遊心逍遙記その2

ブログ「遊心逍遙記」から心機一転して、「遊心逍遙記その2」を開設します。主に読後印象記をまとめていきます。

『トランパー 横浜みなとみらい署暴対係』  今野敏   徳間書店

2023-12-13 23:21:40 | 今野敏
 今野敏さんの作品を読み継いでいる。横浜みなとみらい署暴対係シリーズは、長編と短編集の刊行を合わせると本作で第7弾。本作は「読楽」(2022年3月号~2023年2月号)に連載された後、2023年5月に単行本が刊行された。今回は長編小説である。

 表紙に TRAMPER という単語がタイトルの下に記されている。手許の幾冊かの英和辞典を引くと、この語彙を直接取り上げているものと取り上げていないものとがある。TRAMP は動詞並びに名詞としてどの辞書も載せている。この単語を私は知らなかった。
 インターネットの Oxford Learner's Dictionaries のサイトで、tramper を検索すると、”a person who likes to go for long walks over rough country, carrying all the food and equipment that they need”と説明が出て来た。さらに、類義語が hiker であると。hiker なら知っている。
 手許の『リーダーズ英和辞典』(研究社、初版)には、tramper を載せていて、「徒歩旅行者。てくてく歩く人。という意味と併せて、浮浪人、とぼとぼ歩く人という説明も記している。
 なぜ、冒頭に余談的なことを記したのか。本作を読み進める中で、このタイトル「トランパー」というタイトルにした意味合いを説明している文に気づかなかったことによる。なぜ本作がこのタイトルとなったのか・・・・。

 タイトルは保留にして、このストーリーの構想はおもしろい。みなとみらい署の組織犯罪対策課に本部の捜査二課から問い合わせが入ったことから、諸橋係長以下暴力犯対策係が事件に巻き込まれて行く。食材の詐取事件である。捜査二課の内定の結果、みなとみらい署が所轄する地域に居る、マルB・伊知田組が浮上。伊知田が犯人である物的証拠をつかみたいと捜査二課の永田課長は言う。諸橋らは、捜査二課の家宅捜査に協力することになる。この事件には本部の暴力団対策課の平賀松太郎警部補とペアの藤田巡査部長が関わっていた。ストーリーは、このガサ入れへの準備段階から始まり、捜査二課の主導で伊知田の倉庫のガサ入れが実行される。が、空振りに終わる。伊知田の行方はつかめない。伊知田の捜索と確保が喫緊の課題になっていく。

 このストーリー、諸橋と城島のペアが、要所要所で神風会の神野の自宅に情報収集に出かけるところがやはりおもしろい。一方で、県警本部の監察官・笹本康平警視が諸橋と城島のペアの素行チェックで、捜査の過程で首を突っ込んでくる。笹本は執拗に諸橋・城島たちの捜査行動上の瑕疵を発見し取り締まろうとしているように見える。だが反面、この二人を防護するために関与しているようにも見える。そこがおもしろみを加えている。

 ガサ入れの空振りは、どこかからか情報漏洩したことが原因ではという疑いが浮上する。諸橋・城島らも疑われるが、平賀も疑われる対象者になる。ある時点からコンタクトが取れない平賀の行方を捜査することに事態が進展する。そこに、カクと称される得体の知れない中国人が関係している情報が得られた。そんな矢先に、平賀の遺体が本牧ふ頭に浮かんでいるのが発見された。ワイヤーを使った絞殺の可能性が出てきた。
 食品の詐取事件に警察官殺害事件が絡んでくるという急展開により、捜査の次元が複雑化していく。平賀は単独で何を捜査していたのか。それが捜査二課の進めてきた詐欺事件とどのように関わるのか。平賀殺害の件に関して、本部の捜査一課強行犯係が捜査を始めることで、詐欺事件の捜査にも関わってくる。読者にとっては、興味津々の事件展開に発展していくのだが・・・・。
 諸橋と城島とを中核に、暴力犯対策係のメンバーはそれぞれの特性・能力を発揮していく。諸橋は、平賀が彼独自の捜査目的を持って行動していたと考え、その点を追求して行こうとする。覚悟を決めてカクの協力を得るための行動と捜査に踏み込んでいく。諸橋がカクと接触する行動に対して、公安の外事二課の刑事が諸橋の前に姿を見せるようになる。

