
オムニバス短編集。掌編集ともいえる。巻末に所載の初出一覧を見ると、『5分で読める!~~』並びに『10分間ミステリー』というフレーズを冠して発表された短編が本書に収録された短編の6割を占めている。様々なテーマを扱っている作品集なので、収録された11編のどれからでも手軽に読める。
本書は、2022年4月に単行本が刊行され、2024年4月に文庫化されている。
収録11編の作品の長さ(実質ページ数)を調べてみた。括弧の数字は作品数である。
9ページ(3)、10ページ(4)、20ページ(1)
21ページ(1)、39ページ(1)、54ページ(1)
収録された小編・短編には、人間の心理や行動のある事象・局面が鮮やかな手際で切り出されている。各編について、少しご紹介してみたい。作品タイトルの後の括弧の数字はその作品について単行本でのページ数を示した。
< チョウセンアサガオの咲く夏 > (9)
病気の母を自宅で介護しつづけてきた独身の娘。往診に来る平山医師にえらいなと褒められ、労いの言葉をかけられる。さらに褒められたいという心が動き出す。その為には・・・・。孤独な娘の心理が転換する局面を鮮やかに掬い取っている。
< 泣き虫の鈴 > (39)
越後街道沿いの白鷹村にある養蚕業の本多家に奉公する12歳の八彦。最年長の正造のいじめにあう泣き虫。母に持たされた鈴が彼にとって唯一の慰めとなる。白鷹村に来た瞽女の一行を初めて見る。瞽女ハツエの養女キクとの会話が八彦の心を動かす。祭の後で事件が起こる。キクとの出会いが、八彦の心をワン・ステップ強くした。
人間の心の成長。人と人との交流が触媒となり、心に転機が生まれる。その局面が切り取られている。
< サクラ・サクラ > (10)
現パラオ共和国は、太平洋戦争の時、日本の委任統治領だった。戦争下でペリリュー島の日本軍は陥落した。夏休みを利用してこの島に旅行した日本の若者がその時の話を聞くことに・・・・。
太平洋戦争の戦域の広がりと事実について、わずかしか知らないということに、この小編で気づかされた!! 昭和史を学び直さねば・・・・・。
< お薬増やしますね > (10)
妄想性パーソナリティ障害の患者が、大学附属病院の精神科医の診察を受けている状況を描く。この患者は自分が精神科医と思い込んでいるというおもしろい状況設定。
精神病とはどのような広がりと深さを持つ世界なのだろうか。正常と異常とはどこで区分されるのだろうか。それが知りたくなってきた。
< 初孫 > (10)
大手新聞の政治部キャップが、親友で遺伝子研究をしている生物工学者に、ある親子のDNA鑑定を依頼するという小編。
事実を知ることは、恐ろしい・・・・・そんな思いを抱かせる。
< 原稿取り > (10)
締め切りに追われる編集者と筆が遅いことで有名な作家との間での原稿に関わる小編。
昭和56年夏という時代設定。手書き原稿を編集者が作家宅に受け取りにいく。
この令和時代は、様変わりしているのだろうな・・・・まず、そんな感想が浮かぶ。
< 愛しのルナ > (9)
ルナとは猫に付けた名前。小さな公園で「私」が捨て猫を見つけ、飼い猫にした。私はルナの動画を投稿サイトにアップする。好評を得る。私は愛しのルナに近づいていく。
「病膏盲に入る」という表現を思い浮かべてしまった。
< 泣く猫 > (20)
母に棄てられた娘・真紀。17年の断絶を経て、真紀は警察からの知らせで母の死を知る。葬儀を済ませ、母のアパートの部屋の後始末に出向く。2階から見える狭い空き地で鳴く子猫。親猫が現れる。源氏名をサオリと名乗る女がママから頼まれた香典を持参した。その後、サオリが大事な弔問客がいたと、猫を部屋に入れる。サオリは、その猫が泣いていると言った。
真紀の心の襞に分け入っていく短編と思う。断ち切れない母娘の絆の存在・・・・。
< 影にそう > (9)
