民間を「支援」すること、「新しい公共」の理念

札幌北区のグループホーム「みらい とんでん」の火災は悲惨な結果を招いた。全国でこのような小規模なホームがいくつもあるという。事故が起こるたびに「民間事業主が責任を果たしていない」とか、行政が「民間に丸投げしていた結果だ。責任放棄だ」といった批判がなされる。それはそれで当たっているのだろうが、現在福祉や医療、教育の面でも民間の役割が重要な役割を果たしていることはいうまでもない。

民間で営々として福祉事業を取り組んでいる人たちも、経済的な収益といっていい報酬など期待できていないのではないだろうか。またそこで働く人たちも劣悪な条件下で頑張っている。火災対策用の改善策もそう簡単ではないはずだ。札幌消防局は2週間以内に改善策を講じるように対応を迫るとのこと。

行政は、現実で行われている重要な役割(福祉や医療や教育など)を、それこそ問題点があることがわかったら、それを速やかに改善できるように資金面で支援すべきである。
行政がやるべきことが不十分であったから民間が(中には不純な動機を持つ者もいるかも知れないが全くそれは例外であろう)その隙間をカバーしているのである。

問題が起こったら、「施設の責任者が怠慢」であったとか、人命尊重の使命を果たしていないとか、といった批判が出るが、問題の原則的なほこさきは行政が「民間を可及的速やかに資金的に支援」するしくみをつくることにある。

また行政批判に事欠いて「民間に丸投げするのではなく公が責任を果たせ」という意見もある。そういう論理ではなく、民間の努力を最大限に評価し、その役割を支援することに力点をおくべきである。

私たちのやっている不登校対策の場合でも、同じ論理がある。「民間に丸投げしないで公が不登校の児童生徒のための施設をつくれ」。

鳩山首相がいう「新しい公共」は、まさに民間が取り組んでいる仕事を公が最大限に支援することが基本である。民間がやっていることを公が公費を投じて行うことではない。そのカネがあったら、民間の仕事を支援した方がコストも安いし能力も発揮できるのだ。
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