 このストーリー、前半は食品の詐取という詐欺事件が主体となって展開するが、平賀警部補が殺害された事件が転機になる。伊知田がみなとみらい署に自首してくるのだ。平賀の殺害には関与していないと。後半は、平賀がなぜ殺される結果になったかという事実の解明と犯人の捜査へ展開していく。事件はどういうつながりがあったのか。事件の背景に何が潜んでいるのか。平賀はなぜ、誰に殺されたのか・・・・・。

 本作は現代のグローバルな社会状況の一局面をストーリーの背景に巧みに取り込んでいる。コロナ禍と世界の物流の関係を取り込む発想がおもしろい。世界中のコンテナの9割以上が中国で作られているという。コロナ禍がコンテナ生産に影響を与え生産量が落ち込んだ。コンテナの回転率低下が、物流に大きなダメージを与えている。だが、それが逆に、ある者にとっては商機となっているという。
 この事象が実に巧みにストーリーに織り込まれている。

tramp という単語は名詞では「浮浪者、放浪者」という意味を持つので、tramper も同様に必要なものを身に帯びるだけで浮浪、放浪する人という意味合いでここでは使われているのかもしれない。そう受け止めると、諸橋と城島が対峙している捜査の対象者はそのような連中だったことになる。

 ふ頭のコンテナヤードが表紙に使われているのは、本作の背景を象徴していると言えるかもしれない。

 ご一読ありがとうございます。

こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『審議官 隠蔽捜査9.5』   新潮社
『マル暴 ディーヴァ』   実業之日本社
『秋麗 東京湾臨海署安積班』   角川春樹事務所
『探花 隠蔽捜査9』  新潮社
「遊心逍遙記」に掲載した<今野敏>作品の読後印象記一覧 最終版
                      2022年12月現在 97冊

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『芸術新潮 12』 特集 21世紀のための源氏物語   新潮社

2023-12-08 17:22:09 | 源氏物語関連
 新聞広告でこの特集のことを知り読んだ。2023年11月25日に発売された第74巻第12号。
 月刊誌の特集であり、実質74ページのボリューム。『源氏物語』に関心を抱き、本を折々に読み継いでいるので、「21世紀のための」というキャッチフレーズに興味を抱いたことによる。

 最初にこの特集の構成をご紹介しておこう。
 Ⅰ はじめての源氏物語  
   大塚ひかりさんの総論解説: 総説のあとに三章だてでの解説が続く
   編集部による『源氏物語』超あらすじ
   And More として、大塚ひかりさんの「ものがたり世界を身体測定する」という文
 Ⅱ 源氏絵ギャラリー  
   佐野みどりさんの解説。6つの観点から構成されている。
   [コラム]マンガになった源氏物語  漫画の実例を載せ、大塚ひかりさんの文
 Ⅲ 「紫式部」の誕生  
   国文学者・三田村雅子さんによる解説文
   「関連ドラマ・展覧会案内」を末尾に1ページ掲載
と、全体は3部構成になっている。

 雑誌の主旨に相応しく、第Ⅱ部では、誌上ギャラリーとして、源氏絵が数多くフルカラー写真の大きな図版で紹介されている。源氏絵に特化した本を別にすれば、多くの源氏物語関連書籍ではモノクロ写真、小さな図版での紹介掲載が多いので、この点大いに楽しめる。雑誌の表紙の源氏絵は、73ページに掲載されている。≪源氏物語画帖≫(重文、京都国立博物館蔵)に載る、土佐光吉筆「花宴」。この源氏絵へのキャプションが「光源氏と朧月夜のボーイ・ミーツ・ガール場面」。この付け方も21世紀風なのかもしれない。

