来し方、行く末に思いを続けて…
日記 … Kametarou Blog
失われた30年!?
こういう語が目に入る。30年が「40年になる」という語に置き換わることもありそうだ。私が1960年に大学を出て、札幌市内の私立高校に勤めたのだが、このころから20年以上の期間だと思うが、給与も定期的に上昇した記憶がある。もちろん、労組運動も活発で「賃上げ」を中心としたスローガンに示される活動が常に身近にあったと思う。反映したベアも毎年あった。
株の値段もどんどん上がっていたのではないだろうか。ヒトに勧められて北海道の或る会社の株を数万円買ったら、少し上がって「儲けた!」という話をしあったことを思い出した。(しかし(株)はすぐやめた。自分としては賭け事は性に合わないと自覚したから)。ベアもあり株価も上がり、いわゆるバブルの社会がいっとき展開された。
株の値段もどんどん上がっていたのではないだろうか。ヒトに勧められて北海道の或る会社の株を数万円買ったら、少し上がって「儲けた!」という話をしあったことを思い出した。(しかし(株)はすぐやめた。自分としては賭け事は性に合わないと自覚したから)。ベアもあり株価も上がり、いわゆるバブルの社会がいっとき展開された。
北海道の代表的会社である「たくぎん」がツブれた。1997年のことだ。90年代、株価は下がり、会社の倒産が進んだ。いわゆるバブルの崩壊だった。そのころからを総じて「失われた30年」という語でくくるのだという。この不景気が今後も続くと「失われた『30年』」が延びるのだろう。20世紀末から、アメリカでの多発テロや日本での大震災などが重なっている。
「失われた○○年」を食い止めるために、物価上昇と賃金アップを労使ともども言い出しているのも上の事情を反映しているのだろう。さてどうなるのだろうか。ささやかな年金暮らしを余儀なくされている自分のこれからを当てはめて感慨いろいろ重なる。
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