ほとんど目の見えないチヨは瞽女ハツの養女となる。チヨにとり、親方のハツと手引きのコトエに同行する盲目の旅芸人としての初旅である。チヨの視点から、思い乱れるチヨの心中が描かれる。
小編の末尾は、葛の葉子別れという謡曲の一節で締めくくられる。その中に、タイトルの語句が含まれている。
テーマは自分で生きていくということなのだ。
ふと思う。瞽女という存在は、過去のものとなったのだろうかと。少し調べてみよう。
< 黙れおそ松 > (21)
野良猫のノラが、自分の縄張りのチェックを済ませて、松野家の6つ子の部屋に入り込み、彼らを観察するという設定。まず6つ子の名前の設定からおもしろい。上から順に、おそ松、カラ松、チョロ松、一松、十四松、トド松である。
著者は楽しみながら書いていたのではないかと思った。
最後のオチがいい。「にゃおんーーー人間失格」
< ヒーロー > (54)
米崎県米崎市の高校の柔道部監督だった阿部幸弘が亡くなった。享年81。その告別式で同期の3人が出会う。増田陽二と伊達将司は柔道部に所属、木戸彩香は柔道部のマネージャーをしていた。増田は高校時代の思い出を回想する。二人の柔道の能力は天地の差があった。伊達が天の部類である。だが、増田と伊達には共通するヒーローが居た。柔道漫画の脇役で登場する早乙女だった。
3人はその夜、居酒屋で食事会をした。それぞれの近況が話題となる。だが、近況話の折に、増田は伊達の語った内容に違和感を感じる。食事を終えた後、先に店を出て行った伊達を増田が追いかけて、疑問をぶつけることに・・・・・。
ストーリーの構成、読者への背景情報の提示のプロセスが実に巧みだと思う。
このストーリーがやはり一番読みごたえがあった。
< ヒーロー > の中に印象深い箇所がいくつかある。文意は人生に関わるもの。覚書を兼ねて引用し、ご紹介したい。
*社会人になり、あのころよりは大人になったいまならわかる。誰がどう思うかではなく、自分がどう感じるかだ。 p192
*嘘を吐くとき、人はなにかを守ろうとしているってことだ。 p217
*人生は、ほんの些細な偶然で成り立っている。 p222
*自分に自信があるやつなんていないよ。あったって、そんなの一時だ。自信がなくて、できるやつを羨んで、そんな自分が嫌で落ち込む。でも時々、自分も捨てたもんじゃないって思うときがある。そして、またがんばる。その繰り返しだよ。 p225
*嘘の先には、嘘しかありません。 p229
すべての人間を騙せても、本人だけは自分が嘘を吐いているとわかっているからです。
人間にとっての絆としがらみ。生きるということ、生きる意味。
それを見つめた掌編集だと思う。
ご一読ありがとうございます。
補遺
チョウセンアサガオ類 :「食品衛生の窓」(東京都保健医薬局)
ヨウシュチョウセンアサガオ :「公益社団法人日本薬学会」
古くて新しいチョウセンアサガオ曼陀羅華は諸刃の剣 :「化学と生物」
精神病とは心の病なのでしょうか。 :「千葉県」
精神障害(精神疾患)の特性(代表例) :「厚生労働省」
正常と異常の概念 佐藤隆の特別講座 :「総合心理教育研究所」
1.検査基準値の考え方―医学における正常と異常― 日本老年医学会雑誌:「J-STAGE」
瞽女 :ウィキペディア
盲目の旅芸人 瞽女(ごぜ)さんを知っていますか? (平成28年11月1日) :「南相馬市」
file-84 越後の瞽女(前編) :「新潟文化物語」
瞽女(ごぜ)唄が響く ハートネットTV :「NHK」
「過酷な中を生きた瞽女のパワーを伝えたい」瞽女唄を唄い継ぐ 全盲の広沢里枝子さん(長野県東御市) 中部新聞デジタル編集部 YouTube
越後ごぜ唄と津軽三味線 萱森直子 ホームページ
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『合理的にあり得ない 2 上水流涼子の究明』 講談社