 特集の冒頭は、見開きページを使い、≪源氏物語絵巻≫の「鈴虫 二」(国宝、五島美術館蔵)の部分図を背景に、デンと特集のタイトルが記されている。それに続く3行の文が、この特集の主旨を明示している。引用しよう。
「はるか千年の昔、爛熟した貴族社会を背景に、女性の視点で紡がれた物語が、時代を超え、文化の違い、性の違いを越えて感動を与え続けるのはなぜか。#Me Too と疫病(コロナ)の現在に、改めてそのラディカルな魅力に向き合う」(p22)
 そして、第Ⅰ部には、大塚ひかりさんの総論解説の前に、次のメッセージが記されている。紫式部が『源氏物語』で追求したのは、「リアルな人間世界の喜びと悲しみ、陶酔と不安、祈りと嫉妬だった・・・・」(p24)と。

 この特集では、この物語が千年余の命脈を保ち続けてきたのは、紫式部が物語という形を介して、リアルな人間世界を描き出した。その視点に、当時の時代背景を超えるラディカルな問題意識が内包されていた。そこに読者が感動する根源があるということなのだろう。その一つの読み解き方がここにあるということだ。
「21世紀人のための、21世紀の源氏物語へとご案内します」(p24)のメッセージが末尾の文である。「21世紀のための源氏物語」というタイトルは、現在の若者層を直接的に読者ターゲットにした意味合いだと解る。コラムとして「マンガになった源氏物語」が論じられている。紫式部についての4コママンガが第Ⅲ部で4編併載されているのも頷ける。

 第Ⅰ部の「はじめての源氏物語」の総論解説は実にわかりやすい。たとえば、以下の論点などを含めて、論じられていく。
*『源氏物語』は、それまでの物語がオンナ子どもの慰み物だったことに対しオトナの物語に転換させた。失敗もする等身大の人間をリアルに描き出し、物語の可能性を切り開いた。
*『源氏物語』は、ほとんどいわゆる「不倫」の性愛を描き出していると断じる。その上で、「・・・男にとっては悲恋で、女にとっては虐待かもしれない・・・」(p33)という視点を持ち込む。
*源氏の選ぶ女は弱い立場の格下ばかりで、それは「作者が源氏に天皇のような暮らしをさせたかったからだ」(p35)と論じている点も、興味深い。
*著者は「現代的な視点で見れば」という立脚点を明確にした上で、『源氏物語』を論じている。その結果『源氏物語』に登場する男は、サイテー男ばかりという解説になる。
この視点からとらえればナルホドと思うところが多かった。

 「『源氏物語』超あらすじ」は、本当にざっくりと各帖の大筋がまとめられている。
これから『源氏物語』を読もうとする人には、ごく大括りでストーリー全体のイメージを形成できる。イラストや系図を挿入しながら、7ページであらすじがまとめられている。
まさに超あらすじである。

 「ものがたり世界を身体測定する」という文は、私にはタイトルに使われた「測定」という言葉の使用が今ひとつしっくりとしない。ただこの文の意図するところは興味深い。『源氏物語』に登場する女たちを、「メインの女君たち/ブスヒロインたち/肉欲の対象/奪われる女/八の宮三姉妹」という区分のもとに、具体的な身体描写がどのようになされているかを抽出して、論じている。『源氏物語』を通読しているが、こういう視点で突っ込んで考えたことがなかった。著者は、『源氏物語』の当時の「見る」という言葉のニュアンスを説明した上で、『源氏物語』の身体描写はセックス描写に近いと言う。
 さらに、「男たちを比較する」「似ない親子」「宇治十帖 二大貴公子の対照性」という見出しで、身体描写を論じていく。しっかりと論じられていておもしろかった。

