Kainoa Blog

音楽家社長 鴻池薫の音楽活動&レッスン記、思う事等 徒然日記
since 2006

レッスン&もろもろ記(2月6日)

2010-02-06 23:34:00 | ウクレレ、ハワイアンソング&スラックキーギターレッスン
2月6日(土)

CA亀有:Lei Nani ,I Ali'i No 'OE、HANA
駒場・午後2時クラス:Hula Girl
中林さんSKG個人:Radio Hula、(新)真夏の果実
塩路さんSKG個人:Hula Blues、(新)Ka 'Oiwi Nani
藤田さん夫妻:Pearly Shells、(新)Edel Weiss

今日は最高に寒かったですね~!

午前中は10:30から亀有のレッスン。いつも10:00前には駅に着くので、駅前の珈琲館に行って朝のコーヒー飲んで30分位くつろぐのが密かな楽しみになっております。(笑)

亀有クラス、今日から新しい生徒さんも加わり在籍9名で和気あいあい!生徒さんから7月17日(土)葛飾シンフォニーヒルズで開催される「ふれあいバラエテイ・フェスティバル」に出演したいとの提案をいただきました。
丁度レッスン日なので、「課外授業」の一環として出来れば、と話を進める事になりました。もしかしたら、KMAの他のクラスの生徒さんにも応援出演頼むかも!?

亀有レッスン後、駅に向かって歩いていたら、メチャクチャ冷たい風がドワ~とふいてきて来て震え上がりそうになりました。

亀有の後は、駒場に戻り、4レッスン。

午後2クラスでは、バッキングの重要性を説き代わる代わる伴奏にまわる練習、
中林さんはサザンの「真夏の果実」をレギュラーチューニングのギターのストロークを練習、
塩路さんはオージーコタニのアルバムから新曲、
藤田さん夫妻は新曲「エーデル・ワイス」をやりました。

皆様、寒いところをレッスンお疲れ様でした。

明日は上大岡アグリ、駒場でライスさんのレッスンです!




レッスン&もろもろ記(人のけじめについて)

2010-02-05 20:21:00 | ウクレレ、ハワイアンソング&スラックキーギターレッスン
2月3日(水)節分
神奈川婦人会館:Lei Hinahina

2月4日(木)立春
駒場
磯さん&上野さん:Hula Girl
午後3時クラス:東京マラソン祭り用練習

2月5日(金)オフ
昨日、今日は寒かったですね。今日は一日休みだったので、自分デイ。今週はお酒を抜き、食事も少なめにしております。

昨日は2つのニュースが世間をにぎわしていましたが、「人のけじめ」というものを考えさせられました。

うちの会社は、イベントへのパフォーマー、カルチャーなどへの講師派遣を行っています。
以前、ハワイに行っている時に同時期に国内のあるイベントにパフォーマーを派遣して仕事をしてもらった事があります。

そのパフォーマーから僕がハワイに持っていった携帯に電話が入り、本番当日「クライアントと内容の事でトラブってしまって困っているんです。」との内容を伝えてきました。

そこで僕は「ヨシ、それじゃあ全部僕が責任取るから、自分の思ったとおりにやればいいよ!あとの事はまかせといてな。」と元気付けました。

電話を切ったあと、クライアントにすぐ電話して「今回は彼等のレパートリーでやらせてもらいます。何か問題が起こったら、その責任は全部僕が持ちますのでよろしくお願いいたします。」と伝えたら、理解してもらえました。

ちょっとした言葉の行き違いで起こった事かもしれませんし、外側から見れば些細な事かもしれないけれど、当事者同士では大問題になっている場合があるのです。

派遣した側からすれば、派遣した人達を守る事と同時に、クライアントに対しては責任が生じる。

イベントやコンサートを会場を借りて開催する。そこで出演者またはお客さんにたとえばけが人が出たとします。その責任はどこが取るか、となると当然主催者が取らなければいけない。

華々しいイベント、実は様々な事(火事、地震、トラブル、けが人発生など)を想定して、それを回避するにはどうしたらいいか?
それでも何かあった場合の覚悟を決めてやっているのです。

