いつだって明日はいい日

現実 ①

悲しんでいる余裕は無かった。

看護師長さんに「お体を綺麗にしますので、お待ち下さい。」と促され病室を出る。
先ずは葬儀屋さんとお寺に連絡しなくてはならない!

お寺は檀家になっているので考えることも無く、葬儀社も決まっていた。
父を送った時に母が「お母さんもここでやってね」と言った。近所だしお寺さんもここだと仕事が進めやすいと言う。
世間知らずの自分は先達の指導を仰ぐしかない、滞りなく進めば良いのだ。

看護師長さんから、A5くらいのコピーで作られた冊子を渡された「退院の手引」みたいな内容だ。
病院ってこんなのも用意してるんだな、退院と言っても笑顔で正面玄関から出るわけではなく、突然の不幸と言う方も多いだろう、動揺している家族にも分かりやすいようにこれからのこと、やらなくてはならない手続きなど簡単に記載されていた。
パラパラとめくる…
年金、健康保険、介護保険、世帯主変更、その他多数、こんなにやらなくてはならない事があるんだ…当たり前のことなのだけど考えたことも無く現実がぐるぐる回る。

葬儀社に電話し父の時に世話になったこと、お寺の檀家になっていることを伝えると話は早く進んだ。
お寺には葬儀社より連絡してくれるとのこと。

引き取り時間は3時半と指定された。
病院がワクチン接種の会場になっている為、出入口が空くのが3時半、早くても遅くても困るとのこと。
まだ2時間以上あるので家に帰って出直すことにする。
コンビニで食料を買って帰宅、何を食べたのか覚えていない。
こんな時でもお腹は空くし食事も喉を通る、生きているってことだ。
この時間で連絡しなくてはならない箇所へ電話やラインをする。
親戚も殆ど付き合いはなくなっているので何人でもない、孫たちも東京や神奈川で働いている為にコロナ禍では帰ってこいとは言えない。
仕事が何日休めるか、それが一番の問題だった。
日曜には出勤しなくては…後でネチネチ嫌味言われるのは想像出来る、パワハラってやつだな。

3時半前に病院に行く、昼休みでひっそりしていた。
葬儀社の担当さんが迎えに来る。
担架に移して出口へ向かう。
病院の裏口って複雑で迷路のようだ、看護師さんに誘導され他の患者さんと顔を合わせないように迷路を進む。
後ろから病棟の看護師さんたちが追ってくる。
迷路の出口は安置室で扉を開けると葬儀社の車が用意されていた。
外の光が眩しい。
ようやく外に出られたのにもう景色を見ることが出来ないんだね。
主治医の先生と病棟の看護師さん達に見送られ車が出る。
皆さんに深く頭を下げ「お世話になりました。ありがとうございました。」この時だけは声が震えた。

慌ただしく葬儀場へ向かう。
式場の奥、廊下を挟んだ6畳ほどの和室が安置室と親族の控室になっていた。こういう部屋をなんと呼ぶのかは知らないが、告別式の日までここで母に寄り添う。
ずっと面会禁止だったから一緒に過ごせる最後の時間、母が
話しかけてくれないのが寂しい。

座敷に座ると直ぐに葬儀社の担当さんがやってきた。
挨拶の後、これからの流れ、やること説明してくれる。
お寺の都合で告別式は三日後、お彼岸だから仕方ないね。
その分だけ一緒にいられるよねって言うのは感情論。
一日延びれば費用がドンとかかる、これが現実。
葬儀までのあらゆる事、事細かに金額が記載されていて『現実』とはこういう物だと思い知らされる。
人間は生きるも死ぬもお金がかかるのだ。
『地獄の沙汰も金次第』と言うがね、ホントだな。
葬儀の費用は祭壇から始まりお花やお供物、お弁当やお清め、駐車場整備の誘導員まで数十項目が書かれていて次から次へと決めていく。
分からないこと不安なことは全て姉に助けてもらう。

いつ相談したかしなかったか記憶にないが、喪主は私で葬儀はなるべく小さく家族葬と決っていた。
なんとも頼りの無い喪主だ。
こんなんでこれからやっていけるのか?やらなくてはやらないんだけど…。

ドライアイスの交換、遺体の化粧など、入れ代わり立ち代わりで業者さんがやってくる。
葬儀までの日程が決まり、計画を立てる。
自宅に戻り式場に泊まる為の荷物を持ってくる。
自宅まで車で5分もかからない。近いことがありがたい、全て家の近くでとは母の願いでもあった。
娘たちが楽なようにと考えていてくれたのだろう。

姉が帰り一人で母に寄り添う。
落ち着いたのは8時近くなっていた。

何かを考えているようで何も考えていないような…
自分にあるのは目の前の『現実』だけだった。













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