 「源氏絵ギャラリー」は、Q&Aの形式で、源氏絵が解説されていく。取り上げられた源氏絵の名称を挙げておこう。一部または全部の大きな図版が掲載されている。
土佐光元筆≪紫式部石山詣図≫(宮内庁書陵部蔵)、≪車争図屏風≫(京都・仁和寺蔵)、狩野山楽筆≪車争図屏風≫(東京国立博物館蔵)、≪源氏物語絵巻≫(德川美術館蔵/五島美術舘蔵)、土佐光吉筆≪源氏物語画帖≫(京都国立博物館蔵)、伝花屋玉栄筆≪白描源氏物語絵巻≫(スペンサー・コレクション)、岩佐又兵衛筆≪野々宮図≫(出光美術館蔵)、山本春正文・絵≪絵入源氏物語≫(国文学研究資料館蔵)、≪盛安本源氏物語絵巻≫(スペンサー・コレクション)。

 源氏絵には女性が登場せず、全員男性が描かれたものもあるということを、ここで知った。≪源氏物語図屏風≫(今治市河野美術館蔵)である。「そもそも源氏絵制作の主体はほぼ男性のエリートたちでした。・・・彼らが『源氏物語』に象徴される古典古代の文化的力をいかに利用しようとしたか、その価値をどのように再配置したかという問題への視点が欠かせません。・・・・女嫌いの源氏絵が出現する背景には、そうした歴史的な文脈があるのです」(p77)という解説が加えられている。私には新たな視点となった。

 第Ⅲ部では、≪紫式部日記絵巻≫(国宝、五島美術館蔵)の一部と伊野孝行画の4コママンガを併載しつつ、「紫式部」という物語作家がどのようにして生まれたかが明らかにされていく。なお冒頭に、ここ数十年は紫式部の伝記研究は停滞期にあると述べられている。
 待望の皇子を産んだ中宮彰子が内裏に戻る際に、源氏物語の豪華装丁、豪華筆者による新写本を土産物にした望み、紫式部が総監督的な役割を果たし、写本作成の紙を初めとする材料を藤原道長が提供したことは知っていた。道長は喜んで協力していたものと理解していたのだが、著者によると真逆だったそうだ。「道長はこの企画そのものに賛成できなかったらしく、『物陰に隠れてこんな大層なことをしでかして』と紫式部を非難し、嫌味を言いつつ、中宮のためにやむなく協力していたとある。この作業用に道長が提供した硯まで、みな彰子が紫式部に与えてしまったことに憤慨しているようすも明らかである」(p92-93)こんなエピソードは初めて知った。新たな学び。この状況の見方がまた変わる。一方で、この豪華写本作成が、『源氏物語』の存在を確たるものにしたのは頷ける。
 「物語作者としての栄華の頂点で激しい疎外感に苛まれている紫式部がここにいるのである」(p93)という説明は印象的だった。
 『源氏物語』と紫式部の研究にも時代の波と変遷があることの一端がわかり、おもしろい。

 『源氏物語』への入門ガイドとしては読みやすい特集になっていると思う。
 やはり、『源氏物語』は様々な読み方ができるようで奥深い。だからこそ、時代を超えて読み継がれる古典たり得ているのだろう。

 ご一読ありがとうございます。


こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『源氏物語』  秋山 虔   岩波新書
『古典モノ語り』   山本淳子   笠間書院
『紫式部考 雲隠の深い意味』   柴井博四郎  信濃毎日新聞社
『源氏物語入門 [新版]』  池田亀鑑  現代教養文庫

「遊心逍遙記」に掲載した<源氏物語>関連本の読後印象記一覧 最終版
                        2022年12月現在 11冊

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『秘太刀馬の骨』  藤沢周平  文春文庫

2023-12-05 21:19:45 | 藤沢周平
 ゆっくりとしたペースで、藤沢作品を読み継いでいる。本書は1992年12月に単行本が刊行され、1995年11月に文庫化されている。31年前の作品だが色褪せてはいない。
 ネット検索してみると、2005年にNHKでテレビドラマ化されている。DVD化もされている。

