キリスト教への批判のようにも読める。それは洗礼に限らない。そもそもキリスト教における典礼(サクラメント)に対する批判である。洗礼を受けているか否かによって人を差別する姿勢、それは律法主義と変わらないではないか。

原本ヨハネ福音書研究巻1(下)に続く

最新の画像もっと見る