来し方、行く末に思いを続けて…
日記 … Kametarou Blog
奈良の大仏をつくった人たち
今、澤田ふじ子という人の「天平大仏記」という小説を読んでいるのだが、これに関連して。
「奈良の大仏さん」として多くの人は見た(拝観した)ことがあるだろう。高校の修学旅行で北海道からも奈良・京都に行くことは多くあるから。(最近はコロナ禍でどうなのだろうか?)。
高さ約15メートル、4~5階のビルの高さになるというが、これをつくるのに7年間かかった。時の天皇が、当時天然痘などがはやって多くの人が死ぬという不幸(時の権力者藤原氏のトップも死んだが)をなんとか克服したいと考え、仏教の力を活用しようと東大寺大仏建立を決意した。
これをつくるために必要なものはまず人だ。この人力結集のために、当時「奴婢」(奴隷といってもいい人たち)をも動員しなければならなかった。そのために、奴婢を一旦解放して(自由民として)働いてもらった。(自由民にすることを「放賤」という。「放賤の詔(ほうせんのみことのり・天皇の命令)」。
そして大仏建立がなったとき、この労働力として活用した元奴婢たちを元の地位に戻すことになった。(奴婢の所有者たちからの苦情が出たから。「奴らをもとの奴婢にもどしてもらわなければオレたちやってられない!」)。放賤を取り消すというわけだ(放賤廃詔)。
奴婢からの解放ということで一生懸命働いたではないか。大仏をつくるからということで食べ物も魚とか肉は一切口にできなかった。死んだ馬をこっそり掘り出して腐肉を食べたこともあった。
仕事が成ったからといってもとの奴婢に戻すとは、騙された、と。
天平勝宝4(752)年4月9日、大仏開眼会(かいげんえ)は盛大に執行された。
しかし銅を溶かす際の有毒ガス、水銀を大量に使う鍍金作業などでどれだけ多くの人たち(この多くは奴婢たちだった)が犠牲になったか。また機会をつくってあの大仏を拝顔してみたい。その時はこの話しも思い出そう。
「奈良の大仏さん」として多くの人は見た(拝観した)ことがあるだろう。高校の修学旅行で北海道からも奈良・京都に行くことは多くあるから。(最近はコロナ禍でどうなのだろうか?)。
高さ約15メートル、4~5階のビルの高さになるというが、これをつくるのに7年間かかった。時の天皇が、当時天然痘などがはやって多くの人が死ぬという不幸(時の権力者藤原氏のトップも死んだが)をなんとか克服したいと考え、仏教の力を活用しようと東大寺大仏建立を決意した。
これをつくるために必要なものはまず人だ。この人力結集のために、当時「奴婢」(奴隷といってもいい人たち)をも動員しなければならなかった。そのために、奴婢を一旦解放して(自由民として)働いてもらった。(自由民にすることを「放賤」という。「放賤の詔(ほうせんのみことのり・天皇の命令)」。
そして大仏建立がなったとき、この労働力として活用した元奴婢たちを元の地位に戻すことになった。(奴婢の所有者たちからの苦情が出たから。「奴らをもとの奴婢にもどしてもらわなければオレたちやってられない!」)。放賤を取り消すというわけだ(放賤廃詔)。
奴婢からの解放ということで一生懸命働いたではないか。大仏をつくるからということで食べ物も魚とか肉は一切口にできなかった。死んだ馬をこっそり掘り出して腐肉を食べたこともあった。
仕事が成ったからといってもとの奴婢に戻すとは、騙された、と。
天平勝宝4(752)年4月9日、大仏開眼会(かいげんえ)は盛大に執行された。
しかし銅を溶かす際の有毒ガス、水銀を大量に使う鍍金作業などでどれだけ多くの人たち(この多くは奴婢たちだった)が犠牲になったか。また機会をつくってあの大仏を拝顔してみたい。その時はこの話しも思い出そう。
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