「遊心逍遙記」に掲載した<柚月裕子>作品の読後印象記一覧 最終版
2022年12月現在 16冊
本書は、2022年4月に単行本が刊行され、2024年4月に文庫化されている。
収録11編の作品の長さ(実質ページ数)を調べてみた。括弧の数字は作品数である。
9ページ(3)、10ページ(4)、20ページ(1)
21ページ(1)、39ページ(1)、54ページ(1)
収録された小編・短編には、人間の心理や行動のある事象・局面が鮮やかな手際で切り出されている。各編について、少しご紹介してみたい。作品タイトルの後の括弧の数字はその作品について単行本でのページ数を示した。
< チョウセンアサガオの咲く夏 > (9)
病気の母を自宅で介護しつづけてきた独身の娘。往診に来る平山医師にえらいなと褒められ、労いの言葉をかけられる。さらに褒められたいという心が動き出す。その為には・・・・。孤独な娘の心理が転換する局面を鮮やかに掬い取っている。
< 泣き虫の鈴 > (39)
越後街道沿いの白鷹村にある養蚕業の本多家に奉公する12歳の八彦。最年長の正造のいじめにあう泣き虫。母に持たされた鈴が彼にとって唯一の慰めとなる。白鷹村に来た瞽女の一行を初めて見る。瞽女ハツエの養女キクとの会話が八彦の心を動かす。祭の後で事件が起こる。キクとの出会いが、八彦の心をワン・ステップ強くした。
人間の心の成長。人と人との交流が触媒となり、心に転機が生まれる。その局面が切り取られている。
< サクラ・サクラ > (10)
現パラオ共和国は、太平洋戦争の時、日本の委任統治領だった。戦争下でペリリュー島の日本軍は陥落した。夏休みを利用してこの島に旅行した日本の若者がその時の話を聞くことに・・・・。
太平洋戦争の戦域の広がりと事実について、わずかしか知らないということに、この小編で気づかされた!! 昭和史を学び直さねば・・・・・。
< お薬増やしますね > (10)
妄想性パーソナリティ障害の患者が、大学附属病院の精神科医の診察を受けている状況を描く。この患者は自分が精神科医と思い込んでいるというおもしろい状況設定。
精神病とはどのような広がりと深さを持つ世界なのだろうか。正常と異常とはどこで区分されるのだろうか。それが知りたくなってきた。
< 初孫 > (10)
大手新聞の政治部キャップが、親友で遺伝子研究をしている生物工学者に、ある親子のDNA鑑定を依頼するという小編。
事実を知ることは、恐ろしい・・・・・そんな思いを抱かせる。
< 原稿取り > (10)
締め切りに追われる編集者と筆が遅いことで有名な作家との間での原稿に関わる小編。
昭和56年夏という時代設定。手書き原稿を編集者が作家宅に受け取りにいく。
この令和時代は、様変わりしているのだろうな・・・・まず、そんな感想が浮かぶ。
< 愛しのルナ > (9)
ルナとは猫に付けた名前。小さな公園で「私」が捨て猫を見つけ、飼い猫にした。私はルナの動画を投稿サイトにアップする。好評を得る。私は愛しのルナに近づいていく。
「病膏盲に入る」という表現を思い浮かべてしまった。
< 泣く猫 > (20)
母に棄てられた娘・真紀。17年の断絶を経て、真紀は警察からの知らせで母の死を知る。葬儀を済ませ、母のアパートの部屋の後始末に出向く。2階から見える狭い空き地で鳴く子猫。親猫が現れる。源氏名をサオリと名乗る女がママから頼まれた香典を持参した。その後、サオリが大事な弔問客がいたと、猫を部屋に入れる。サオリは、その猫が泣いていると言った。
真紀の心の襞に分け入っていく短編と思う。断ち切れない母娘の絆の存在・・・・。
< 影にそう > (9)
ほとんど目の見えないチヨは瞽女ハツの養女となる。チヨにとり、親方のハツと手引きのコトエに同行する盲目の旅芸人としての初旅である。チヨの視点から、思い乱れるチヨの心中が描かれる。
