ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

原本ヨハネ福音書研究巻1(下)

2016-02-06 17:56:01 | 聖研
原本ヨハネ福音書研究巻1(下)
巻1 プロローグ

 (1) 序詞「ロゴス讃歌」(1:1~5,9~10a,14a)
 (2) 著者の註 (1:6~8)
 (3) 初めの7日間 (1:19~2:12)

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<承前>

第3日目 初めての弟子たち

<テキスト1:35~42>
語り手:その翌日、洗礼者ヨハネがふたりの弟子と一緒に立っていますと、イエスが歩いているのを見かけ、ふたりの弟子たちに言ったんです。

ヨハネ:ご覧なさい、この方が神の小羊です。

語り手:それを聞いたふたりの弟子たちは、そのままヨハネの元を去り、イエスについて行ってしまったんです。イエスはイエスで、ふたりの男が後ろをついて来るので、振り返り言いました。

イエス:何かご用ですか。
弟子たち:先生、先生はどこに滞在して居られるのですか。
イエス:ついていらっしゃい。そうすればわかります。

語り手:その言葉を聞くとふたりの弟子たちは、イエスに従い、その晩はイエスの所に泊まり込んでしまいました。午後4時頃の出来事でした。このふたりの弟子のうちひとりはシモン・ペトロの弟アンデレでした。アンデレは自分の兄シモンと出会い、シモンに言葉をかけました。

