散文的で抒情的な、わたくしの意見

大河ドラマ、歴史小説、戦国時代のお話が中心です。

2015年のトンデモ本大賞・文部省の道徳教材・江戸しぐさ

2019年06月20日 | 政治
「トンデモ本大賞2015」投票総数76で過半数の47票を集め『私たちの道徳 小学五・六年生』が大賞を受賞しました。著作権者は文部科学省です。
江戸しぐさなる「偽史」が載っています。

傘かしげ   雨の日に互いの傘を外側に傾け、ぬれないようにすれ違うこと
肩引き    道を歩いて、人とすれ違うとき左肩を路肩に寄せて歩くこと
時泥棒    断りなく相手を訪問し、または、約束の時間に遅れるなどで相手の時間を奪うのは重い罪(十両の罪)にあたる
うかつあやまり たとえば相手に自分の足が踏まれたときに、「すみません、こちらがうかつでした」と自分が謝ることで、その場の雰囲気をよく保つこと
七三の道   道の真ん中を歩くのではなく、自分が歩くのは道の3割にして、残りの7割は緊急時などに備え他の人のためにあけておくこと
こぶし腰浮かせ 乗合船などで後から来る人のためにこぶし一つ分腰を浮かせて席を作ること
逆らいしぐさ 「しかし」「でも」と文句を並べ立てて逆らうことをしない。年長者からの配慮ある言葉に従うことが、人間の成長にもつながる。また、年長者への啓発的側面も感じられる
喫煙しぐさ   野暮な「喫煙禁止」などと張り紙がなくとも、非喫煙者が同席する場では喫煙をしない
ロク     江戸っ子の研ぎ澄まされた第六感。五感を超えたインスピレーション。江戸っ子(江戸しぐさ伝承者)はこれで関東大震災を予知したという

江戸しぐさというのは、ある政治的意図を持って捏造された「にせものの伝統」です。「ロク」に至ってはオカルトだし、喫煙禁止の張り紙がなくてもって、江戸時代にあるわけありません。
約束の時間に遅れるって、正確な時計もないのに。江戸の傘の構造からみて傾けたらかえって迷惑。ロングシートもないのに腰うかせって。「逆らいしぐさ」も笑える。内容からすれば「逆らわずしぐさ」でしょう。それに「年長に逆らうな」は「しぐさ」などではなく「儒教道徳そのもの」です。・・・とツッコミどころ満載です。現代人が創作したことはアホでも分かります。

歴史学者はほぼ全員が否定してますが、あまりに馬鹿馬鹿しいので、また「かかわると面倒な人たちが主張しているので」、真剣に反論はしていません。
さらに面白いと思ったのは落語家さんの考えです。「そんなマナーがあったなら落語話に出てこないわけがないが、出てこない」。説得力があります。

呉座勇一さんは著書で批判しています。☆の部分。

☆本能寺の変の黒幕説や共犯者説は、学界では全然信じられていません。ところが、世間では「黒幕がいたんでしょ」という話がまことしやかに囁かれ、実際にその説を唱えた本がベストセラーにもなっている。そうしたギャップが、近年は放置できないほどに深刻化しているように見えます。テレビや出版社が無責任に珍説を紹介するのが最大の要因だと思いますが、学界の人間がこれまで陰謀論、特に前近代のそれを黙殺し、問題点を指摘してこなかったことにも原因があるのではないでしょうか。

☆少し前に話題になった「江戸しぐさ」という偽史も同じです。江戸しぐさとは、「傘かしげ」や「こぶし腰浮かせ」など、「江戸時代の商人たちのマナーだった」として、2000年代に広く知られるようになりました。ところが江戸時代に実在していたという歴史的証拠はなく、偽史であることが判明しています

ということでどこの出版社も掲載をやめました。文部族の下村氏のゴリ押しがあったことも明らかにされています。

そんな中「文部省発行の道徳教材には今でもまだ載っている」これは笑って済ますべき問題とも思いません。完全ににせものと判明したものがまだ載っているわけです。
わたしも確認しましたが、58頁と59頁に載っています。
しかもウソがパワーアップしています。
「おつとめしぐさ」・・・誰もみていないてもいいことをしよう
「差し伸べしぐさ」・・・困っている人に手を差し伸べよう       
「念入りしぐさ」・・・火の消し忘れや忘れ物がないか念入りに確認しよう
「用心しぐさ」・・・人混みで親と離れないよう用心しよう 

上から二つ目まではキリスト教道徳に近い。3つ目は「火の用心」でいい。4つ目モロ現代的だし、「念入り」と「用心」はほぼ同じ意味では。

例の有名な前川次官は言っています。
前川 「江戸しぐさ」をまだやってるんですか! あれはやめた方がいいですよ。江戸しぐさは、文科省が作った道徳教材の中に入れちゃったの。あれはねえ、大失敗。僕が初等中等局長のとき、下村さん(下村博文・元文科相)に言われて作った。あんなインチキなものを伝統的な道徳だって思い込んで学校の教材にしてしまったことは、悔やんでも悔やみきれないです。

それにしても現場の教員は何をやっているのでしょう。生徒にウソ教えて平気なんでしょうか。

「にせものの江戸しぐさ」は明らかに「現代向けマナー」です。マナーそのものは正しいからいいではないか、とはなりません。

マナーを倫理と言い換えるなら、子どもにウソは教えないという最低限の倫理を守っていないオトナたちが、どの面下げて、子どもにマナーを教えられるのでしょうか。

「いだてん」「西郷どん」の陰謀説・本能寺の陰謀説

2019年06月19日 | 織田信長
陰謀論が嫌いです。世の中に陰謀はあると思いますが、簡単にバレるようなものは陰謀とも言えないでしょう。

坂本龍馬暗殺、大久保示唆説、、、大久保が幕府見廻組に龍馬の居所を教えた?龍馬の居所なんて見廻組の探索力でも十分に見つけられるというのが定説です。大久保なら悪者にしても構わないというドラマ製作者の甘い考えが露呈しています。

本能寺陰謀説、、、あの光秀に起こせるかという論です。織田家に四人しかいない地域方面司令官なのに、失礼です。

呉座勇一氏は言います。
☆本能寺の変の黒幕説や共犯者説は、学界では全然信じられていません。ところが、世間では「黒幕がいたんでしょ」という話がまことしやかに囁かれ、実際にその説を唱えた本がベストセラーにもなっている。そうしたギャップが、近年は放置できないほどに深刻化しているように見えます。テレビや出版社が無責任に珍説を紹介するのが最大の要因だと思いますが、学界の人間がこれまで陰謀論、特に前近代のそれを黙殺し、問題点を指摘してこなかったことにも原因があるのではないでしょうか。


でも陰謀論が「大嫌いなわたしが」ふと考えるのは、大河「いだてん」と「西郷どん」は陰謀なんじゃないかということです。

むろん真剣には言ってません。

「西郷どん」はなんであんなにつまらなかったのだろう。

籾井会長時代に決まったかと思います。現総理のゴリ押しで「薩長もの」になったのかも知れません。なら「つまらなく作ってやる」という製作サイドの陰謀かも知れません。もはや「薩長同盟」とか「維新の元勲」とかでは人は飛びつきませんよということです。

「いだてん」、、、クドカンの脚本は時代考証によってかなり変更されたようです。見てないので分かりませんが面白いという人もいます。ただ「落語のくだり」がダメダメみたいです。