日常、人は何かの「責任」を持って生きています。
僕の場合は、例えば・・家族を守る責任、演奏に対する責任、バンドメンバーに対する責任、生徒さんに音楽を教える事に対する責任、生徒さん達を守る責任、派遣した人達への責任、イベントの仕切りに対する責任、等などが
自分自身の「日本国民として社会に対する責任&国家を守る責任感」につながっています。

このブログに書いた事に対する責任だってそうです。
今日こうして書いた事にちゃんと責任を持つ。

何かその中で落ち度、トラブル、事故があった場合は速やかに責任を取る覚悟をいつも持っていなければいけない。
だからそれだけ、仕事上では仕事をしてもらう人達を信じている訳です。
で、部下の責任はトップの責任。
まして自分が何か事件を起こしてしまったら、当然責任を取るのが、法治国家に生きる人間の責務です。

権力の中枢にいる人間が
何かのけじめをつけずに居座り、
回りもそれを許容し、
マスコミもなぜか必死に擁護する。

こんな事がまかり通ったらこの日本は終わりでしょう。






僕のロック芽生え編その13 高校3年の時

2010-02-04 17:18:00 | 僕のロックな話
ずう~っと書いていなかった 僕のロックな話芽生え編 その13 前回は高校2年の時まででした。
高校3年=来年は大学進学??微妙な雰囲気のまま3年に突入。

来年大学に?でもギターでプロになりたいと漠然と心の隅で思い始めました。
自分はギタリストになれるのだろうか??
気持ちがすごく揺れましたね。自分はどういう道に進みたいのだろう???と。
学校で同級のギターやっていた友達と学校帰りに喫茶店でよく語り合っていました。
でもそんな事言ったら親がさぞかし悲しむだろうな~。
先輩にも相談しましたが、「そんな事、自分で決めろ!」と一喝。(笑)

レッドツエッペリンは5枚目「聖なる館」をリリース。ツエッペリンの好きなアルバムはこの5枚目までです。
ジェフベックがR&B好きという影響で、ソウル・ミュージックを聴き始めたのもこの頃だったような気がします。
ステイービー・ワンダーの「トーキング・ブック」(1972年)にジェフがレコーデイングに参加したのがきっかけです。

ジェフ・ベックは1971年、1972年に第2期ジェフベックグループでR&Bを取り入れた先進的なサウンドのアルバムを2枚リリースしています。


当時、ロックとは別にクール&ギャング、コモドアーズのようなソウル・グループが日本で人気沸騰。
R&B、というかソウル、ファンクですね。
僕が好きだったのはスライ&ファミリーストーンです。

【スライ&ファミリーストーン/暴動 1971年】

ただ、ソウルは 硬派のツッパリ兄ちゃんの音楽、ロックは軟派の長髪兄ちゃんの音楽と相場が決まっていました。(笑)
僕はツッパリ系とも仲が良かったので、「DISCOに行こうぜ」と誘われて初めて行ったのもこの年だったかな??
渋谷、新宿のブラック・シープ、六本木はプラス・ワン、赤坂はムゲン・・・。
沢山ありました。全部バンドが入っているんです。
DISCOの客層・客筋:男の客は僕らのような長髪はいかず、渋谷・新宿あたりの店はリーゼントのツッパリ兄ちゃんみたいなのががほとんど。結構危なかったです。
女性客からは珍しがられたかも。(笑)
踊りに行くというよりは、バンドを聴きに行っていたのですが。
もちろん高校生ですから頻繁に行ってませんよ。(笑)

1974年、というのはロックにとって微妙な年だったように記憶しています。
それまで主流だったツエッペリン、パープルみたいなブリティッシュロックから、アメリカン・ロックにブームが移行していった年ではなかったか。

エリッククラプトンがアルバム「461オーシャン・ブールバード」をリリースしたのが1974年。

アメリカ南部のルーツミュージックを取り入れたアーシーでのんびりしたサウンドは「レイドバック・サウンド」と呼ばれました。そしてジャマイカのボブ・マーレーの名曲「I Shot The Sheriff」をカバーし、それを通じてロックファンは初めて「レゲエ」というのを知った年でもありました。
ニューミュージックマガジンでも「レゲエ」とは何ぞや?みたいな特集組んだり。
クラプトンがDEREK & THE DOMINOSで「いとしのレイラ」をリリースしたのが1970年。