 この作品のメインストーリーの建前は、秘太刀「馬の骨」の使い手が誰かを探索し究明するという時代推理小説である。本音はなぜ執拗にその使い手を探さねばならないかという疑問が背後に控えている。その推理に突き進んでいくという二重構造になっている。

 さて「馬の骨」である。北国の藩で、6年前に筆頭家老望月四郎右衛門隆安の暗殺事件が起きた。派閥の長であり、対立する派閥杉原派を圧倒する勢いを示している最中でのことだった。その死体の傷口を大目付の笠松六左衛門が検分して、「馬の骨」とつぶやいたという。望月家は藩草創以来の名門だったが、三ヵ条の理由を挙げて取り潰しとなった。
 その大派閥望月派を継いで家老の小出帯刀が頭領となっている。前筆頭家老、杉原は大病を患い、一旦引き下がり派閥が一時衰えていた。だが病気が快方に向かい、杉原派が再び力を取り戻しつつある状況となってきた。あれから6年、状況が動き出している。
 小出派に属し、帯刀の引きで、万年御書院目付だった浅沼家から浅沼半十郎は去年、近習頭取に取り立てられていた。半十郎は若い頃に鍛錬し剣術の腕が立つ。半十郎は家老屋敷に呼び出された。帯刀は近頃望月を暗殺したのは小出帯刀ではないかとの噂が出ていると言う。それで「馬の骨」の使い手の究明をしたいのだと。その探索を半十郎に手伝えと言う。半十郎は一、二度、「馬の骨」ということを耳にしたことがあった。「馬の骨」は御馬乗り役の矢野家に伝わる秘太刀と言われていること。矢野家には稽古所があり、剣術の指南もしていることを。
 帯刀は、江戸から甥の石橋銀治郎を呼び寄せていて、銀治郎に秘太刀の使い手を探させる。銀治郎の探索の案内と世話をしながら、探索の成り行きを見守って欲しいという指示を半十郎にしたのだった。
 ここからストーリーが始まっていく。
 
 秘太刀「馬の骨」の使い手を探索究明するというプロセスはまさに推理小説と同じアプローチになる。ただし、推理を押し進めていくプロセスで大きく異なるところがある。
 秘太刀の使い手を絞り込み対象者を推理するのは当然のことだが、本当に使い手であるかどうかを知るために、銀治郎が対象者に木刀での試合を申込み、試合の場に相手を引き出し、勝負をした上で、真に使い手であるかどうか判断するという方法をとる。
 半十郎は、試合の対象者となる藩士との最初の折衝役並びに試合での立会人になることで、この探索に関わって行く。銀治郎と試合結果の判断を共有しながらも、一方でこの秘太刀「馬の骨」を執拗に究明することに疑問を抱く。そして一歩突っ込んで小出帯刀の真意は何かに関心を深めていく。その解明のプロセスが半十郎の生き様に関わっていくことになる。銀治郎の世話をすることが、半十郎には徐々に疎ましくなっていく・・・・。

 このストーリー、銀治郎が対象者と試合を重ねて、剣術の腕を判断していくプロセスの積み上げとなる。如何にして試合を承諾させるか、銀治郎の行うの手練手管が興味深い。一試合で、一つの章が一区切りとなる構成が主体になるので、いわば、文庫本で306ページという長編小説は、筋を通しながら短編小説を巧みに数珠つなぎにリンクさせていく形になっている。おもしろい試みと思う。
 