明治末期、大正、昭和初期、昭和40年までを「美しく描く」、、、現総理と手下の籾井が好きそうなやり口です。さらに国威発揚的でもある。

「そんなの誰も見ないよ」、、、とNHK制作班は証明したかったのかも知れません。これもまた陰謀です。

むろん全て冗談です。「いだてん」はともかく「西郷どん」は「陰謀としか思えないほど、下らない作品」でした。

本能寺四国説は主因とは言えない。本能寺はあくまで突発的な出来事。

2019年06月19日 | 織田信長
藤田達生「資料でよむ戦国史・明智光秀」は「論理が飛躍しすぎてついていけない本」だとわたしは思います。

1、光秀と家臣である斎藤利三は四国の長曾我部と関係が深かった。
2、光秀たち(これを光秀派閥というそうです)は、長曾我部氏を介して(介してって何?)、西国支配への影響力を行使しようとしていた。(どうやら長曾我部・毛利→毛利にいた義昭ラインというのがあるという前提みたいです)
3、とにかく光秀派閥は四国の長曾我部と関係が深かった。しかも長宗我部元親の正室は斎藤利三の妹(異母?)なので特に関係が深かった。
4、最初信長は長曾我部は殲滅しないつもりだった。光秀派閥は長曾我部とともに四国に勢力を伸ばし、西国へ影響力を行使しようとした。
5、ところが「子供たちへの土地分配=相続問題」に悩んでいた信長?は、四国を殲滅しようとした。
6、そこで光秀派閥は本能寺の変を起こした。「四国討伐」が決まったとしても、光秀が担当するなら「まだ良かった」が?、四国征伐は織田信孝・丹羽長秀の担当となった。全国平定が終わったら光秀派閥は遠国にとばされる。(四国も遠国では?)これではもう織田信長を討つより光秀派閥には進む道がなかった。(なぜ?)それを主導したのは石谷家文章を読む限り、光秀というよりむしろ斎藤利三だ。つまり「光秀派閥だ」。だから「単独犯行説」も「直前に光秀が謀反を利三に打ち明けた」という説も、まったく成り立たなくなったのだ。(そんなことはない、利三にさえ言わなかったほうが自然)
7、今までもこのことを筆者は指摘してきた。しかし江戸時代に書かれた資料(2次資料)を基にしたので検討されることが少なかった。ところが新しく石谷家文章という「1次資料」が2014年に公開された。これを読めば、「四国説」が「検討に値するものである」ことは明らか。光秀派閥が本能寺の変を起こしたのだ。織田家は血みどろの「派閥抗争の場」だったのだ。だから偶然ではなく、本能寺の変は派閥抗争の必然の結果なのだ。(どうして必然という言葉がでてくる?)

たぶん、7割程度は藤田さんの書いていることを「それなりに藤田さんの言う通りにまとめている」と思うのですが、このようにまとめても、何言いたいのかあまり正しくは理解できません。

取次としての面目を潰されたということと、「だから本能寺の変を起こすしかなかった」ということが、すんなりツナガルとは到底思えないからです。

☆四国政策の変換を一因として認めるとしても、あくまで突発的な出来事だったというのが真相だと思います。

石谷家文書とやらも、私の知る限り、本能寺に直接関わるような記述はありません。

さらに長宗我部元親の妻は、家来である斎藤利三の「親戚」に過ぎません。遠いのです。利三の兄貴の義理の弟の娘が元親婦人。家臣の遠い親戚の為に家の存亡を賭けるとも思えません。
ちなみに長宗我部元親の嫡男は信親、その信親の妻は斎藤利三の「めい」です。こっちはやや近い。

そもそも「四国征伐回避」という事態になったのは「たまたま」です。

織田信忠が京都にいて、しかも「たまたま逃げないで」戦ってくれて、死んでくれた。織田有楽も一緒にいましたが逃げています。信忠にも逃げるチャンスはありました。信忠は既に織田家家督でしたから、彼が生き延びていれば長宗我部なんか守っている場合ではありません。ただしなるほど四国派遣は信忠が生きていても一旦中止はされたでしょう。私が言いたいのは信忠が生きていたら「織田家の方針は変わらない」可能性が高いということです。信忠は武田攻めでわかるように、血気盛んな武者です。親父が「ゆっくりでいい」と言っているのに、無視して速攻をかけ、武田を滅ぼしました。戦闘的。いずれは四国征伐です。

さらに大事なのは、四国派遣軍である織田信孝の兵が逃げたことです。「逃げると予想できるわけない」のです。

光秀にとっては「渡海して長宗我部と戦っていてくれたほうが都合がいい」わけです。織田信孝と丹羽長秀が摂津の大名を集め光秀に向かってきたら、秀吉の大返しを待たずして光秀軍は弱体化します。そこに越前から柴田勝家が帰ってきたら、戦いようもありません。

四国派遣軍が消えたことで、光秀はやや延命をしました。

摂津に織田信孝と丹羽長秀が大兵力を抱えていたことは、いつも何故か「無視」されます。前述のように「むしろ四国派遣が始まっていたほうが」光秀にとっては幸いだったはずです。四国征伐を止めても、その四国派遣軍が光秀に向かってきたらどうするのでしょう。

光秀は兵が逃げること読んでいた?本能寺後の大名の動きをことごとくはずした光秀が、この事態だけを読んでいたというのは都合の良すぎる解釈です。

光秀が「明智家は滅んでもいい。とにかく面目を潰されたことが我慢ならない。四国征伐さえ止めれば、自分は死んでもいい。四国派遣軍は自分が迎え撃つ」と考えていたなら成り立ちますが、それはつまり「暴発説」ということで、特に新説というほどのこともありません。あくまで本能寺は偶発的というか突発的な出来事でした。光秀にはいくつかの動機、機会があれば討ってやろうという動機はあったと思いますが、四国もいくつか考えられる動機のたった一つに過ぎない。動機なんかないという見方もできます。状況をみて突然その気になった。つまりたまたまあの機会にチャンスが巡ってきたので突発的に行動したとも言える。それぐらいずさんです。だから織田信孝の四国派遣軍も頭に入っていないし、信忠の存在すら当初は重視していなかったのです。信忠のいる妙覚寺はきちんと包囲されておらず、だからそこ二条新御所に移動できました。きちんと計算された計画ではなく、暴発・偶発・突発。だから数日の天下で終わりました。

大河ドラマにおける織田信長・麒麟がくる・国盗り物語

2019年06月19日 | 麒麟がくる
織田信長という武将に興味を持ったのは大昔、小学生のころのことです。「国盗り物語」を読み込みました。たぶん大河「国盗り物語」の放送と同時に読んでいたんだと思います。叡山焼き討ちの場面で「光秀、仏像とは、木とかねで作ったものぞ」という場面などをよく覚えています。

むろん大河も見ましたが、なにせ大昔なのでよく覚えていません。DVDの時代になって、総集編がでて、それでしっかり見直しました。しかし当時はビデオテープを使いまわしていたため、総集編しか残っていません。各話の断片でも覚えているかと言われれば、全く覚えていません。

しかしとりあえずはあの信長。高橋英樹さんの信長と、松坂慶子さんの帰蝶がわたしの中での「基準」となりました。カッコ良かったですね。信長も光秀も。

その後信長は「黄金の日々」に登場します。ただし主役でもなく、比較的早く本能寺となります。信長を狙撃した杉谷善住坊が鋸引きで死んでいくシーンが衝撃的でした。「おんな太閤記」の信長は全く覚えていません。その後1983年に「徳川家康」、役所広司さんです。これも覚えていない。DVDになってからは通しで見ました。