アンデレ:兄さん、僕たちはキリストを見つけたみたい。

語り手:それを聞くとシモンもイエスに近づき、まじまじとイエスを観察していました。イエスもシモンをジーと見つめ、いきなりシモンに声をかけました。

イエス:あなたがヨハネの子シモンなのですね。これから私はあなたをケパと呼ぶことにいたしましょう。

語り手:このケパという名前をギリシャ語でいうとペトロです。

<以上>

最初の弟子二人はアンデレともう一人の弟子で、この二人だけが洗礼者ヨハネから直接に「ご覧なさい、この方が神の小羊です」という証言を聞いている。それを聞いた二人は黙って師ヨハネの元を離れイエスについていく。この場面ではイエスの弟子になるとかというような大げさなことではなかったのかもしれない。ただイエスという人物がどういう人物なのかを確かめるためについていったのかもしれない。イエスは黙って後ろからついてくる二人を見て、不審に思ったのか「何かご用ですか」(Jh.1:38)と尋ねる。この「何かご用ですか」という発言がヨハネ福音書におけるイエスの最初の発言である。という訳で新共同訳は「何を求めているのか」とか、口語訳では「何か願いがあるのか」と訳している。こう訳してしまうと、お互いにまだ未知の関係なのに、いかにも偉い人が下々に語りかける言葉になってしまう。少なくとも、ここではそういう関係ではないであろう。
この質問に対して二人は「先生はどこに滞在して居られるのですか」と逆に質問している。むしろこの質問の方が失礼であろう。初めてあった人にいきなり「どこに滞在しているのか」などと警官が不審尋問するような問いかけである。それに対してイエスは「ついていらっしゃい。そうすればわかります」と答えている。この会話は非常に興味深いものを含んでいる。私たちは初めて出会った人について、その人を知るために何を知りたいと思うのか。先ず第1に確かめたいことは住所あるいは本籍であろう。要するに連絡先を知りたいと思う。現代ならメールアドレス等であろう。次に親族関係とか学歴、あるいは友人関係等を確かめたいと思うであろう。その上で、友だちになろうとか、なりたくないという判断をする。問題はそういうことを知ったら、本当にその人のことを知ることになるのだろうか。むしろ、今ここで挙げられているようないろいろなリストの一つ一つを見ると、実にいい加減なものであることがわかる。それに対してイエスはただ一言、「ついていらっしゃい。そうすればわかります」と答えている。これをほとんどの訳は「きなさい。そうすればわかる」と訳している。英語で言うと「Come and you will see」である。文脈から考えるとイエスが住んでいる所に「来て、見なさい」ではない。問題は場所ではない。ポイントは「私を見よ、そうすればわかる」という点である。つまりイエスの住所とか系図とか師弟関係とか、その他もろもろの情報をいくら積み重ねてもそれでイエスという人物についてわかったということにはならない。イエスを知ろうと思うならばイエスを自分の目で直接に見るしかない。それで彼らはイエスについて行き、イエスが住んでいる場所を見て、その晩はイエスと一緒に過ごしたという。著者はわざわざその出来事についての時間を午後4時ころだと明記している。著者はここで、イエスについてきた二人の人物について「このふたりの弟子のうちひとりはシモン・ペトロの弟アンデレでした」(Jh.1:40)と紹介している。
ここでのアンデレの紹介の仕方に違和感がある。ここではまだペトロは登場していないのであるから、通常なら「シモン・ペトロの弟アンデレ」と言われたって何のことか分からいであろう。それを書くということは著者および読者は既にシモン・ペトロのことを知っているということで、しかもそれはアンデレとは比較にならないほど周知の人物であることを示している。
その上で、著者はここに一つの重要な出来事を付け加えている。シモン・ペトロとイエスとの出会いの記事(Jh.1:41~42)である。この記事はいかにも「挿入された」という感じである。この出来事がいつ起こったのかはっきりしない。何気なく読めば同じ日の出来事のように思ってしまう。しかし著者はそのことについて何も語らない。著者がこの福音書を書いているころ、ペトロはイエスの弟子集団を代表する弟子の中の弟子、全教会を代表する第一人者であった。ところがここで語られている重要なポイントは、ペトロは弟アンデレから導かれてイエスに出会ったという事実である。マルコ福音書によると イエスの最初の弟子はシモンとアンデレ、およびその時ほとんど同時にイエスに従った「ゼベダイの子ヤコブとヨハネ」であり、この4人が最初の弟子である。その意味ではペトロが最初の弟子集団の代表格であったという印象は拭えない。マタイもルカもだいたいマルコの記事に従っている。その印象をぶち壊すのがヨハネ福音書のこの記事である。ヨハネ福音書の著者ははっきりとその伝承を破り、イエスの最初の弟子、権威ある洗礼者ヨハネからイエスの弟子となったのはアンデレであり、「もう一人の弟子」であったと語る。ここにこの福音書執筆の一つの動機がある。つまり、異常に高められている初代教会のペトロの権威を引き下ろそうとしている。
アンデレから「兄さん、僕たちはキリストを見つけたみたい」と言われて、イエスのもとを訪れた時、イエスはシモンをジーっと見つめ、いきなり「あなたがヨハネの子シモンなのですね。これから私はあなたをケパと呼ぶことにいたしましょう」と言う。著者ヨハネはこの出来事について細かい説明や背景にあったであろう「歴史」を一切語らない。むしろここで注目されることは、イエスが人を見る「目」である。それは「異能」とさえ言える出来事である。小林稔はこれをイエスの「透視能力」という。

第4日目 フィリポ、ナタナエル

<テキスト1:43~51>
語り手:さて、その翌日イエスはガリラヤへ行きたいと思われました。その道の途中で、一行はアンデレやペテロの同郷の仲間、フィリポと出会いました。彼らはベトサイダ出身でした。

イエス:フィリポさん、私についていらっしゃい。

語り手:さらに道を進みますと、今度はフィリポが友人ナタナエルを見かけ、彼にかけより、声を掛けました。

フィリポ:よお、俺たちはモーセや預言者たちが律法の書の中で書いている人を見つけたんだぜ。彼はナザレ出身のヨセフの子イエスというんだ。
ナタナエル:そんな馬鹿な。ナザレから誰が登場したって。ナザレからまとも人間が出て来るなんて、そんなことありえない、ありえない。
フィリポ:まぁ、そんなことを言わずに、来て会ってみろよ。紹介するから。