小編の末尾は、葛の葉子別れという謡曲の一節で締めくくられる。その中に、タイトルの語句が含まれている。
テーマは自分で生きていくということなのだ。
ふと思う。瞽女という存在は、過去のものとなったのだろうかと。少し調べてみよう。
< 黙れおそ松 > (21)
野良猫のノラが、自分の縄張りのチェックを済ませて、松野家の6つ子の部屋に入り込み、彼らを観察するという設定。まず6つ子の名前の設定からおもしろい。上から順に、おそ松、カラ松、チョロ松、一松、十四松、トド松である。
著者は楽しみながら書いていたのではないかと思った。
最後のオチがいい。「にゃおんーーー人間失格」
< ヒーロー > (54)
米崎県米崎市の高校の柔道部監督だった阿部幸弘が亡くなった。享年81。その告別式で同期の3人が出会う。増田陽二と伊達将司は柔道部に所属、木戸彩香は柔道部のマネージャーをしていた。増田は高校時代の思い出を回想する。二人の柔道の能力は天地の差があった。伊達が天の部類である。だが、増田と伊達には共通するヒーローが居た。柔道漫画の脇役で登場する早乙女だった。
3人はその夜、居酒屋で食事会をした。それぞれの近況が話題となる。だが、近況話の折に、増田は伊達の語った内容に違和感を感じる。食事を終えた後、先に店を出て行った伊達を増田が追いかけて、疑問をぶつけることに・・・・・。
ストーリーの構成、読者への背景情報の提示のプロセスが実に巧みだと思う。
このストーリーがやはり一番読みごたえがあった。
< ヒーロー > の中に印象深い箇所がいくつかある。文意は人生に関わるもの。覚書を兼ねて引用し、ご紹介したい。
*社会人になり、あのころよりは大人になったいまならわかる。誰がどう思うかではなく、自分がどう感じるかだ。 p192
*嘘を吐くとき、人はなにかを守ろうとしているってことだ。 p217
*人生は、ほんの些細な偶然で成り立っている。 p222
*自分に自信があるやつなんていないよ。あったって、そんなの一時だ。自信がなくて、できるやつを羨んで、そんな自分が嫌で落ち込む。でも時々、自分も捨てたもんじゃないって思うときがある。そして、またがんばる。その繰り返しだよ。 p225
*嘘の先には、嘘しかありません。 p229
すべての人間を騙せても、本人だけは自分が嘘を吐いているとわかっているからです。
人間にとっての絆としがらみ。生きるということ、生きる意味。
それを見つめた掌編集だと思う。
ご一読ありがとうございます。
補遺
チョウセンアサガオ類 :「食品衛生の窓」(東京都保健医薬局)
ヨウシュチョウセンアサガオ :「公益社団法人日本薬学会」
古くて新しいチョウセンアサガオ曼陀羅華は諸刃の剣 :「化学と生物」
精神病とは心の病なのでしょうか。 :「千葉県」
精神障害(精神疾患)の特性(代表例) :「厚生労働省」
正常と異常の概念 佐藤隆の特別講座 :「総合心理教育研究所」
1.検査基準値の考え方―医学における正常と異常― 日本老年医学会雑誌:「J-STAGE」
瞽女 :ウィキペディア
盲目の旅芸人 瞽女(ごぜ)さんを知っていますか? (平成28年11月1日) :「南相馬市」
file-84 越後の瞽女(前編) :「新潟文化物語」
瞽女(ごぜ)唄が響く ハートネットTV :「NHK」
「過酷な中を生きた瞽女のパワーを伝えたい」瞽女唄を唄い継ぐ 全盲の広沢里枝子さん(長野県東御市) 中部新聞デジタル編集部 YouTube
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『合理的にあり得ない 2 上水流涼子の究明』 講談社
「遊心逍遙記」に掲載した<柚月裕子>作品の読後印象記一覧 最終版
2022年12月現在 16冊