役所さんの信長はほぼ「ご存知の」といった感じです。役所さんも若いから「勢い」がありました。やたらと元気です。徳川家康が聖人君子なので余計に「元気な少年」のように見えました。ちなみに信康自害を強く命令したのは信長ということになっています。家康は「信長に命じられたからではない。わたしの判断で処分する」とか言って信康に切腹を命じます。あまりに聖人君子なので、辻褄が合わない部分も多くあります。

次は「武田信玄」でしょうか。脇役でした。桶狭間の奇襲が成功したのは「武田信玄の陰謀」ってことになってました。

次が「信長」。なんか変な作品で、人物の口調が全部同じでした。ここから「信長の自己神格化」が描かれるようになります。新しい信長像なのかも知れませんが、あれなんか変だなという印象の方が強くしました。加納随天だけが、少し違う口調で、あれは面白い設定でした。

その後が「秀吉」なんでしょうが、渡さんの信長はなんというか「普通」でした。次が「利家とまつ」の反町さん。「であるか」ばかり連発してました。

で「功名が辻」、七割は司馬さんの信長ですが、自己神格化はさらにデフォルメされていました、「もはや朝廷もいらぬ」とまで言っていました。

で「天地人」「軍師官兵衛」

そして「真田丸」と「直虎」、、、直虎の信長は「漫画みたいな魔王」でした。真田丸は五分も登場しただろうか。それでも魔王そのものでした。

麒麟がくるでは久々の「主役並み」でしょう。そうなると比叡山や一向一揆の殲滅で「虐殺ばかりしている」とまずいわけです。それで「保守的な信長」ということになっています。

朝廷も幕府も大事にするそうです。歴史学会の「流行」、あえて流行と書きますが、保守的な面だけ「切り取れば」、そりゃ保守的な像を作ることは簡単です。反論しているのは今の所本郷さんぐらいですが、この後「揺り返し」がくるでしょう。金子さんや藤田さんの説はご都合主義で「最初に結論ありき」です。

「太平記」では「尊王の足利尊氏」が描かれました。脚本は池端俊策さんで「麒麟がくる」も同じです。後醍醐との関係で「迷ってばかりの尊氏」でした。

足利尊氏は戦前は最大の逆臣でしたから、意図は分かります。信長は別に最大の逆臣ではないですが、尊王にされちゃうみたいです。

時代に媚びるという感じですが、学会の「流行」という後ろ盾があるので、納得する人も多いのでしょう。

それでも古い信長ファンは「あんなの信長じゃない」と思うでしょう。すると史実だという反論が起きますが、史実じゃないし、別に大河は史実を描いてはきませんでした。

保守性と革新性は「どの人間も持っていること」で、しかし信長公記などを読むと「やっぱり信長は革新寄り」です。保守的な側面だけを取りあげ、また「手紙」(手紙はタテマエが多い)などを証拠として「本当の信長は保守的だったのだ」と言われても、あれだけ人を虐殺した人間を「普通の人だ」と言われても、納得できません。

大蛇がいないことを確認するために、池の水をほぼ全てくみあげさせたり、親父の位牌に抹香を投げつける(両方とも信長公記に記載あり)人間が、オトナになったからと言って急に守旧派になるとは、到底思えません。

麒麟がくる・実際のキャスト・キャスト予想・最新版2019年6月

2019年06月18日 | 麒麟がくる
主人公は「明智光秀」、主人公並みの重要人物は「斎藤道三」「斎藤利三」「織田信長」「細川藤孝」「今川義元」「織田信秀」「松永久秀」「足利義昭」「今井宗久}と思われる。

信長と光秀が「盟友である」という設定は、NHKが公表している。信長の親の世代を描く意図、主人公たちの青春時代を描く意図も発表している。

齋藤道三の死去は1556年・桶狭間の戦いは1560年・信長の上洛戦は1568年・義昭追放は1573年・本能寺の変は1582年・関ヶ原の戦いは1600年

☆印はNHK発表なので、予想ではなく、本当のキャストです。

主人公・明智光秀関連
☆明智光秀(1528-1582 早くに両親を亡くし、祖父光継に育てられた、道三に仕え、道三死去後、信長と盟友となる、諸国を遍歴、乱世収拾の道を探る)・・・長谷川博己
☆明智煕子(没1576 あけちひろこ、光秀の妻)・・・木村文乃
妻木(実在未詳・明智煕子の妹か、信長側室とも言われる)・・・土屋大鳳
明智光継(光秀の祖父、光秀の育ての親、武芸に秀でている)・・・近藤正臣
☆明智牧(史実では名前不詳、光秀の母)・・・石川さゆり
明智光慶(史実を変更)(あけちみつよし、光秀の長男、学説では死んだ時まだ14歳であるため、それを24歳と設定する。光秀と信長の連絡係として活動したことにする)・・・神木隆之介
☆明智光安(1500-1556 美濃明智城主、明智家家督、道三正室の兄)・・・西村まさ彦
明智倫(史実では名前不詳、光秀の長女、荒木村重室→明智光春室)・・・山本美月
明智宝子(史実では名前不詳、光秀の四女、信長の従弟である津田信澄の正室)・・・橋本環奈
明智左馬助光春(1536-1582 明智秀満 光秀の女婿にして重臣)・・・山崎賢人
明智珠(1563-1600 あけちたま 光秀の三女、細川ガラシャ、細川忠興正室、関ヶ原の混乱の中で死去)・・・桐谷美玲
明智光忠(光秀の従弟、光秀重臣)・・・浅利陽介
齋藤利三(1534-1582 光秀腹心の部下、春日局の父)・・・ムロツヨシ
溝尾庄兵衛(1538-1582 溝尾茂朝 光秀重臣、光秀と共に討ち死)・・・斎藤工
☆藤田行政(1582没 光秀の古参の重臣)・・・徳重聡
☆細川藤孝(1534-1610 細川幽斎、はじめ光秀とともに足利義昭擁立に尽力する。のち織田信長に仕え、光秀の与力武将となる。古今伝授を受けた歌人)・・・真島秀和
細川忠興(1563-1646 細川幽斎の嫡子、細川ガラシャの夫、関ケ原で功を立て、肥後細川家の基礎を築く)・・・溝端淳平
京極高次(1563-1609 衰退した北近江の守護家に生まれる 本能寺後光秀に協力 のち許され豊臣家→徳川家 妻は淀殿の妹である初、妹は秀吉側室)・・・勝地涼
上泉信綱(1508-1577 柳生新陰流の祖、諸国を遍歴して、槍術、剣術を広めた。一時美濃に滞在し、光秀に槍術剣術を指南、将軍義輝の剣術信南、光秀と義輝をつなぐ)・・・真田広之
伊丹新之助(架空の人物)(商人ではあるが武術の達人、その自由な生き方が光秀に大きな影響を与える)・・・オダギリジョー
☆三淵藤英(細川幽斎の異母兄・足利義昭重臣)・・・谷原章介

