来し方、行く末に思いを続けて…
日記 … Kametarou Blog
「成人」になったころのこと
自分自身の「成人の日」はどうだったろうか。ニュースを見ながら何十年も昔を思い返した。
以前にも書いたのだが、いつまでたってもこの日がくると思い出す。
和寒町と札幌市で、2度「成人の日」を祝ってもらった。和寒では、若者たちが故郷から離れて違う所で生きている(学生など)。しかしお正月には故郷に帰ってくる、この機会にお祝いをしてあげよう、という心配りだったのではないだろうか。
この時は、大学の教養部にいたのだが、成人したことで堂々とタバコを吸うことができるようになった(と思ったのではないだろうか)。当時1箱50円だった「いこい」というタバコが私の愛用のタバコだった。和寒に帰省して、冬に馬の運動をしなければならなかったが、馬上で堂々とそのいこいというタバコに火をつけて吸ったことがあった。「オレもおとなだ」という気持ちだったのではなだろうか。この時から60歳になるまで40年間毎日「いこい」、そしてその後「ハイライト」を20本ずつ吸い続けた。
我が家の馬は、まだガキに近い若者が、背にのってタバコを吹かしていることにハラを立てたのか、あるいはバカにしたのか振り落とされたこともあった。そんな成人になったころの記憶がある。
以前にも書いたのだが、いつまでたってもこの日がくると思い出す。
和寒町と札幌市で、2度「成人の日」を祝ってもらった。和寒では、若者たちが故郷から離れて違う所で生きている(学生など)。しかしお正月には故郷に帰ってくる、この機会にお祝いをしてあげよう、という心配りだったのではないだろうか。
この時は、大学の教養部にいたのだが、成人したことで堂々とタバコを吸うことができるようになった(と思ったのではないだろうか)。当時1箱50円だった「いこい」というタバコが私の愛用のタバコだった。和寒に帰省して、冬に馬の運動をしなければならなかったが、馬上で堂々とそのいこいというタバコに火をつけて吸ったことがあった。「オレもおとなだ」という気持ちだったのではなだろうか。この時から60歳になるまで40年間毎日「いこい」、そしてその後「ハイライト」を20本ずつ吸い続けた。
我が家の馬は、まだガキに近い若者が、背にのってタバコを吹かしていることにハラを立てたのか、あるいはバカにしたのか振り落とされたこともあった。そんな成人になったころの記憶がある。
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