語り手:イエスはフィリポと一緒にナタナエルが近づいて来るのを見て言いました。

イエス:見なさい、生粋、本物のイスラエル人が来るよ。
ナタナエル:知りもしないで勝手なことを言わないで欲しいな。それとも前にどこかでお会いしたことがありましたか。
イエス:フィリポがあなたに声を掛ける前に、私はあなたがいちじくの木の下にいたことを知っていますよ。
ナタナエル:エッ、ご存知でしたか。先生、あなたは神の子ですか、それともイスラエルの王ですかね。
イエス:私があなたがいちじくの木の下にいるのを見たと言ったぐらいで、私を信じるのか。あなたの信仰ってそんなものか。私について来たら、この程度のことではない、もっと大きいことをいろいろ見ることになるでしょう。あなた方みんなにはっきり言っておくが、あなたたちは天が開いて、神の天使たちが私のところに昇たり降たりするのを見ることになるでしょう。

<以上>

(a) 43節で初めてイエスの行き先が明瞭になる。「ガリラヤへ行きたい」。ここまでの物語はガリラヤではなく「ヨルダン川の向こう側のベタニアという所」(1:28)での物語であった。そこはユダヤ地方でもエルサレム近い場所であったとされる。ヨハネ福音書ではマルコやマリアが住んでいた場所が「ベタニア」(11:1)とされるが、こことは別の場所である。洗礼者ヨハネがここで洗礼を授けていたとされる。

(b) ところで、ガリラヤへの旅の一行にペトロが加えられているのかどうかはっきりしない。ともかく彼らはベタニアからガリラヤに向かう。その距離は直線距離で約150キロ、実質的な距離としては200キロほどであろう。少なくとも2~3日はかかるであろう。その途中でフィリポに出会う。その途中というのがどの辺りかはっきりしない。おそらくガリラヤ、あるいはガリラヤに近いところであろうと想像されるので、著者が「その翌日」というのは実際の日数とは思われない。なぜならフィリポはペトロとアンデレ兄弟と同じ町ベトサイダの人物だという。ベトサイダはガリラヤ湖北岸に位置し、後にイエスの活動拠点となったカファルナウムとはヨルダン川を挟んで向かい合っている。要するに、「あの辺り」なのだ。

(c) このフィリポに対して、初めてイエスの方から積極的に「私についていらっしゃい」という言葉をかける。それに対してフィリポは何の抵抗もなく、質問もなく、イエスに従う。ここにアンデレとフィリポとの深い絆を感じる(Jh.12:22)。

(d) 次にフィリポを媒介としてナタナエルと出会う。この時のフィリポとナタナエルとの遠慮のない会話は面白い。この時、いわばフィリポはナタナエルの鋭い批判に「負けて」、「来て会ってみろよ」と言う。この会話は非常に面白い。議論でイエスを理解して信じるのではなく、自分自身の目で直接見て、決断する。それに続くイエスとナタナエルとの会話も面白い。ここでは、ペトロとイエスとの出会いにおいて見られたイエスの一種の「異能」が示されている。イエスがキリストであるという「異能」は病気の癒やし奇跡だけではない。人格からほとばしり出る力なのである。

(e) 「いちじくの木の下」といわれるといかにも何か象徴的なことを意味しているのかと思ってしまうが、そんなことで驚くなとイエス自身が言っているのだから、あまりイマジネーションの翼を広げることもないであろう。それよりも、「もっと大きいことをいろいろ見ることになる」というイエスの言葉の方が重要である。ここでその「もっと大きいこと」の、内容として「あなたたちは天が開いて、神の天使たちが私のところに昇たり降たりするのを見ることになる」と述べられた。これこそが、イエスの本性、つまり神とイエスとの特別な関係を示している言葉である。

第7日目 カナの結婚式

<テキスト2:1~12>
語り手:そんなことがあって中2日おいた3日後、ガリラヤのカナという村で結婚式がもたれ、その祝宴が開かれました。その祝宴にはイエスの母も手伝っていました。またイエスも、イエスの仲間たちも招かれました。
祝宴には予想以上に大勢の人たちが集まり盛大でした。ところが、祝宴のたけなわ、ワインが足りなくなってきました。祝宴の裏方では大騒ぎになっていました。その様子を見て、イエスの母親はイエスにそっと耳打ちいたしました。
イエスの母:大変なの、ワインが足らなそうなの。
イエス:(多少冷ややかに)そんなこと私には関係ないでしょう。マリアさん、私の時はまだ来ていないのですよ。