齋藤道三関連

☆齋藤道三(1494-1556 斎藤利政、美濃国主、土岐頼芸より美濃を奪取した。天下取りの野望を光秀と信長に託す)・・・本木雅弘
長井新左衛門尉(生没年不詳、ながいしんざえもんのじょう、道三の父。はじめ京都妙覚寺僧侶、還俗して京の油屋山崎屋に入り婿し、その財力を背景に国盗りを目指して美濃土岐家の家臣となる)・・・松重豊
お万阿(架空の人物)(おまあ、道三父の京都の妻、道三の母ではない。京都の豪商、油屋山碕屋の女主人)・・・井川遥
土岐里子(架空の人物)(土岐家支流の娘、道三の母)・・・黒木瞳
☆深芳野(みよしの、道三の側室、もとは土岐頼芸側室、斎藤義龍の母)・・・南果歩
小見の方(1513-1551 おみのかた、道三正室、明智光安の妹、濃姫の実母)・・・広末涼子
竹中半兵衛(1544-1579 天才的軍略家、幼少時は道三の薫陶を受ける、神童と言われ12歳で道三の軍略を受け継ぐ、斎藤家家臣→信長家臣、秀吉の与力)・・・志尊淳
☆齋藤義龍(1527-1561 道三の子、実は土岐頼芸の子とされることもある、長良川の戦いで道三の首を奪う)・・・伊藤英明
赤兵衛(架空の人物)(元妙覚寺の寺男、道三の父の最古参の腹心、道三にも仕えた)・・・(華丸大吉の華丸)
☆稲葉一鉄(1515-1589 西美濃三人衆の一人、土岐家→斎藤家→織田家→豊臣家、娘は斎藤利三室、春日局の祖父)・・・村田雄浩
猪子兵助(1546-1582 いのこひょうすけ、道三の小姓、道三没落後、織田信長に仕える)・・・濱田岳
☆土岐頼芸(1502-1582 ときよりよし、もと美濃国国主・道三により尾張に追放される)・・・尾美としのり
日運上人(1484年生、美濃常在寺住職、長井氏出身、道三の父とは妙覚寺で同学)・・・温水洋一
天堂玄隆斎(架空の人物、てんどうげんりゅうさい)(道三の武術指南、槍術の達人)・・・仲代達矢
山崎屋いろは(架空の人物)(道三の父とお万阿の間に生まれた娘、道三の異母妹、やがて油屋山崎屋女主人となる。京都における信長、光秀の指南役として大きな存在感を発揮する)・・・常盤貴子

織田信長関連

☆織田信長(1534-1582 初めは道三とは対立、が濃姫と婚姻後、道三と手紙で交流、道三の野望を受け継ぎ天下人を目指すことになる)・・・染谷将太
信長については「保守的、中世的側面を強調、経済政策に優れていた点も強調される」とNHKが発表している。
☆織田信秀(1511-1552 信長の父、京都志向がある教養人にして強き武人、道三と幾度も戦うが結局美濃を奪うことはできなかった)・・・高橋克典
織田信定(没1538 清州織田家に仕えた奉行、織田信秀の父、信長の祖父、信秀の尾張制覇の野望に賛同できぬものの黙認、隠居する)・・・大和田伸也
☆帰蝶(1535生誕、没年不詳 斎藤帰蝶、濃姫、信長正室、道三の娘、母は小見の方、幼き頃は光秀に淡い恋心を抱いていた)・・・沢尻エリカ
お市(1547-1583 信長妹、浅井長政正室、淀君の母、お江の母、豊臣秀頼、徳川家光の祖母、長政没落後、柴田勝家に嫁ぐ)・・・北川景子
☆土田御前(没年1594 信長の母、息子である織田信行の謀反を心配している)・・・檀れい
織田信忠(1557-1582 信長の嫡子、幼名は奇妙丸、織田家家督を継ぐ、本能寺の変にて討ち死)・・・竹内涼真
生駒吉乃(1528-1566 いこまきつの、信長側室、信忠、信雄、徳姫の実母ということになっている、穏やかな性格で濃姫との関係も悪くない)・・・満島ひかり
織田信行(没年1558 信長弟、信長と家督を争い、謀殺される)・・・三浦春馬
織田長益(1547-1622 おだながます、織田有楽斎、信長弟、信秀の11男、茶人、東京都有楽町は彼に由来する)・・・坂東巳之助
柴田勝家(1522-1583 織田家重臣、通称権六、織田家家督に信行を推した過去を持つ)・・・市原隼人
☆木下藤吉郎(1537-1598 後の豊臣秀吉)・・・佐々木蔵之介
木下寧々(1548-1624 秀吉妻、のちの北政所)・・・夏帆
前田利家(1539-1599 織田家家臣、柴田勝家の与力武将、秀吉とも親しく、のち加賀前田100万石の当主となる)・・・山崎樹範
前田まつ(1547-1617 前田利家正室、芳春院、「加賀100万石は芳春院でもつ」と言われた)・・・瀧本美織
森蘭丸(1564-1582 信長小姓、信長より5万石を与えられた、本能寺にて討ち死)・・・加藤清史郎
夕顔(架空の人物)(信長、光秀に情報をもたらす女忍び)・・・栗山千明
丹羽長秀(1535-1585 織田家方面司令官の一人、秀吉政権で一時は120万石、その後減俸、子孫は二本松藩主となり、明治まで続く)・・・塚本高史
滝川一益(1525-1586 織田家方面司令官の一人、関東担当、秀吉と戦うも、のちお伽衆となる。子孫は江戸幕府で旗本)・・・甲本雅裕
佐久間信盛(1528-1582 織田家司令官の一人、本願寺担当、のち信長に追放される)・・・戸次重幸
池田恒興(1536-1584 織田家重臣、信長とは乳兄弟、子の輝政は初代姫路藩主)・・・窪田正孝
☆平手政秀(ひらて・まさひで)・・・上杉祥三(信秀を支える織田家老臣。信長のもり役)



戦国武将・その他
武田信玄(1521-1573 52歳で死去、甲斐の戦国大名)・・・草刈正雄
山本勘助(半ば架空の人物、甲陽軍鑑や古資料にみられるが、完全なる確証はない、信玄の軍師として高名)・・・荒川良々
武田信虎(1494-1574 甲斐国主、息子の武田信玄によって今川に追放された。信玄より少し長く生きた)・・・角野卓三
上杉謙信(1530-1578 48歳で死去、越後の戦国大名)・・・井浦新
上杉景勝(1556-1623 67歳で死去、上杉藩初代藩主、越後→会津→米沢、関が原により120万石から30万石に減俸)・・・玉山鉄二
☆今川義元(1519-1560 41歳で死去、駿河の戦国大名、領地経営に優れていた、桶狭間の戦いで戦死)・・・片岡愛之助
北条氏康(1515-1571 56歳で死去 相模国の戦国大名、後北条氏三代目当主、謙信・信玄と互角に戦った)・・・鈴木浩介
北条氏政(1538-1590 52歳で死去 相模国の戦国大名 後北条氏四代目当主、東国の覇者 秀吉に最後まで抵抗する)・・・市川猿之助
浅井長政(1545-1573 28歳で死去、北近江の戦国大名、お市の最初の夫、のちに信長と対立、豊臣秀頼、徳川家光の祖父)・・・賀来賢人
朝倉義景(1533-1573 40歳で死去、あさくらよしかげ、越前の戦国大名、光秀は信長と謀り、越前の状況を探るべく、一時義景のもとに身を寄せていた)・・・中村七之助
六角承禎(1521-1598 77歳で死去、六角義賢、近江の戦国大名、信長上洛戦にて敗退、その後も信長と交戦、晩年は秀吉の保護を受ける)・・・要潤
本願寺顕如(1543-1592 一向一揆の総本山石山本願寺住職、浄土真宗本願寺派宗主、10年以上信長と激しい戦いを繰り広げる)・・・伊勢谷友介
三好長逸(1573年前後に死去か、みよしながやす、将軍義輝を暗殺した三好三人衆の一人、畿内で三好政権ともいわれる勢力をほこった。信長上洛で逃亡するが、その後も本願寺と連携、信長と戦う)・・・松田龍平
波多野秀治(没1579 八上城城主 光秀の丹波攻略時の敵将)・・・相島一之
荒木村重(1535-1586 信長家臣、信長より摂津一国の経営を任される。光秀の娘と村重の息子は婚姻関係にある。のち信長に謀反して失敗、しかし生き延びる)・・・六角精児
筒井順慶(1549-1584 大和国大名、のち信長に臣従、光秀の与力となる。妻は信長の娘である)・・・柄本佑
ルイスフロイス(1532-1597 ポルトガルの宣教師、足利義輝、織田信長の保護のもとで布教、著書「フロイス日本史」を残す)・・・ピーターフランクル(数学者にして大道芸人)
☆松永久秀(1508-1577 69歳で死去、畿内を実質的に治めていた三好家の重臣、やがて主君を上回る力をつけていく。信長以前に天下統一を夢みた梟雄。)・・・吉田鋼太郎
足利義輝(1536-1565 29歳で死去、足利幕府13代将軍、三好三人衆によって御所で暗殺される、剣豪でもあり、多くの寄せ手を斬り殺した)・・・中村獅童
☆足利義昭(1537-1597 60歳で死去、足利幕府15代将軍、信長が将軍に擁立、のち信長と対立。信長包囲網の中心人物となる。晩年は秀吉の保護を受けた)・・・滝藤憲一
雑賀孫一(史実不詳)(さいかまごいち、紀州雑賀衆の頭目、またの名を「尻くらえ孫一」、鉄砲隊によるゲリラ戦を駆使して信長の雑賀侵攻を退け、「信長、わが尻をくらえ」と言い放つ)・・・椎名桔平
近衛前久(1536-1612 関白、太政大臣、信長と親交があった)・・・田中哲司
徳川家康(1543-1616 73歳で死去、三河遠江の戦国大名)・・・野村萬斎
今井宗久(1520-1593 堺の豪商、会合衆、信長の経済戦略の要となった人物)・・・高橋一生