 「馬の骨」の使い手探索をメインストーリーの経糸とすれば、いくつかの緯糸が組み込まれていて、ストーリーに奥行きと広がりを加えている。
 1つは、小出帯刀派と、再び力を結集し擡頭の機会を狙う派閥・杉原派とのせめぎ合いを伏流として織り込んでいく。ここに、半十郎の妻杉江の兄であり、義兄にあたる谷村新兵衛の立ち位置と迷いが、いわば一つの事例となっていく。いずこにもどの時代にもありそうな話である。
 2つめは、浅沼半十郎の家庭内問題がサブ・ストーリーとして、パラレルに進行していく。半十郎と杉江は、男と女の2子を授かったのだが長男が急逝した。それが契機となり、杉江は心の病気に陥った。回復傾向を見せつつも、悩ましい状況が続いている。家に帰れば、半十郎は妻の杉江に対応しなければならない。義兄の新兵衛は時折、半十郎に妹の病気の状況を尋ねることを繰り返す。読者にとっては、全く次元の異なる内容が挟み込まれていくことで、半十郎という男に一層関心を抱くようになっていく。その成り行きに興味津々とならざるを得ない。
 3つめは、このような状況の中で、藩主が江戸から帰国するという時期が迫ってきている。半十郎にも藩主の考えに関わる断片的な噂も漏れ聞こえてくる。

 メインストーリーの結末は、結局一部の人間だけが事実を胸中奥深くにしまい込み、現象面での建前づくりは別として、真実は闇の中に閉じ込められてしまうのだろう。一方、半十郎の家庭内問題は読者をほっとさせるエンディングとなる。一気読みしてしまった。
 ご一読ありがとうございます。

補遺
時代劇シリーズ 「秘太刀 馬の骨」 :「NHK」

インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)



こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『花のあと』    文春文庫
『夜消える』    文春文庫
『日暮れ竹河岸』  文春文庫
「遊心逍遙記」に掲載した<藤沢周平>作品の読後印象記一覧 最終版
                       2022年12月現在 12冊
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『狐花火 羽州ぼろ鳶組』  今村翔吾   祥伝社文庫

2023-12-03 18:27:35 | 今村翔吾
 序章は、時を遡り、明和の大火の下手人秀助が火消の前から逃走する場面から始まる。 本作はこのシリーズの転機を迎える段階に位置づけられるのではないかという印象を抱いた。
 それが第1章から現れてくる。印象を呼び起こした側面を挙げると次のとおり。
1.今までは、江戸の明和の大火並びに様々な大きい火事を引き起こした犯人たちの黒幕に、一橋(ヒトツバシ)が居るのではと推定されていただけである。だが、ここで一転して、民部卿、一橋治済(ハルサダ)が江戸に火事を起こすことを手段にして、己の嫡男豊千代を将軍にし己が政を執ろうという願望を抱いて暗躍していることが明らかにされる。そして、治済の手足となり働く新たな者たち、2人と面談する場面が冒頭に描かれる。
 新たな犯行実行者が現れる。さて、犯行を実行するのはどのような人物で、どのような火事を引き起こすのか。
 興味深いのは、最初に一橋治済の存在が明示されるが、本作ではその後水面下の存在となり、表には一切出て来ないことである。

2.田沼意次が、江戸の火消の仕組みに、火消各組の能力の強弱を是正するために、鳶の採用方法に新制度を導入する。「鳶市」と通称される。さらに、鳶として採用された新人たちを全員、小川町定火消屋敷に集めて、合同で一月教練の場を与え鍛え上げるという制度も導入される。新庄藩火消頭取の松永源吾、加賀鳶の頭取並・詠兵馬、同二番組組頭・清水陣内などがその教官として関わって行く。新制度の動き出す様子がこのストーリーの一つの焦点になっていく。新人の中に予想外の逸材が含まれていた・・・・・。

3.前作吉原での火付けをきっかけに、「唐笠童子」の異名を持つ麹町定火消頭取・日名塚要人(ヒナヅカカナメ)が登場してきた。本物の「日名塚要人」は既に死んでいて、その名を名乗る日名塚要人。田村意次の命を受けた公儀隠密。正体不明のこの日名塚とともに、松永源吾らは、火付け犯人と黒幕の探求で協力していくことになる。公儀隠密の日名塚はなぜか火消の経験を持つという事実が明らかになっていく。本作では源吾と日名塚の協力関係に光が当たって行く。