語り手:イエスの母は、また出しゃばってしまったと反省しつつも、その家の使用人たちに、そっと耳打ちしました。

イエスの母:もし、この人があなた方に何かを言ったら、言う通りにして下さいね。

語り手:その家の入口にはユダヤ人の清めの習慣に従って、100リッターほど入る石の水甕が6つ置いてありました。イエスは使用人たちにそれらの水甕を指さし、そっと命じました。

イエス:あの水甕に水を一杯入れて下さい。

語り手:使用人たちは、イエスの母から予め言われていたので、言われる通り水甕に水をなみなみと運び入れました。

使用人たち:イエス様、あなたに言われた通りにしました。
イエス:ではその水を今度は祝宴の世話役の所に持って行って下さい。

語り手:使用人たちは水甕に入れた水を瓶に詰め替えて、世話役の所に持っていきました。ワインのことで心配していた世話役は運ばれてきた水を試飲して驚きました。

世話役:何とまぁ、こんな上等なワインがどこにあったのだろう。
使用人たち:(彼らはその秘密を知っていたが、ただニヤニヤするだけでした)

語り手:驚いた世話役はさっそく花婿を呼び、言いました。

世話役:あなたは何と奥ゆかしい人だろう。普通は、まず良いワインを客に振るまい、客が酔ってきた頃に、安物のワインを出すものなのに、あなたは上等のワインを今まで取っておいたのですね。

語り手:イエスは最初の徴(しるし)をガリラヤのカナで行い、神に栄光を帰しました。これを見てイエスについてきた仲間たちもイエスを信じました。その後、イエスとイエスの母親と弟たち、それにイエスの仲間たちも一緒にカファルナウムに行き、そこでしばらくの滞在いたしました。

<以上>

(a)「3日目に」は前の出来事から3日目で初めの7日間の最終日である。松村克己はこの出来事について次のように述べている。「イエスの生涯を印象づけるこの最初の1週間は、その最後の1週間と対応する。その何れにおいても7日目は時満ちた日としてイエスの栄光を現す日となっている」。

(b) ガリラヤのカナ
正確な場所は特定できないが、多分ナザレから14キロほど北の方にあるとされている。イエスの母マリアが手伝いに来ているということはそれほど遠くではないことを示している。イエスの活動拠点カファルナウムからだと約15キロほど西に入った山岳地帯だと思われる。
この記事で特に注目すべき点はここで初めてイエスの仲間たちが「弟子たち(マセーテス)」(2:2)と呼ばれていることであろう。意味は「学ぶ者」。この時点での弟子はおそらく先の3人とペトロと「もう一人の弟子」の5人であろう。
ヨハネ福音書ではイエスの弟子12人の中で、この5人の他にトマスとイスカリオテのユダを加えて7人しか言及されていない。ただ、本来のヨハネ福音書にはなかった21章2節の弟子のリストでは、「ぺトロ、トマス、ナタナエル、ゼベダイの子たち、他の二人」の7人が挙げられている。ここではアンデレ、フィリポ、と匿名の弟子、イスカリオテのユダが欠けている。ともかく、ヨハネ福音書では12人の特定が曖昧なままで、何かしら弟子集団に対する関心の薄さがあるように思う。ちなみに、マルコ福音書では12人について、「ペトロ、ヤコブとヨハネ(ゼベダイの子)、アンデレ、フィリポ、バルトロマイ、マタイ、トマス、アルフォイの子ヤコブ、タダイ、熱心党のシモン、イスカリオテのユダ」がリストアップされている(マルコ3:13~19)。