☆望月東庵(もちづき・とうあん)・・・堺 正章
京に暮らす医師。今は落ちぶれているが、朝廷や各地の戦国大名などに不思議な人脈を持つ。生涯にわたって光秀を導く存在になる。大の双六好き。架空の人物です。
☆駒(こま)・・・門脇 麦
光秀が京で出会う娘。医師・望月東庵の助手をつとめている。戦災孤児で、伝説のいきもの・麒麟の存在を信じている。架空の人物です。
☆菊丸(きくまる)・・・岡村隆史
光秀が美濃で出会う三河出身の農民。神出鬼没で、敵か味方かわからないが、常に光秀の危機を助ける。

言うまでもなく「予想キャスト」です。☆印は「NHK発表済み」ですから「本当」です。予想はなんだか全員が「主役級」になってしまいました。カッコ内の解説は6割ぐらいが史実です。4割は「設定」ということです。縁戚関係については故意に嘘は書いていません。間違っていたら私が浅学であるせいです。そもそも戦国の人物については、資料の正確さに問題があり、縁戚関係についてすら確定的なことを言うことはほとんどできません。主人公の光秀の前半生を、もし誠実に書くとしたら、「ほとんどわからない」ということになると思います。

大河ドラマで主人公となった女性

2019年06月17日 | 戦国時代
大河ドラマで主人公となった女性を並べるとこうなります。現代劇は除きます。

北条政子・草燃える
ねね・おんな太閤記
春日局・春日局
日野富子・花の乱
前田まつ・利家とまつ
山内千代・功名が辻
篤姫・篤姫
徳川江・江
新島八重・八重の桜
杉文・花燃ゆ
井伊直虎・おんな城主直虎

篤姫以下四人は無理があるなとは思いますが、篤姫は視聴率的には成功した作品です。「江」は私の中では「悪夢」です。

功名が辻の千代まではなんというか「シャキシャキした女性」です。活動もかなり自由にできるという設定です。直虎もそうですね。春日局は「おしん」みたいでしたが。

篤姫・八重・杉文なんぞは「封建的秩序」の中を生きた女性ですから、そうシャキシャキもしていられません。でも八重は鉄砲ぶっ放したしたりしてかなり自由でした。

篤姫は徳川に嫁いでから、江戸城退去まで「ずっと城の中にいる」女性です。彼女の代わりに勝海舟が働き、小松帯刀が戦うという設定だったと記憶しています。

好きな作品としては「草燃える」「花の乱」「功名が辻」です。

あれ、何を書こうと思ったのか、なんのまとまりもない文章になってしまいました。このまま公開します。


葵徳川三代の軽さ・個人的感覚と皆様の意見のズレ

2019年06月17日 | 葵徳川三代


まず写真に触れますが、浅井三姉妹です。葵徳川三代です。圧倒的というか妖怪的迫力です。特に小川さんの淀殿の妖怪感が半端ありません。岡田茉莉子さんと並ぶ妖怪淀殿です。

さて本題

この作品、2000年ですね。私の感覚からするとエンタメ大河なのです。中村梅雀さんの語りの軽妙さといい他の人の演技といい、セリフ回しといい、「コント一歩手前」という感じがするわけです。

ところが重厚という評価が目立ちます。「皆様の感覚」とわたしの感覚はだいぶズレています。わたしが正しいとか言う気はありません。

では「重厚な大河」とは

「翔ぶが如く」
「太平記」
「花の乱」
「国盗り物語」


「くすりとも笑えるシーンがない」のです。

葵徳川三代、再放送で見てますし、つまらないという気もありません。でも重厚ではないし、なんかコントみたいです。きっと私の感覚の方がおかしいのでしょう。

2019年6月・麒麟がくる・新キャスト11名・キャストをみての感想

2019年06月17日 | 麒麟がくる
NHKは17日、主演の長谷川博己(42)が戦国武将・明智光秀を演じる2020年の大河ドラマ「麒麟がくる」(来年1月スタート、日曜後8・00)の新キャストを発表。片岡愛之助(47)、檀れい(47)、佐々木蔵之介(51)らの出演が決まった。片岡は今川義元役、檀は信長の母・土田御前役、佐々木は藤吉郎(秀吉)役を演じる。
新キャストは片岡、檀のほか、煕子役の木村文乃、深芳野役の南果歩、稲葉義道役の村田雄浩、藤田伝吾役の徳重聡、足利義明役の滝藤賢一、三淵藤英役の谷原章介、細川藤孝役の真島秀和、松永秀久役の吉田鋼太郎の11人。

わたしの個人的な詳細キャスト予想はこちらより

まとめますと
今川義元・片岡愛之助
木下藤吉郎・佐々木蔵之介
土田御前・檀れい
明智煕子・木村文乃
深芳野・南果歩
稲葉一鉄・村田雄浩
藤田伝五・徳重聡
足利義昭・滝藤憲一
三淵藤英・谷原章介
細川藤孝・真島秀和
松永久秀・吉田鋼太郎

となります。藤田は光秀重臣・三淵は細川幽斎藤孝の異母兄・土田御前は信長の実母です。

ちょっとだけ感想

今川義元・片岡愛之助・・・義元は「ひとかどの立派な武将として描かれる」はずなのでこうなるでしょうね。

木下藤吉郎・佐々木蔵之介・・・私も他の人も信長は若いと予想して、染谷将太くん26歳でした。藤吉郎は信長より年下です。51歳の佐々木さんは予想不可能でした。が文句ありません。素晴らしい役者。

土田御前・檀れい・・・土田御前はどっちなんだろうと思います。信長と対立という「いつもの構図」なのか。信長の才能を見抜いているという設定なのか。あ、弟の方を溺愛だそうです。NHKのHPにそうありました、

明智煕子・木村文乃・・・旬な女優と思ってました。木村さんは30過ぎで既婚なので旬かはわかりません。新SPECシリーズでは鬼太郎みたいな雰囲気でした。綺麗な方です。