4.2年前に松永源吾から一時の猶予を得た秀助は、赤い花火を打ち上げた後に捕らえられた。その後火刑となったはずである。だが、その秀助の使った火付けの手法が、本作の火事では使われていくことになる。秀助は死んでいなかったのか? その謎の解明がこのストーリーの本命になっていく。序章における時を遡った秀助の逃亡描写は、この謎解きに迫っていく布石でもある。

5.火消番付の上位者をターゲットにした番付狩りを行う男が徘徊するようになる。喧嘩をを吹っかけて、素手で格闘に持ち込み、番付に載る火消を次々に負傷させていくのだ。その狙いは何なのか? これも過去につながりながら、過去にない新要素となっていく。
 番付狩りの男にまつわるサブ・ストーリーがパラレルに進行していく。 

6.源吾の妻・深雪の果たす役割がますます重みを加えてくる。深雪の人脈はさらに広がる。島津又三郎から阿蘭陀のエルテンスープのレシピを教えられ、その料理を皆に振る舞う。松永宅を訪れた日名塚要人すら食事の場に包摂していくことに。深雪の魅力が増していく。

 本作ではいつどこでどの様な火事が発生するか。火消はどこが出動するか、キーワードだけをご紹介しておこう。
1.駿河台定火消の家の火事 1月:1宅の土蔵が燃える。 2月:1宅で朱土竜。
2.鳶市より2日前の夜半。火元は麹町、岩井与左衛門宅の土蔵。朱土竜(アケモグラ)。
 麹町定火消。ぼろ鳶組出動。
3.鳶市開催の当日。番町で出火。風は東向き。加賀藩火消頭・大音勘九郎が大将となる。
 鳶市に集まった組頭たちが、火消連合として行動する。奇抜な展開に興味津々・・・。
 この出火、朱土竜、立ち木が突然燃える、粉塵爆発、
4.駿河台定火消屋敷のすぐ真北の場所で出火。瓦斯が使われる。駿河台定火消、万組、
 加賀鳶、八丁火消、に組、麹町定火消、ぼろ鳶。

 本作がおもしろく楽しめるのは、火消番付に登場する様々な異名を持つ火消たちが登場し、特技を生かしつつ、人命救助と火消に邁進する姿の描写で読者を引き付けていく。
 ぼろ鳶組の面々以外の火消の名を列挙してみよう。「縞天狗」の漣次、米沢藩火消頭・「黄獏」の神尾悌三郎、吉原火消「小唄」の矢吉、柊与市、進藤内記、「春雷」の沖也、「白毫」の燐丞、「唐笠童子」の日名塚要人等の多士済々。実に楽しめる展開である。

 終章は、時を遡り、再び秀助に戻っていく。秀助の後姿に余韻が残る。

 最後に次の文を引用しご紹介しておこう。
*何なのだ。神仏は。どうして今になって光明を見せる。人の美しさを見せようとする。いやずっと人は美しく同時に醜いものであったのだ。己が醜いものしか見ようとしなかっただけだ。
                   p278-279
*だが儚く消えるからこそ、心に留まるものもある。それは花火の人も同じではないか。
                   p403

 ご一読ありがとうございます。

こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『夢胡蝶 羽州ぼろ鳶組』   祥伝社文庫
『菩薩花 羽州ぼろ鳶組』   祥伝社文庫
『鬼煙管 羽州ぼろ鳶組』   祥伝社文庫
『九紋龍 羽州ぼろ鳶組』   祥伝社文庫
『夜哭烏 羽州ぼろ鳶組』   祥伝社文庫
『火喰鳥 羽州ぼろ鳶組』   祥伝社文庫
『塞王の楯』   集英社

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