(c) 「そんなこと私には関係ないでしょう」。
この言葉を新共同訳では「婦人よ、わたしとどんな関わりがあるのです」、口語訳では「婦人よ、あなたはわたしと、なんの係りがありますか」と訳している。ここでの「婦人よ」という言葉は、この文章の後ろにあるので、冒頭に持って来るのとはかなり印象が異なる。ここでイエスの言葉を直訳すると「そのことが、私にとっても、そしてまたあたなたにとっても、何か」である。これと同じ言葉をマルコ福音書1:24では汚れた霊がイエスに対して言っている。「我々にとって、そしてあなたにとって、それが何」、これを新共同訳では「かまわないでくれ」、口語訳では「貴方はわたしたちと何の係りがあるのです」と訳している。要するに、ひとつの出来事を間においてあなたと私の間にどういう関係があるのか」という問いの言葉である。マリアはワインが足らなくなったという事態を自分と係りのある出来事として捉え、その感覚をイエスにも共有してもらいたいと言っているのであり、イエスはそれは自分とは関係ないと断っているのである。ここには母親が息子に対して自分と同じ価値観を要求するという構造がある。

(d) 「マリアさん、私の時はまだ来ていないのですよ」
また、この「マリアさん」という言葉を文語訳では「女よ」と訳し、この言葉遣い日本人的な感覚からいうと違和感があるので非常に評判が悪かった。それで新共同訳も口語訳も多少は和らげるつもりで「婦人よ」と訳しているのであろうが、それでは少しも問題は解決していない。こういう場合、日本人の言語感覚としては「お母さん」とか、「おふくろさん」とかいうのであろう。しかし原文が「女よ」なのだからあまりかけ離れすぎても困る。一層のこと省いてしまうという手もないわけではないが、言葉の流れとして、ここでは息子が母親に対して、今までの関係とは異なるということを宣言しているのであるから、省略してしまう訳にはいかない。苦肉の策として、私は「マリアさん」と訳しておいた。
ここでのポイントは「私の時」である。要するに、ここでは母親に対して「私には『私の時』がある」と宣言しているのである。おそらく、母親と息子の間で「わたしの時」という言葉は初めて語られたのではないだろうか。今までは常に「母親の時」の中で過ごしてきた。息子の時はすべて母親の時に含まれていた。母親は今までの続きで息子に語りかけている。ところが、ここで今、私には「あなたの時」とは異なる「私の時」があるという。これは必ずしも反抗ではない。一種の時間の切れ目である。ここからは私は「私の時」を生きるというのである。当然、母親はその時を待っていたに違いない。その時が今、ここである。
しかし母親だって今までのおよそ30年間無駄に過ごしていたわけではない。言うならば息子の性質、息子の生き方をずっと見てきたわけである。当然、息子が「息子の時」を生きることは十分理解できる。その上で、息子がこういう場合にどういう行動をとるのかということも知っている。息子の主体性の中で息子が選ぶ道は何か、だいたい見当がつく。イエスの「異能」に気付いているのはマリア自身である。そこが他の人とマリアとの違いである。だから彼女は使用人たちに「この人があなた方に何かを言ったら、言う通りにして下さいね」ということが出来た。この出来事において重要なポイントは、イエスは「私の時」を生きると宣言しているが、そのイエスは生まれた時からずーっと、そしてこれから後もイエスであるということである。つまり神の子としてのイエスである。イエスは「イエスの時」を生き始めて「神の子」になるのではない。母マリアによって人間としての生を受けた時から、つまり受肉した時から、十字架上で死ぬまで「神の子」である。それが、母親に対して「女よ」と呼びかけることの説明である。ここでは神の子として一人の女性に語りかけているのである。
本当の意味での「私(キリスト)の時」はJh.12:23である。イエスは「その時」を目指して生きる。「その時」とは「一粒の麦が落ちて死ぬ時」である。そこに到達する道はすべて「父」の指示に従う。「母」ではない。このことをこの時点でそっと母マリアに告げている。「本当のことを言いますと、息子というものは父の行動を見なければ、自分からは何もすることが出来ないのです」(Jh.5:19,30)。

(f) まとめの言葉
著者はJh.2:12で、「イエスは最初の徴(しるし)をガリラヤのカナで行い、神に栄光を帰しました。これを見てイエスについてきた仲間たちもイエスを信じました。その後、イエスとイエスの母親と弟たち、それにイエスの仲間たちも一緒にカファルナウムに行き、そこでしばらくの滞在いたしました」と締め括り、この段落をまとめている。 

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