深芳野・南果歩・・・なるほど。私の過去予想では麻生久美子さんでした。

稲葉一鉄・村田雄浩・藤田伝五・徳重聡・・・意外とベテランです。徳重さん、最後の石原軍団としてどういう演技を見せるのか。

足利義昭・滝藤憲一・・・義昭は準主役です。順当でしょう。

三淵藤英・谷原章介・細川藤孝・真島秀和・・・三淵と細川幽斎は兄弟ですが、歩む道は違います。義昭側近の代表として三淵が設定されるのだなということが分かります。

松永久秀・吉田鋼太郎・・・染谷将太くんの信長に吉田さんが「頭を下げる」のかな。威厳あり過ぎ、怖すぎで、染谷くん対峙する演技ができるのか。

以上です。

イランのハメネイ師が語ったこと・アメリカ福音派・イスラエル

2019年06月16日 | 政治
イランのハメネイ師が語ったことは、日本の報道とは随分イメージが違う内容です。

「核兵器には反対する。そのような兵器を製造することは我々の宗教令がそれを禁じている」「しかし、一旦核兵器を製造するようになると米国はそれに反対しても何もできなくなる、そしてそれが禁止されても我々にとって障害にはならない」と述べてイランの断固たる姿勢を安倍首相の前に披露した。(参照:「El Pais」、「HispanTV」)

 一方、安倍首相は米国はイランの政治体制を変えようとする意向のないことをトランプ大統領のメッセージとしてハメネイ師に伝えた。しかし、同師はそのような米国の意向は「偽りだ」と指摘した。そして、「仮にそれをやったとしても、達成できないだろう。この40年米国政府はイスラム共和国を打倒しようと試みたが失敗に終わっている」と断言した。(参照:「HispanTV」)

といってハメネイ師の強気がそのまま本心とも言えないでしょう。しかし「製造しない。でも製造しようと思えばできる」と言ってるわけで、これは日本の報道とはかなり違ったイメージの発言です。

そもそもアメリカは何故前のめりになってイランと対立しているのか。それを私が語れるわけもないのですが、分かっているのは「イランとイスラエルが対立を深めている」ということ。そしてトランプ政権が「異常なほどにイスラエル寄り」だということです。

またイスラエルはかつてほど中東で孤立しているわけでもなく、アラブ諸国はイランの台頭を恐れてもいる。かつての孤立したユダヤ対全イスラムという構図はもはや通用しないとのことです。そもそもイランは特別な国です。シーア派であることに加え、言語もペルシャ語です。アラビア語ではないのです。かつては「大帝国」であったペルシャです。東アジアで言うなら中国。しかも石油も天然ガスも豊富です。かつての「大国」に戻る潜在力を十分に秘めた国です。したがってアラブ諸国からも警戒されています。特にサウジアラビアが警戒しており、そのサウジに大量の武器を売って儲けているのがアメリカです。

そもそもアメリカはイスラエル寄りの国ですが、トランプになって「異常にイスラエル寄り」になった理由は、一般には「アメリカ福音派」で説明されます。

この福音派というのが、どうにも分からないというか、今一歩分からない集団です。

以下高橋和夫氏のブログから引用します。

「キリスト教原理主義者と呼ばれる人々の存在である。しかも、そうした人々は熱烈にイスラエルを支持している。そのキリスト教原理主義者たちは、エルサレムをイスラエルの首都として承認するよう求めてきた。この人々は、キリスト教右派とか宗教保守派とか、あるいはクリスチャン・シオニストとか、さまざまな名称で言及される。
彼らはある意味、ユダヤ人以上にイスラエルを支持しており、占領地の入植をも認める。なぜなら特異な神学を信じているからだ。そこにあるのは、全パレスチナのユダヤ化がイエスの再臨の準備になるという世界観である。世論調査によれば、米国民の16%がこうした世界観を抱いている。実数にすると約5200万人である。そして、その8割以上が昨年の大統領選挙でトランプ氏に投票した。この層の支持がなければトランプ氏はホワイトハウスには入れなかっただろう。」

引用終わり。16%という数字がでましたが、25%という方もいます。ただ、特異な神学を本当に信じているのは16%なのかも知れません。世の終わり、最終戦争をむしろ待望している人々です。

さらに青木保憲氏によると

「米国の福音派はトランプ大統領に絶対的な支持を与えているわけではない。政治的関与に対して、幅広い意見を持つ福音派は、その定義すらつかみどころがない。自分たちの願うアクションを政策として掲げてくれるトランプ大統領を「熱烈に」支持する一部の福音派(宗教右派)もいれば、彼らのプレゼンにほだされて、トランプ支持に回る「浮遊層」も存在する。さらに、政治的な解決は自分たちの信じている聖書のやり方に反する、と主張する反トランプ派の福音派も存在する。」

そうです。

イエスの再臨、というのは最後の審判です。黙示録の世界です。キリストが復活してめでたしとかいう甘いものではありません。世の終わりです。そして信仰あつき者は天に行くか、神によって破壊され、再創造された世界に行くことになります。わたしなぞ絶対に行けません。信仰が薄いとかではなく、そもそもキリスト教徒ではないですから。

ここで不思議なのはイスラエルの建国が「イエス再臨」の前兆だという考え方です。クリスチャン・シオニストの立場ですね。

「この立場では、イスラエル(パレスチナ)を神がユダヤ人に与えた土地と認める。さらに、イスラエル国家の建設は聖書に預言された「イスラエルの回復」であるとし、ユダヤ人のイスラエルへの帰還を支援する。キリストの再臨と世界の終末が起こる前に、イスラエルの回復がなされている必要があると考え、イスラエルの建国と存続を支持する。」 Wikipedia

「シオニズムは、元来、ユダヤ人国家の建設を目指すユダヤ人たちの運動ですが、クリスチャンの中にも、イスラエル建国をメシア到来の重要なステップと見なし、イスラエルを特別視する人たちがいます。そうした人々のことを、クリスチャン・シオニストと言いますが、大半は米国在住の福音派クリスチャンたちです。福音派クリスチャンのすべてがクリスチャン・シオニストではありませんが、その核となっている宗教右派勢力の大部分は親イスラエル的傾向を持っています。
 これが宗教的な傾向性にとどまらず、アメリカの外交政策にまで影響を与えていると言われています。どの程度の影響力があるのかは定かではありませんが、少なくとも、その影響力はかなり大きいようです。」

「かなり大きい」どころかトランプ外交には決定的な影響力を持っています。トランプ自身は大統領になるまで福音派の存在にさほど興味はなかったようですが、今や岩盤支持層として彼らの意に沿う政策を推し進めています。

「イスラエルの回復の予言」はローマの信徒への手紙11章でなされているそうです。なるほど和訳を読むと、イエスを処刑したユダヤイスラエルが「それでもやがて救われる」とは書いてあります。
「こうして、イスラエル人は、すべて救われるであろう。」

しかし根拠はこの部分だけでなく、旧約聖書の言葉も多く根拠とされているようです。キリスト教は旧約聖書に対して排他的な立場はとらず、旧約も聖書であるという立場をとっていますが、旧約も含めて一字一句真実であるという立場だとすると、ちょっと想像を超えています。新約の4つの福音書ですら「互いに矛盾した記述」があるのです。旧約まで含めて新旧聖書を「統一的に理解すること」などまず無理というものです。

わたしは聖書に関しては「文献学的興味」を持っています。どの福音がいつ書かれ、どういう風に「対立関係にあるか」を文献学は明らかにします。4つの福音書すら立場が大きく違うのです。

