1/14夕方②
病院に着くと、待合室には4組ほどの患者さんが待ってた。
一つ前のブログは、診察待ちの時に書いたんだけど、もう気持ちが鬱々しちゃってダメだった。
後から来る患者さんも、私を飛び越して呼ばれて診察を受けてる。
皮下点滴の指導など時間がかかるので、先生の手が本格的に空くまで、茶子は待ちなのです。
でも、それは気にならない、私も後ろに待ってる人がいるより、ゆっくり診てもらった方がいいとは思う。
(ここにも人間のエゴ?が?待ってる間の茶子は、たまったもんじゃないかも)
待合室に患者さんが居なくなって、ほどなくして呼ばれた。
昨日、今日の様子を聞かれたので話して、吐いてないかを念入りに聞かれた。
いつも親身に、でもテキパキと、素敵な女医さんなんです。
話してると気が引き締まって、そして、どこか癒される。
皮下点滴について手順を教わったんだけど、診察台の上に置いてた茶子入りのキャリーを下に下ろした。
???と思ってると、点滴の注射針やら用意し、手順を説明しつつ「なるべくこの用意は見えないとこでやってください」「覚えちゃうんですか?」「そうなんです」「やっぱり痛いものなんですよね」「うーん、まぁ、気持ちの良いものではないかな」
なるほど。
手順のマニュアルもらって、先生のお手本を見ながら教わったんだけど。。
まず背中の毛を刈り、そこを大きくギュッと掴んで針を刺す(ひー!鳴いたり暴れたりするのかなぁ!)と思ったら、全くの無反応、、、あれ?
全然平気そうで拍子抜け。
見せない方がいい、と言うくらいだから大騒ぎするのかと思ってた。
てか、先生が上手なだけ?
注射器の先にチューブ、その先に針、ゆっくり押して皮下点滴剤を茶子の背中に入れてゆく。
ものの1分くらい?早い。
針を抜く時も無反応、あらま。
使用後の針他の処理を教わる。
自宅で使用したものは病院で処分するから必ず持ってきて下さい、とのこと。
次は木曜日に来ることになったので、皮下点滴を3回分、出してもらうことになった。
注射の間、先生に「腸が本格的に詰まってしまうと、飲んだ水はオシッコにならないんですか?」と聞いたら、「胃や、詰まってるとこの前の部分の腸で吸収されてオシッコになりますよ」「そうですか、じゃあオシッコが出ないのはバロメーターにならないんですね」「そうですねぇ」
みたいな話をした。
(先生の口調を文章で書くの難しい、なんか冷たい素っ気ない感じに見えるかもしれませんが、とっても温かくて良い先生なんです)
皮下点滴後、明日からの飲み薬の説明もあった。
シロップだから錠剤より飲ませやすいらしい。
「昨日は凄く食欲あったけど、今日は全く食べなくて、、、一昨日の点滴で強い吐き気止めとステロイドをいれておいた、と言ってましたが、その薬の効き目が無くなってきて吐いちゃうんでしょうか?」
と言ったら「そうですね、一日以上経って切れてきたのかもしれませんね、良ければこれからシロップ薬を飲ませるのもやりましょうか?」「え!ほんとですか!ぜひお願いします!」「分かりました、薬の準備をするので待合室でお待ち下さい」
てことで、茶子を連れてまた待合室へ。
茶子は相変わらず小さい声でニャーニャー鳴いてる。
と、思ったら、、
ケポッ!ケポッ!ケポッ!
と聞こえてきて、また吐いてしまった。
吐いたあとは、もう鳴かない。
吐くというのは人間でも疲れるものだけど、体力の無い茶子にとっては物凄い重労働なのだろう。
名前を呼ばれて診察室に入りがてら「いま、また吐いちゃいました💦」と言ったら、「分かりました、シロップ薬のほかに注射もしますね」
対応早い。
まずはシロップを強制給餌と同じ要領で飲ませてくれた。
続いて注射、、うわぁまた血管注射!?
と思ったら、人間のインフルエンザ予防接種のような筋肉注射だった。
看護師さんがガッシリ押さえて、先生がお尻に2本、茶子はさすがに痛かったらしく、弱いながらにもいつもより大きな声で鳴いていた。
「これで、明日から少しは食べられるようになるかもしれませんね」「はい、ありがとうございます」
看護師さんと先生、見事な連携だった。
そして側で見てる研修の女の子?みたいな白衣の子、先輩がガッシリ押さえるとこ見て、ちょっとビビってた。
そうだよね、そりゃ最初は驚くよね。
色んな患者さんを見て、経験して、ここの先生みたいな素敵な先生になってくれたらいいな、と思う。
さて、これにて全て終わり。
ああ、、疲れた、、。
でも茶子はきっともっと疲れてる。
お会計したら、日帰り入院と点滴が無いだけで、ずいぶん安くなってた。
家に帰って来たけど、茶子さんもうゲッソリ、グッタリ、元気ない、、膝に乗せてお腹撫で撫でしまくり。
お腹撫で撫で要求はいつものようにあるけど、ボンヤリして、動きも更に緩慢で、一気に歳を取ったような印象。
強制給餌と皮下点滴、ステロイドに吐き気止め、、、。
延命させるためのもの?
穏やかな予後を過ごすためのもの?
人間のエゴは、どこまでエゴ?
私は父を癌で看取ってる。
人間の場合もそうだ。
あれでいいの?
こうした方が良かったの?
闘病中も亡くなった後も、そして今でも、罪悪感や後悔はある、、年月で小さくはなってもやはり、ある。
猫にしても同じなのかな。
何が正解かって、答えはないのかもしれない。
ただ人と違って、茶子のことを決めるのは私だから。
物言わぬ動物にとっての最良が何なのか分からなくて、同じ立場の飼い主さんは常に葛藤が尽きないのだろう。
私は葛藤の真っ只中。
そして葛藤してる間に、確実に愛する茶子の命は短くなっていく。
末期癌の人が、緩和ケアで痛みを取り、食べたり、体を動かしたり、旅行に行ったり、余生を楽しむ。
痛みをとってはいるけど、体は確実に蝕まれて、いよいよ動けなくなって、亡くなっていく。
茶子も、それに近いことをしてる。
それが良いのか悪いのか、分からない。
もう一度、、猫の看取り本、読んでみよう。
ふぅ、、。
生き物の、生き死には、奥深すぎて考えだすと頭も心も疲れてしまう。
でも考えるのを止められない。