ノーサイドとドジョウ

野田さんが、伊藤博文初代内閣総理大臣(1885=M18)から数えて62人目で代数からいえば95代になる総理大臣に就任した。
どういう人かよく分からないのだが、結局は反小沢の空気が強まることで民主党の党首になることができたということらしい。政策とか政治理念などの支持もあったのだろうが、小沢体制が大きくなったらマズイという民主党の議員さんたちの気持ちが決戦第2位の野田さんをトップに押し上げた。

増税を積極的に考えている人とか、大連立を求めて「自公に百回も頭を下げる」人とか、といった評価は聞くのだが、現実の政治はどういうように進むのか、一昨年の鳩山さんの時のような「気分の高まり」はないが、町の人びとの意見と同じような多少の新しさとか、この2年間を反省した政治が行われるのでは、という期待に近いものもある。

町の人たちがいうのは(テレビの質問に答える人、だけでなく誰もだろうが)「しっかりしたリーダーシップを」「ぶれないで…」など。野田さんは「ノーサイド」「ドジョウのように」という。
ノーサイドというのは、党内のある人たちの立場ではなく公平な立場で、というようなことだろうし、ドジョウというのも「泥臭く…」というようなことらしいが、これらも具体的になるとハテナという気もする。自分の見解・信念・理念にたってぶれずリーダーシップを持って進めることとノーサイドは両立するのか。また泥臭くというのも分かったような分からない言葉だ。目立ってカッコつけるような政策ではなく真に庶民のためになることを地道に進めるというような意味なのか。
泥の中でドジョウが、泥臭く生きるというのは大変だよ、ちょっと油断をしたら呼吸困難で死んでしまうよ、と言っているようだが。

いずれにしても野田佳彦という松下政経塾出身の宰相が登場する。あのマニフェストはもうホゴになったとの印象だけはゴメンだ。ノーサイドは「自公大連立」にシフトしたハーフサイドにならなければいいと祈念する。松下政経塾出身者がどんどん民自両党から出ているようだが、どれだけ「国民のくらしが大事」の立場を貫いてくれるのか、これも同塾にとっての試金石だ。

 

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