「年賀状」への思い

毎年、12月中旬には友人知人、親戚などに年賀状を書く。私的にいえば、この25年間で一番多かったのは2010年だった。220枚ほどの私的な賀状を書いた。その後は減少して、今年の場合はまだ「終わり」ではないが、3分の1程度になった。それだけ賀状作りに力を注がなくてもよくなったのだが、またある種の寂しさは感じる。

毎年、「高齢のために賀状は失礼します」といった知らせをもらって、寂しくなった。私は「年賀状は生存報告書」の意味があるのではないか、と思っている。だからこちらからは「賀状作り能力」がなくなれば当然これは「失礼」するが、その能力(精神的身体的)が残っている限り、こちらから「やめる」ことはしたくない、と思っているのだが。


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