もし本当に頑強なキリスト教原理主義者が16%、5000万人以上いるとするなら、われわれはアメリカについて「何も知らないに等しい」のかも知れません。

ドラマJIN-仁-の魅力・坂本龍馬について

2019年06月15日 | ドラマ仁
いまさらながらドラマ仁をきちんと見ました。配信されているからです。

憎まれ役のように見えて素敵な人物が登場します。例えば橘栄・麻生祐未さん。多紀元琰・相島一之さんです。このうち多紀元琰は実在の漢方医で、上野戦争の際、官軍の中を「当時朝敵徳川慶喜家来多紀養春院」と名乗って突破したという逸話が残っています。

訳すると「いまの段階では朝敵である徳川慶喜の家来」ということです。本当だとしたら山岡鉄舟と同じような気骨です。

憎まれ役ではないが、街の茶屋の娘、橋本真実さんなどもきっぷがよくていい感じです。

さて

坂本龍馬は内野聖陽さんで、非常によい感じです。かっこよすぎない所がいい。それでいて時々眼光が光ります。いつもはふざけていますが、時折真顔になります。その使い分けのうまさ。内野聖陽さんは凄い役者なのだと改めて感じます。

龍馬暗殺はちと複雑です。大久保が示唆して幕府見廻組(史実としては彼らが犯人)が近江屋に踏み込むがこれは龍馬不在で失敗。大久保は損な役回りです。で結局は江戸から来た刺客が襲う。その中には橘咲の兄の橘恭太郎も含まれています。彼はこれを悔い、何度か死を考えるという設定です。上野戦争で死のうとしますが、命長らえ、結局龍馬の意志を継いで保険制度の確立に尽力したという流れになります。

が、実はこの刺客も直接の犯人ではありません。直接に斬ったのは龍馬の護衛役で、龍馬を理解していたはずの東という長州武士です。実は龍馬は兄の敵でした。でもこのタイミングで何故斬ったかについては作品内の人物の見方も分かれています。人に殺されるぐらいなら自分でとか、南方仁が治すことを前提に斬ったとか、いろいろです。東自身はその後切腹します。作品内で作中人物が色々な理由を語るので、見る人に判断は任せるという構造になっています。南方仁は治療に全力を尽くしますが、ペニシリンが効かない菌によって龍馬は死亡します。

龍馬の船中八策は歴史の改変で「船中九策」だったとされます。九策目が保険制度の確立です。龍馬暗殺を悔いた橘恭太郎はそのために尽力したことになっています。現代の公的保険を超えた無料制度みたいです。最終回でちらと描かれます。

龍馬は迷いもある人間で、スーパーマンでもなく、過度に偉大な人物ともなっていません。その抑制された感じがいいと思いました。

私は実はそんなに龍馬ファンというわけではないのですが、この龍馬は良かったと思います。司馬ファンで龍馬がそんなに好きじゃないというのは珍しいかも知れませんが、実際そうなのです。「龍馬伝」を見直したこともありません。画面が汚く、焦点化する人物を取り違えた変な作品だったというイメージのみです。あの龍馬に比べれば、内野龍馬は格段に魅力的です。

さてこのドラマ、色々疑問はありつつも実によくできたドラマです。最後の最後は橘未来という女性の手術シーンで終わります。南方仁先生はたしか一度この手術に失敗したはずです。難易度はパラレルワールドでも同じはずです。しかし表情は治せるという自信に満ちています。一人の医者の挫折と復活の物語でもあります。

坂の上の雲・リアリズム・天気晴朗なれども

2019年06月15日 | 司馬さん
司馬さんが亡くなってから22年です。坂の上の雲についてちょっと調べたら「児玉源太郎の行動」について「史実とは違う」という指摘があるようです。

そうなのかも知れません。なにせ「児玉源太郎のくだり」は面白すぎます。全体に戦記的記述が多いこの作品にあって、児玉源太郎の言動は際立って「小説的」です。乃木から指揮権を奪い、しかし乃木はそれと気が付かず、児玉は作戦の変更を求め、旅順を攻略する。児玉対硬化した軍事官僚の戦い。一番好きな場面です。あれは「史実とは違う」のかも知れません。しかし小説としてはよくできています。司馬さんがあのシーンで何を描きたかったのかもよく理解できます。ちなみに史実か否かはまだ「論争あり」の段階のようです。

日露戦争の勝利によって、日本軍はかなりオカシクなっていきます。不敗神話に洗脳され、現実を直視できなくなっていく。日露戦争の勝利から、日中太平洋戦争の敗北がスタートします。それは小説内においても暗示されています。

主人公は秋山好古・秋山真之・正岡子規です。

秋山真之は日本海海戦の作戦を立てた参謀で、バルチック艦隊の壊滅という「奇跡」を起こした人物です。そもそもは文学畑で、正岡子規や夏目漱石とは同級です。

日本海海戦時の出撃の際の「本日天気晴朗ナレドモ浪高シ」という報告は、名文とされています。波高しの部分が作戦遂行の可・不可を物語っているからです。

しかしこの「美文」「名文」に対して、海軍大臣のち総理の山本権兵衛は「批判」を行います。

事実を淡々と語るべきであり、美文、名文はそもそも必要なく、必要ないばかりか、現実を粉飾する結果に陥る危険があるというのです。

この山本権兵衛の憂慮はやがて的中します。そして日中太平洋戦争中の「空疎な報告文」の大量作成につながっていきます。

この小説は、明治期に軍人・政治家が有していたリアリズムを描き、同時に勝利によってそれが失われていくことも暗示しています。

男系天皇論議を傍観する

2019年06月15日 | 天皇
学問的には、つまりほぼ全ての歴史学者は、神武天皇は実在しないとしています。ほぼ全てですから例外もいます。安本さんとか。古田さんもそうかな。

元号が変わった時、神武とか男系天皇を巡る論議とかを「傍観」しながら、いろいろ面倒だなーと思っていました。

わたしの感覚だと、

・実在した天皇が6世紀の継体天皇からでも、何も困らない。

・BC660年頃に神武天皇というか天皇など実在するわけないし、実在しなくても何も困らない。

・万世一系じゃなくても別に何も問題はない。

・男系神話もありえないし、男系じゃなくても何も困らない。

わけです。

天皇制というのは法治国家上の役割であって、そこに何も神秘的なものは感じないからです。象徴天皇制に限定するならその歴史はまだ70年程度です。

それなのに「女系天皇が誕生すると日本が滅びる」的な感じで熱くなる方がいます。

そういう人に対して「神武天皇はいない」とか「万世一系は嘘だ」とか「女系でも何の問題もない」とかいうと「大変なことになり」ます。

だからこのブログはそんな主張をしてはいません。いませんから安心してください。「私の感覚」を書いているだけです。

「と学会」の元の会長だった山本弘さんが「南京大虐殺では論争するな」ということを書いています。相手は「無敵くん」なのだから無駄ということです。

万世一系、男系論者も「無敵くん」です。とても論破などできません。まあこっちも自分の感覚を信じているので、ある意味「無敵くん」なのですが。

山本さんは「南京では一万人は殺されたから大虐殺といっていいだろう」としながらも、中国に「謝る必要はない」とも書きます。

その理由は「だって僕は何も悪いことしてないもん!」というものです。

一般市民の私としては「その通り」なわけです。私は政治家ではない。従って自分が生まれてもいない時代に、日本人がやったことに責任をとることはできません。実際責任はないからです。生まれてないのです。

