「特攻兵の足跡をたどる」報道特集

今日のHBCの報道特集は「特攻兵の足跡をたどる」だった。別の作業をしながらの視聴だったが、昭和20年にいたる戦争の末期、悲惨な自爆攻撃ともいうべき特攻隊が組織され、この生き残って戦後活躍してきた人の苦難の歴史が特集されていた。

この特攻隊といういう日本軍の自爆攻撃に組み入れられた人たちは「これからの日本をになう」若者たちだった。爆弾を特攻機の腹に抱えて敵の軍艦に突入するというまさに末期的行為を、当時の日本軍は「日本人がもつ大和魂の発露」ということで積極的に(事実上は強制的に)若き兵隊たちを組織して、彼等は「お母さんへ」と心の中で泣きながら華と散っていった。

私たちは何年か前に鹿児島の知覧でこれに関する記録を半ば涙をこらえながら見た。

そしてこの種の映像をみるたびに、私は、これまでも何度かこのサイトで記してきた「自分の戦争体験」の一部を思い出しながら付け加えたくなる。

まさに「個人情報」ではあるが、戦争体験として知って欲しいと思うからとご理解してほしい。
私の父が私たち2人の子どもと結婚して4年しかたっていない妻(私の母)をおいて出征した。そしてその2年後中国大陸で(当時のことばで『中支』で)戦病死した。野戦病院だったはずだ。昭和17(1942)年10月だった。それを思う。戦病死だったからベッドで何を考えていたか、多分ウチにいる妻(母)やまだ3、4歳の子どものことだっただろう。だから特攻兵が死に臨んで思ったこと、願ったことと変わらないことだったのではないか、と思う。どれほどウチにいる妻や子どもに会いたかったろうか。それを願いながら死んでいった父親をいつも忍ばずにはいられない。だがら特攻隊として、あるいは戦闘行為中で敵の弾に当たって死んだ人よりも悲しい思いすらする。
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