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ひろしま歴史街道散策くらぶ(11月)に参加! 2

2022-11-20 19:34:16 | ひろしま歴史街道散策会
  更に続きです!
 可部で最も大きい「眞實院大瀛和上の墓」がある勝円寺。
 宝暦9年(1759)江戸時代後期、浄土真宗本願寺派の僧侶
 西本願寺の教学であった三業安心説を批判し、三業惑乱の大紛争のきっかけを作る。
 安芸太田町筒賀出身。





木坂文左衛門の墓」
幕末、広島藩も天保通宝(百文銭)の鋳造を図り、請け負ったのが鉄問屋・南原屋の
木坂文左衛門で、偽金工場を造り、明治新政府に発覚。
一人で罪をかぶって厳しい取り調べを受け、釈放後に亡くなった。



ひげ地蔵尊
片足を立て、思いを巡らせて姿は珍しく、自分の悪いところをなで、ひげ地蔵の同じ
所をなでると気持ちが安らぐ。
口の周りが黒くひげに見える。



かい間みる土塀は古民家の名残



 「桐原山 品窮寺」(ほんぐうじ)
仏護寺12坊の一つ。
水害記念碑、親鸞聖人像の膝まで水が来たと言われる。



可愛神社」(えのじんじゃ)
祭神:豊宇気昆売命
古老の良い伝えによると、永禄年間(1558~1570)の洪水によりご神体が
漂着し、元和年間にになって奉斎した。



 「中川醤油」
   以前のウオークで「やままゆ」を見せて貰った。




鉄灯籠
可部の明神公園に設置されている、広島市指定重要有形文化財
文化5年(1808)可部町の鋳物師三宅惣佐衛門より鋳造されたもの。
現在は改修工事中?




舟板壁
最後の舟板壁の家が取り壊されたので、一部を展示品として保管されているもの。





船入堀」の名残。
川船の発着場であった。




下の浜 明神社
祭神:市杵島姫命
江戸時代の初期、可部の豪商・立田屋が屋敷神を祀ったのが始まり。
1835年(天保6)の当時の筆頭の実力者であった木原屋三兵衛に移転した。
狛犬は子持ち。









案内の先生の祝詞で、今日の散策会は終了です。
周りは薄暗くなり冷えてきましたが、楽しく回れました。
可部駅 17:23発のJRで帰宅しました。
皆さんお疲れ様でした。
9000歩のスマホの歩数計でした。         END


              
コメント
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