じゃあまた同じことをやるのかと言われれば「やるわけないじゃん」で終わりです。戦後日本人は「戦争では」「直接には」70年以上一人も殺してはいないのです。

もう少し真面目に書くと、私は南京大虐殺に関与していませんし、生まれてもいない、関与していない以上、反省もしないわけです。ただ、反省しないとしても、戦争におけるあらゆる残虐行為には反対だし、「知ることの重要性」は感じます。

さて、現代においても日本人が起こした殺人事件について、責任をとることなどできません。知らないところで知らない人がやったことです。

万世一系についても、別にわたしとは何の関係もないわけです。皇国史観の強制が今もあれば、関係してきますが、現代はそれも目立ってはありません。

つまり日本の天皇制が世界最長でも最長じゃなくても、男系でも女系でも、わたしには何の関係もない。それで私が偉くなるわけでもなく、卑しくなるわけでもありません。

日本の偉人として例えばIPS細胞の山中伸弥教授がいます。ノーベル賞もとりました。彼の研究は偉大です。しかしそれは彼が凄いわけす。同じ日本人だからと言って、私まで凄くはなりません。山中先生に何の協力もしていないし、会ったこともありません。

分けて考えることが必要だと思うのです。

大きな車に乗っていると気が大きくなる人がいますが、実際は車が大きいだけで、人間が大きくなったりはしません。

あくまで私の感覚を書いているだけなので、不快を感じた方はご容赦ください。ただウソは書いていません。

明治維新後、残念な有名人・薩長土肥

2019年06月14日 | 明治維新
明治維新後、残念な人々は沢山います。特に薩摩は西南戦争がありますから、西郷や村田新八など沢山います。ここでは西南戦争関係ははずします。

土佐

土佐は簡単で後藤象二郎です。大政奉還を進言したり、龍馬と組んであらゆる重要場面に登場します。明治維新の功により賞典禄1,000石。

ところが維新後が散々です。それなりに高い地位につきますが、西郷の政変で下野。事業に失敗。その後また大臣となりますが、わいろで辞職。明治後のドラマで後藤が登場しないのはそのためです。

薩摩

立派な人だったのに、死んでしまって残念なのが小松帯刀です。西郷、大久保の仲間としては別格で身分が高く殿様階級です。しかし幕末、大きな仕事は沢山しました。

もともと病弱で明治三年に亡くなります。彼が生きていたら、大久保、西郷の上に立ったでしょうし、西南戦争もなかった可能性があります。もっとも西南戦争がなくなったことが日本にとって幸いかは、それは分かりません。

あと有村俊斎。彼は立派でもなんでもない。幕末においても、明治後においてもひたすら残念な人です。

長州

生き残ったのに暗殺された村田蔵六と広沢真臣

暗殺されなかった人物としては井上馨。長州も名門の出です。物知りだということで聞多とも言われます。功績は多いのです。しかし汚職のイメージがあり、功績の割には評価されてはいません。

山田顕義、村田蔵六の弟子です。用兵の天才と言われました。山縣有朋に対抗できる来歴を持っていましたが、明治25年に亡くなります。日本大学を作りました。

佐賀

鍋島閑叟、お殿様です。お殿様の中では明治政府でも活躍できた人材だと思います。が明治四年に亡くなります。

あとは江藤新平。しかし江藤は幕末はほぼ謹慎状態で活躍はしていません。

もし、維新というものが正義であるとしたら

2019年06月14日 | 明治維新
一人の男がいる。歴史が彼を必要としたとき忽然と現れ、その使命が終わると大急ぎで去った。もし、維新というものが正義であるとしたら、彼の役割は津々浦々の枯木にその花を咲かせてまわることであった。中国では花咲爺のことを花神という。彼は花神の仕事を背負ったのかもしれない。彼、村田蔵六、後の大村益次郎である。

大河ドラマ「花神」の冒頭です。「もし、維新というものが正義であるとしたら」という「条件づけ」が印象的です。この作品、きちんと敗者も描くのです。特に河井継之助を描きます。それによって明治維新というものの「価値」が多少相対化されます。

明治維新は絶対的な正義であった、、、という描き方はしません。

そういう疑義のない歴史観は浅いものとなりがちです。例えば西洋化をしたから明治政府は悪いとか、薩長史観で教育は毒されているとか、そういう善悪二元論に立った浅い歴史観になりがちです。また薩長はテロリストであるといった「激論」、極端な見方になってしまう危険さもはらんでいます。

さて明治維新というのは、青写真なしの改革でした。青写真を持った人間もいましたが、その人間の数だけ青写真がありました。

龍馬の「新政府綱領八策」(船中八策の自筆版)などもその一つです。なんで自筆版なんかを出してくるかというと船中八策はなかったとかいう人がいるからです。色々面倒くさい。

・天皇を中心とした中央集権化を行う(ただし天皇の地位は立憲君主的なものする、法治国家)
・封建的身分秩序を解体し、広く人材を登用する
・富国を行い、陸海軍を増強する
・もって列強の浸食を防ぐ

これぐらいが共通項だったかも知れません。ただし天皇の地位については違うかも知れません。しかしながら専制君主にしようという志士は多くなかったように思えます。

・列強の浸食をふせぐ

が、もしかしたらただ一つの共通項だった可能性もあります。

村田蔵六は「陸軍の増強」の役割を担いました。ただし早期に暗殺されたため、その仕事は山縣有朋が引き継ぐことになります。

・長州征伐において総軍事指揮を行った
・彰義隊殲滅の総軍事指揮を行った
・戊辰戦争の総軍事指揮を行った

これによりつまり村田は「維新の仕上げ人」とされます。「維新の仕掛け人が龍馬とするなら、仕上げ人は村田蔵六」

司馬さんの見解ですが、どこまで国民に浸透しているのか、それは分かりません。

維新が正義か、それは人それぞれの見方でしょう。私は薩長も知っているし、長岡藩や会津藩の運命も知っています。どっちにも立派な人間がいます。あの時点での近代化は「時代の要求」だったかなと思います。人物としては徳川慶喜が好きで、同時に村田蔵六も好きです。前述の言葉に加えるならば、龍馬が維新の仕掛け人とするなら、仕上げ人は村田蔵六とそして徳川慶喜かなと思います。

ドラマJIN-仁-の面白さを2つほど

2019年06月13日 | ドラマ仁
ドラマJIN-仁-の面白さを2つほど

1、歴史の変更に臆病なタイムトラベラー

主人公の南方仁先生は幕末にタイムスリップした外科医です。
面白いのは、既に第一話段階で「歴史を変更していいのだろうか」と悩むことです。
コレラが細菌に由来することも最初は隠します。コレラ細菌説を江戸期に持ち込むことに躊躇するのです。
が橘咲という女性に励まされ、結局は医学で人を救う道を選びます。

それでも毎回毎回、歴史の改変に対して異常なぐらい悩みます。設定としては未来に恋人がおり、彼女に何か影響を与えないか迷うわけですが、それにしてもこれほど歴史の改変に臆病なタイムスリップものは珍しいかも知れません。

最終的にはパラレルワールドを採用することで、歴史の改変との調和が図られます。

2、西洋医学と東洋医学の調和

南方先生は結局現代に戻りますが、ほぼ同じ世界に戻ったと思ったら、一点重要な変更がなされます。
大学病院に東洋医学内科がおかれ、保険制度が充実し、総合医療が行われているらしいのです。
ちらとしか描かれませんが。

西洋医学が発達する裏で、その限界も分かってきて、東洋医学というか「全身治療」の必要が理解されつつあります。
全身とは「生活習慣を含めた全身」ということです。
南方先生がタイムスリップした結果、西洋医学と東洋医学が今より更に融合したパラレルワールドが出現する。

これは大変面白い視点だと思います。