珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

屈強なコレ

2022-10-25 | 思うこと
ツイッターから拾った言葉。

脳科学者の中野信子さんが言ってました。
「ルール自体が間違っているゲームをやらせた場合、世界中のほとんどの民族は途中で『おかしい』と声をあげる。でも、日本人だけは間違ったルールで最後までゲームをやり遂げる」と。
そろそろおかしいと声をあげませんか?

これはS組織で散々見たけど、ちょうど接種した人の8割くらいが「オカシイと声を上げること」が嫌いだった。
どんなに理不尽でも、決まっていることを何とか改革しようという人は、何故か何故かすごく疎まれる。
面倒だと怖気づくのか、そういう発想自体を非常識で悪と思うのか、嫌悪感がハンパない。
シラ~~ッという感じで誰も協力せず、そういう人を孤立無援にして、孤立無援ゆえ、どうにもできなかったら
「ほらみろ、改革なんて無理なんだよ」「やることやらないでホント迷惑」と叩く時は、一転、団結力が増す。

こうやって文章にすると「確かに…」と思うかもしれないけど、実際にそんな現場に出くわしたら、魔法にかかったようにそれが良識になる。
Sのような教団だったら、それを更に「信じていたから」「愚直な信仰心ゆえ」とすり替えられて、もっと厄介だった。
「仏道修行はラクではないんです。大変だから功徳があるんです」なんてトドメを刺されたら終わり。

いやいや、信仰心なんてウソ、ウソ。全く関係ないよ。
だって信仰心なんてゼロになったアンチでさえ、例えば支援活動に疑問があって改革したかった役職者には、共感どころか、ひたすら叩くことが賛同された。

一般でも、いつかライブハウスの経営者の「マスク着用」の理由が
「マスクの効果の理屈なんかどうでもいい。ルールを守れない倫理観のなさが迷惑」といえば、イイネが圧倒的になる。
今でも。

そろそろおかしいと声をあげませんか?

非接種やノーマスクを貫いた組からしたら、苦笑いです。
やってほしいけど、魂の底から染みついたようなそれって簡単に変わるだろうか。

「組織の改革なんか無理」じゃなくて、その精神性が無理なのでは?
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