「令和の宴」

万葉集関連についての3回目。「令和の宴」を私的視点から紹介しよう。令和の宴などはない。今の元号「令和」がうまれるきっかけについてである。天平2(730)年正月13日、このときの九州の元締め(大宰帥・だざいのそち)は大伴旅人。彼が当時の九州にいた役人たち30数名を集めて「梅花の宴」を催した。中国の文化にもくわしい大伴旅人は「大和の歌」で梅を詠おうとしたのだとか。宴席で30数首の歌が詠まれ万葉集に集録 . . . 本文を読む
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