日本史の始まり①(「岩宿の発見」)

戦前、日本の歴史は歴代の天皇によって切り拓かれてきた、というテーマを軸に語られていた。第1代の神武天皇から第124代目にあたる昭和天皇まで、西暦前600年から始まって2600年目の1940(昭和15)年の2月11日、「皇紀2600年」を祝った。「紀元は2600年、ああ一億の胸は鳴る」と歌った。(今も2月11日を「建国記念の日」としている)。
これは神話の世界を史実として持ち上げて全国民への啓蒙宣伝のテコにした。

このことは戦後「史実」としては否定されて、今の歴史教科書にある展開になっている。では、日本列島での人びとの暮らし(歴史の始まり)はどのようにイメージされるようになったか、について触れておこう。
日本は「縄文時代」から始まるといった歴史観だったという。つまり、無土器時代はなかったということだ。
しかし、1946(昭和21)年、戦後の自由な研究のムードとともに、これまで想像もできなかった「旧石器」が発見された。発見したのは、相澤忠洋(あいざわただひろ・1926~1989)という青年だった。彼は納豆売りのバイトをしながら考古学の研究に熱を入れていたという。そして、1946年、今の群馬県みどり市で、それまで知ることのなかった黒曜石の打製石器を発見した。これが世に言う「岩宿(いわじゅく)の発見」だった。
縄文以前の歴史が日本列島にもあったのだ、という大発見だった。

具体的には、今から4万年ほど前からわれわれの祖先にあたる人たちが、日本列島に住みだしたということだ。
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