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日記 … Kametarou Blog
アスペルガー症候群
今朝の道新の「はなし抄」に長野大学の和田勉さんというひとの話が載っている。「アスペルガー症候群『変わっている子供』と責めないで」という見出しだ。この人は別に専門家からこの診断を受けたわけではないが、北星大学の田実潔氏からそういう傾向をもつ人といわれて、その症例として自分のことを語っている。
昨日の「生きづらさへの支援」のフォーラムでも、吉川真倫さんという人が「22歳の説きに、発達障害(アスペルガー症候群)の診断を受ける」という内容の話を1時間ほどした。
この人のブログがある。http://blog.goo.ne.jp/yoppi-diary/
今、発達障害問題は「旬のテーマ」といえる。この中でもアスペルガー症候群系は特に大きな関心事項のようだ。
ようするに人づきあいに難しさがある、あるいはコミュニケーションに不得手といった傾向をもつことが特徴のようだ。
お二人とも、常に「変わっている子どもだ」という偏見につきまとわれてきた。そういう社会的な傾向に警鐘を鳴らしている。
私たちの子どもの頃から「人づきあいがうまくいかない」とされる人などいくらでもいた。だいたい私自身それほど人づきあいが得意だなんて全く思わない。そういう傾向があったからという理由でいじめがあったのだろうか。
最近、人間に対する一定の判断の尺度を「科学的」におさえる傾向が強すぎないか。知能検査とかさまざまな検査を行って「ただしく人の特性を知ることによって相互の好ましい関係を維持する契機にしたい」ということなのだろうが、「あの人はどうも人づきあいが不得意だから、職人的な仕事に向いているのでは」とか「あることにものすごいこだわりを持っているからそれをどんどん延ばしていったらいいのでは」などというアバウトな人間評価は不正確なのであろう。
このような今の傾向はこれからますます「なんとか障がい」を増やして多くの人たちがどこかに当てはまるような仕組みをつくってくるかも知れない。あるいは「アスペルガー1級-3級」などとラベリングが精密になっていくかも知れない。それならそれでいいのか。70を過ぎた高齢者も「あの年になってどうもジコチュウなのだから、やっぱりアスペルガー症候群だのだ」と言われてなるほどということにもなるか。
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