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日記 … Kametarou Blog
ハーバード白熱教室-4(アメリカ社会と銃規制問題)
しばしばアメリカで銃の乱射による複数殺人がある。日本でも無差別殺人事件があるから、銃による事件かどうかはで特別の違いをいうべきでないのかも知れないが、ここでは銃規制に関しての意見になる。
アメリカの政治や社会に関して、私にはどうも分からないことに銃を規制すること問題と医療保険に関する問題がある。他にもあるのかも知れないが、特に最近気になることはこの2つだ。どちらも個人の自由の原則に悖る、ということらしい。銃をもつかどうかも医療にカネがかかるかどうかも、個人の自由だということらしい。
日本人には、非合法な銃の所有があったにしても、このような武器の個人所有が個人の自由の原則に属するなどという人はいないだろう。また医療保険のみならず社会保険制度は当然と思う人が圧倒的なのではないか。
例の「ハーバード白熱教室」の第3回目にサンデル教授は「リバタリアニズム」をとりあげる。このほとんど初めて接する言葉は「自由原理主義」「市場原理主義」を意味する。サンデル教授は「銃所有」については語っていないのだが(第3回目までは)これも共通するテーマになるだろう。
例えばシートベルトを締めるかどうかはあくまでも個人の自由にかかわる問題であり、これは法規制することなど「自由に対する権利の侵害」とする立場であり、また例にあげているビル・ゲイツ氏がもっている(推定)資産は約400億ドルだというが、(日本円でいえばいくらになる?!)このような多額の資産家から特別な税をとって社会のために使うなどということは「強制労働」に等しいという。
日本には累進課税制がある。私たちもまた「富の再分配」という考え方に違和感は持たない。
アメリカ社会にある銃規制や医療保険制などへの拒絶感情は、リバタリアニズムの流れを汲むのであろう。
サンデル教授が「正義」のテーマを白熱的に議論していこうとする根底にこのようなアメリカ社会の歴史的傾向とどう向きあうかという問題意識があるからではないか、と思う。
市場原理主義は規制緩和政策になった。このときさかんに「小さい政府」が言われた。自由の拡大が言われた。私たちの社会がこれからどこに向かうのか、という「戦略」課題は正義とリバタリアニズムの関係をどう整理するかに関係する。
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