沖縄戦争、その司令官の孫

23日のこのコラムで「沖縄慰霊の日」をとりあげた。6月23日がこのときの日本軍司令官が自決して事実上戦争が終わった日と記したのだが、今日25日の「しんぶん赤旗」でこの司令官(牛島満という人で当時の立場は陸軍の最高の地位である「陸軍大将」だった)の孫にあたる牛島貞満さんが戦争と祖父のことを述べた記事を載せている。これを要約して紹介しよう。

4月1日以降の米軍の侵攻で南部へと後退を余儀なくされた日本軍はまともな迎撃態勢もないのに「最後まで戦う」という方針で、住民をも巻き込みながらどんどん犠牲を拡大していった。これを進めた司令官の牛島中将(この時はまだ中将)は23日(22日という説もある)、部下に「最後まで敢闘し、悠久の大義に生くべし」と命令し、自決した。

また彼は次のような辞世の句を詠んでいる。
「秋待たて枯れ行く島の青草は皇国(みくに)の春に蘇(よみがえ)らなむ」(秋を待たずに枯れてしまう沖縄の若い命は本土決戦の冬をのりきり春になった天皇中心の国によみがえってほしい)。

この思想がその後の沖縄戦でも引き継がれ、この地での戦争が最終的に終わったのは8月15日ではなく、1945年9月7日(日本軍残存部隊と米軍第10軍との間の降伏調印式)だった。


牛島貞満さんは「天皇中心の政治を維持するために沖縄の人たちや沖縄防衛隊は犠牲になるというのが祖父の考えだったと思います」と言っている。
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