完全にアメリカン・ミュージック志向のこのアルバムは名盤中の名盤ですが、それから4年後の「461オーシャン・ブールバード」で一気に持ってかれた感じでした。

僕自身は今でもクラプトンがアメリカに渡る前のCream時代の尖ったギタープレイが好きですが。(笑)

1970年~1974年。70年代初期のこの4年は本当に素晴らしい作品が多い。
さかのぼって、1965年から1974年までの10年間。
ロックの流れが最高峰まで達したのは1974年ではなかったか?と僕は結論つけています。
もっと言うならば、ジャズ、ソウル、ロックなど全てのジャンルはこの1965年から1974年が黄金期ではなかったか?(ジャズはクロス・オーバー、フュージョンに移行する前の ジャズとジャズ・ロックと呼ばれていた頃です)






学習院高等科1974年10月文化祭 
バンド名:Crush (ベース弾いているのは、今でも付き合いがあり大親友の 李君)
ベック・ボガード&アピス、デレク&ドミノス、日本のブルースクリエイションなどなどの曲を演奏した記憶があります。

文化祭出演後、ロックからジャズに興味が移行していきました。
大学に進学するか(というか出来るのか)という気持ちの揺れと、ロックから落ち着いたジャズギターの世界へ音楽の興味が変化・・・微妙な面持ちで卒業を迎えます。
(このシリーズ、不定期に続く)


ハワイアン・ウエーブ誌1月・2月号インタビュー記事!

2010-02-04 03:01:00 | お知らせ&お願い

ハワイアン・ウエーブ誌No.215(2010年1月号)巻頭で僕のインタビュー記事が掲載されました!スクールの事、昨年リリースしたGSアルバムの事、これからの展望などなど大いに語っております。
また、この号には、昨年11月29日秋葉原石丸ソフト館で開催された「レイ・レコード祭り」のイベント・リポートも掲載されています。
ご希望の方はお知らせ下さい。


尚、1月25日に発売されたハワイアン・ウエーブ誌No.216(2010年2月号)では、昨年11月のカイノア・ミュージック・アカデミーHo’ike2009のイベント・取材リポートが掲載されています。素晴らしい記事になってますよ!
こちらもご希望の方はお知らせ下さい。




タクトライブ用リハーサル 第3回目!

2010-02-03 22:51:00 | 僕のロックな話
2月1日(月)夕方、雨の降る渋谷。
2月12日(金)銀座タクト ブルースロックライブ用リハーサル3回目を行なった。
前2回はギタートリオだったが、今回はキーボードの平下政志氏(平ちゃん)でバンドは4リズム、
ボーカルでアネラが加わった。
平ちゃんのキーボードは自分がロックやる時に絶対欠かせない存在。アドリブでジャズのアウトする独特なフレーズやコードワークには常に刺激されて、こちらもギタートリオとは違うイマジネーションのギターワークになる。
ベースのタカヤス、ドラムのマー坊、キーボードの平ちゃんは本当に最高である。
アネラは今回3曲持ってきたが、どれも「あの時代」の名曲。普段のハワイアンファルセットとは違う歌い方が新鮮で、こちらの分野もレパートリーを増やしていきたい。
終ってスタジオを出たら、雪が降っていた。傘もさせない荷物だったのだが、いい汗かいたので、足取りは軽かった。

次回は来週2月10日(水)最終リハーサル。次回はもう一人のボーカル、Chiikoも加わり、全体を仕上げる。


今回ロックライブ、何と現時点で チケットはソールド・アウト目前になっている!
ウクレレの生徒さんも買ってくれたが、一般のお客さんも同じ位にかけつけてくれる。

我々の演奏は、今のロックの世界で「絶滅危惧種」のブルースロック。
最後の砦のつもりで演奏するので、ぜひ「ブットンデ」もらいたい。